【開催レポート】海上保安庁 海洋情報資料館で海図の歴史を学ぶ|柳楢悦と測量機器、海図バッグ工作

海図を使った紙袋工作に取り組むゆる歴史散歩会の参加者

2025年4月12日(土)10:00〜11:30、ゆる歴史散歩会で東京都江東区青海の海上保安庁 海洋情報資料館を訪ねました。参加者は11名。今回は展示を見るだけでなく、実際の海図を手に取り、日本の海図作製と海洋調査の歴史をたどり、役目を終えた海図を再利用した紙袋工作まで楽しむ見学会です。

館内には、幕末から明治に始まる近代的な水路業務の資料、海の深さや天体・潮汐・潮流の観測に使われた測定機器、測量船模型、国内外の海図、日本近海の大型3D海底地形図などが並びます。普段は完成した「地図」として見る海図の背後に、測量・観測・計算・製図という長い工程があることを、実物から学べる時間になりました。

海上保安庁海洋情報資料館に展示された歴史的な海図
海洋情報資料館では、日本の海図作製や海洋調査の歩みを実物資料からたどれます。

今回の見学内容

集合はテレコムセンター駅付近。資料館では、海図作製の歴史、測量・観測機器、測量船模型、珍しい地図、大型3D海底地形図などを順に見学しました。さらに古くなった海図を実際に広げ、その紙を使ってオリジナルの紙袋を作りました。

海図は船が安全に航海するための実用資料です。海岸線だけでなく、水深や危険物、航路標識など航海に必要な情報が集約されています。展示を追うと、「海を測る」ことと「海図を作る」ことが一続きの仕事であることが見えてきます。

海上保安庁

海上保安庁は1948年に発足しました。現在の海洋情報部につながる水路業務の歴史はさらに古く、1871(明治4)年、兵部省海軍部に水路局が設置されたことにさかのぼります。明治政府は海運や国防の観点から、日本沿岸の測量と海図・水路書誌の整備を急ぎました。

水路局はその後、水路寮、海軍省水路局、海軍水路部などへ組織名を変え、終戦後は運輸省へ移管されます。1948年の海上保安庁発足後は水路局、翌1949年から水路部となり、2002年に現在の「海洋情報部」へ改称されました。組織名が変わっても、海を調べ、その情報を航海の安全や海洋利用に役立てる仕事は受け継がれています。

日本最初の近代的な海図「陸中國釜石港之圖」が刊行されたのは1872(明治5)年です。海図の歴史をたどることは、明治日本が自ら沿岸を測り、船を安全に航行させるための基盤を整えていった歴史をたどることでもあります。

海洋情報資料館

海洋情報資料館は、海上保安庁海洋情報部が蓄積してきた海洋調査・海図作製の歴史を、実物資料とともに紹介する施設です。現在は東京都江東区青海2-5-18の青海合同庁舎にあり、公式案内では入館無料。個人は予約不要、10名以上の団体は事前申込みが案内されています。

海洋情報資料館で測量船模型の展示を見る参加者
測量船の模型や解説パネルを見ながら、海洋調査の仕事を学びました。

展示ケースには測量船の模型が並び、どのような船で海を調べてきたのかを具体的にイメージできます。壁面の解説と模型を行き来しながら見ると、海洋調査が机上の作業だけではなく、船で現場へ出て観測するところから始まる仕事だと分かります。

海洋情報資料館の「我が国の海図作製のはじまり」展示
幕末から明治初期にかけての海図作製の歩みを紹介する展示。

「我が国の海図作製のはじまり」の展示では、幕末から明治初期に西洋の航海術・測量術を取り入れ、日本独自の近代的な海図作製へ進んだ流れをたどれます。江戸末期、日本近海へ外国船が来航するなか、暗礁あんしょうや島の多い日本周辺を安全に航行するため、正確な測量と海図の必要性が高まりました。

海洋情報資料館の「世界の珍しい貴重な地図」展示
世界の地図や航海に関わる資料から、海図の広がりを知ることができます。

世界の珍しい地図を扱う展示もありました。地図は時代や目的によって表現が変わります。航海のための海図を見るときは、海岸線の形だけでなく、「船がどこを安全に通れるか」を示す情報に注目すると、一般的な地図との違いが見えやすくなります。

六分儀と、海上で位置を知る技術

海洋情報資料館に展示された六分儀
船上で天体の高度や目標物の角度を測り、位置を求めるために使われた六分儀。

六分儀ろくぶんぎは、2点間の角度を測る携帯用の機器です。海上保安庁の展示解説によると、船上で天体の高度を測ったり、海岸にある3つの目標物の角度を測って自船の位置を求めたりするために使われました。GPSがない時代、正確な角度の観測は航海と測量を支える重要な技術でした。

