旧野方配水塔の歴史|1929年に完成した荒玉水道の給水施設

中野区江古田のみずのとう公園に建つ旧野方配水塔。円筒形の塔とドーム状の屋根

東京都中野区江古田一丁目のみずのとう公園にある旧野方配水塔は、昭和4年(1929)に完成した鉄筋コンクリート造りの水道施設です。高さ約34メートル、直径約18メートルの円筒形で、約2,000トンの水を貯蔵できました。現在は国登録有形文化財として保存されています。

野方配水塔はなぜ建てられたのか

中野区江古田のみずのとう公園に建つ旧野方配水塔。円筒形の塔とドーム状の屋根
旧野方配水塔(2013年撮影)。撮影:Sicemaster。Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

大正時代から昭和初期にかけて、東京市の外側に広がる町村で人口が急増しました。住宅地が拡大する一方、各地域の給水設備は十分とはいえず、安定した水道供給の整備が課題となりました。この問題に対応するため、複数の町村が協力して荒玉水道を整備しました。

荒玉水道は多摩川の水を世田谷区砧から引き、中野・杉並・豊島・板橋・練馬・北区などの地域に供給する施設です。野方配水塔は、この水を周辺住宅地に配るために建設されました。完成した1929年は、東京の郊外が農村から住宅地へ変わっていく時代に当たります。

高さ約34メートルの塔が水を配る仕組み

配水塔の内部には水を貯めるタンクがありました。高い位置に貯めた水は、重力による水圧を利用して配水管を通り、各家庭へ送られます。建物の高低差がある住宅地に安定して水を配るためには、高所で水圧を確保する方法が有効でした。

旧野方配水塔は鉄筋コンクリート製の円筒形の塔で、大容量の貯水と配水機能を一体化した施設です。塔の高さと大きな円形の外観は、かつての水道設備が地域の目印にもなっていたことを伝えています。

荒玉水道と東京郊外の都市化

荒玉水道が計画された背景には、東京市に隣接する町村の宅地化と生活用水の需要増加がありました。東京市域の拡大以前から、郊外には鉄道沿線を中心に住宅地が広がっていました。水道、道路、学校などの公共施設を整備することが、都市化した地域の暮らしを支える条件となりました。

給水施設から文化財へ

旧野方配水塔は昭和41年(1966)まで通常の配水施設として利用された後、災害用給水槽としても活用されました。中野区の観光資料では平成17年(2005)まで災害用給水槽として使われたと記されています。解体計画が検討された時期もありましたが、2010年2月に国登録有形文化財となりました。

現在は中野区江古田一丁目3番のみずのとう公園内に保存されています。外観から近代水道施設の大きさを観察できますが、内部見学の可否は管理者の案内を確認する必要があります。

旧野方配水塔の周辺には、哲学堂公園や江古田古戦場など別の時代の史跡があります。江古田・哲学堂周辺の歴史と文化財では地域全体の歴史を紹介しています。

参考資料