春日局の麟祥院、レトロ建築、神社仏閣、裏路地などを巡ります

【紫色:主な見附 白色:主なスポット 青色:現在の主要線路】見附とは見張り番所がある城門のことで、江戸城の見附は主に枡形門と堀に架けられた橋が一体となったものが多かった。実際は36以上あったが俗に江戸城三十六見附と呼ばれている。現在でも一部残っている。

今回いくところ

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  1. 櫻木神社(烏骨鶏がいる)
  2. 日本基督教団弓町本郷教会 (国指定文化財)
  3. 瀬川家住宅と主屋と蔵 (国指定文化財)
  4. エチソウビル (国指定文化財)
  5. 日本基督教団本郷中央教会 (国指定文化財)
  6. さかえビル (国指定文化財)
  7. 春日局之像
    春日通り、春日駅の由来の人。春日局(かすがのつぼね)または斎藤福(さいとうふく)(1579-1643)は、安土桃山時代から江戸時代前期の江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号である。父は美濃国の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で明智光秀の重臣であった斎藤利三、母は稲葉良通(一鉄)の娘である稲葉安、又は稲葉一鉄の姉の娘・於阿牟、養父は稲葉重通。稲葉正成の妻で、正勝・正定・正利の母。養子に堀田正俊。江戸城大奥の礎を築いた人物であり、松平信綱・柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎(かなえ)の脚」の一人に数えられた。また、朝廷との交渉の前面に立つ等、徳川政権の安定化に寄与した。
  8. 麟祥院(りんしょういん)
    周囲にカラタチの生垣をめぐらせていたので「からたち寺」とも呼ばれる。1624年(寛永元年)、春日局の隠棲所として創建。春日局以外に、稲葉正則の正室(春日局の孫)万菊、館山藩稲葉家分家、淀藩稲葉家、堀田正俊の正室(稲葉正則の娘)、嵯峨實愛の墓がある。正親町三条実愛(おおぎまちさんじょうさねなる、1821-1909)、明治維新後、改名して嵯峨実愛(さが さねなる)。
    明治20年(1887)この麟祥院内に「東洋大学」の前身である「哲学館」が創立された。創立者は井上円了(えんりょう、1858-1919)。
  9. 東京大学の鉄門
  10. 講安寺本堂(文化財)