潮の満ち引きを計算した潮候推算機

海洋情報資料館に展示された潮候推算機
潮の満ち引きの予報値を計算するために使われた英国製の潮候推算機。

大きな木製キャビネットの中に多数の歯車が並ぶ機械は、潮の満ち引きの予報値を計算する潮候推算機です。展示されている機械は1957(昭和32)年に英国から輸入され、電子計算機が普及するまで使用されました。現在ならコンピューターで行う計算を、機械式の装置で処理していた時代の技術を間近で見られます。

大型3D海底地形図で「海の下」を見る

大型3D海底地形図の上で日本近海の海底地形を見る参加者
日本近海の海底地形を立体的に見られる大型3D海底地形図も見学しました。

床いっぱいに広がる大型3D海底地形図では、日本列島の周囲に海溝や海底の起伏が続いている様子を立体的に見られます。普段の地図では平面的に見がちな日本列島も、海底地形まで含めると印象が大きく変わります。参加者も地図の上を歩きながら、日本近海の地形をじっくり見比べました。

測量成果を地図へつなぐ図化機

海洋情報資料館に展示された一級図化機
測量成果から地図を作る工程を伝える一級図化機の展示。

館内には一級図化機も展示されています。海を測った結果は、観測しただけでは航海に使えません。測量成果を整理し、位置や地形を地図として表現する工程まで含めて、はじめて海図として利用できます。測定機器と製図・図化の機器を一緒に見ることで、調査から地図になるまでの流れを立体的に理解できます。

柳楢悦

柳楢悦の肖像・胸像と足跡を紹介する海洋情報資料館の展示
日本の近代的な水路業務を推進した柳楢悦に関する展示。

日本の近代的な水路業務を語るうえで欠かせない人物が、柳楢悦やなぎ ならよし(1832〜1891)です。津藩士として生まれ、長崎海軍伝習所でオランダ式の航海術や測量術を学びました。幕末には伊勢・志摩・尾張沿岸の測量にも参加し、明治政府のもとで日本の水路業務を担います。

1871年に兵部省海軍部水路局が設けられると、柳は近代的な水路業務の推進に中心的な役割を果たしました。海上保安庁海洋情報部の沿革では、測量から海図作製までを一貫して行う体制を整え、「外国人を雇用せず、自力をもって外国の学問技術を選択利用し、改良進歩をはかる」という方針のもとで事業を進めた人物として紹介されています。

柳が関わった測量成果は、日本最初の海図「陸中國釜石港之圖」の刊行にもつながりました。資料館で柳の胸像や経歴、当時の海図を続けて見ると、一人の人物の経歴だけではなく、幕末に学んだ西洋式測量が明治国家の海洋調査制度へつながっていく過程を読み取れます。

古い海図を手に取り、紙袋を作る

今回の見学で特に体験的だったのが、役目を終えた海図を再利用する工作です。展示で歴史や作製技術を学んだあと、実際の海図を手に取ると、線や数字、海岸線の表現がぐっと身近になります。

古い海図を囲んで紙袋工作を楽しむ参加者
役目を終えた海図を再利用し、オリジナルの紙袋を作る工作を楽しみました。

テーブルいっぱいに海図を広げ、どの部分を紙袋の表側にするか考えながら折っていきました。地名や海岸線、航路など、切り取る場所によって完成時の表情が変わるのも面白いところです。

海図を使った紙袋工作に取り組むゆる歴史散歩会の参加者
海図を実際に手に取り、折り方を工夫しながら紙袋へ仕立てました。

参加者同士で海図を見比べながら作業を進め、最後はそれぞれの紙袋を持ち帰りました。「見る資料」だった海図を素材として手で折ることで、紙の大きさや情報量を身体感覚でも味わえる体験になりました。

海図を見る視点が変わる資料館

今回の見学では、海図の歴史、柳楢悦の足跡、六分儀や潮候推算機などの観測・計算機器、大型3D海底地形図、そして海図を使った工作まで、一つの施設の中で幅広く体験できました。

海図は完成品だけを見ると一枚の地図ですが、その背後には「海を測る」「位置を求める」「潮を予測する」「成果を図化する」という多くの技術があります。海洋情報資料館は、その積み重ねを実物から学べる場所です。歴史好きはもちろん、地図、航海、測量、科学技術史に興味がある人にも見どころの多い施設でした。

周辺の歴史散歩もあわせて

海洋情報資料館のある青海・お台場周辺から、湾岸の成り立ちをもう少し広く見てみたい方は、同じ2025年4月12日に開催した有明の埋立地の歴史とロケ地を巡る散策レポートもあわせてご覧ください。海を測り地図にする歴史と、海を埋め立てて都市をつくる歴史を続けて読むと、東京湾岸の見え方がより立体的になります。

参考資料