東京都中野区松が丘の哲学堂公園は、教育者・哲学者の井上円了が明治37年(1904)に創設した公園です。園内には四聖堂、六賢台、絶対城など、哲学の考え方を名称や形で表した建造物があります。公園全域は令和2年(2020)に国指定名勝となりました。
井上円了はどのような人物だったのか
井上円了は安政5年(1858)、現在の新潟県長岡市に生まれました。仏教を学んだ後に東京大学で哲学を修め、明治20年(1887)に哲学館を設立しました。哲学館は後の東洋大学につながる教育機関です。円了は学校教育に加え、学校に通う時間や資金のない人へ学びの機会を開くため、館外員制度や公開講義を設けました。
円了は各地へ出向く巡回講演にも力を注ぎ、哲学や道徳を専門家以外の人々へ伝えました。哲学堂公園は、そうした活動の延長で構想された場所です。明治時代には西洋の哲学が大学を通じて広まりましたが、円了は東洋の思想にも目を向け、複数の思想を比較しながら学ぶことを重視しました。
哲学堂はなぜ1904年に造られたのか
哲学堂は明治37年(1904)の四聖堂建立から始まります。四聖堂は釈迦・孔子・ソクラテス・カントの四人を東西の哲学を代表する存在として位置付けた建物です。円了は思想を文字だけで学ぶのではなく、建造物や園路を歩く体験と結び付けて理解できる場を構想しました。
四聖堂・六賢台・絶対城に込められた思想

四聖堂を中心とする台地上の「時空岡」には、朱塗りの六賢台や図書館として造られた絶対城、講義室として設けられた宇宙館などが並びます。六賢台には聖徳太子、菅原道真、荘子、朱子、龍樹、迦毘羅仙の六賢人が位置付けられています。三学亭では平田篤胤・林羅山・釈凝然を神道・儒教・仏教の代表として扱いました。
哲学堂の園内には、建物だけでなく池、石造物、園路などに哲学的な名前を与えた「七十七場」があります。公園は時空岡、唯物園、唯心庭などの空間で構成され、思想の概念を景観に表す独特の庭園となっています。
井上円了の晩年と哲学堂公園の文化財指定
円了は各地で講演を続け、1919年に中国の大連で講演中に倒れ、亡くなりました。墓所は哲学堂公園の近くにある蓮華寺に設けられています。公園は創設者の死後も受け継がれ、2009年に一部が東京都指定名勝、2020年に全域が国指定名勝となりました。四聖堂や六賢台などの建造物も中野区の有形文化財です。
哲学堂公園の周辺には、江古田古戦場や旧野方配水塔などもあります。江古田・哲学堂周辺の歴史と文化財で地域全体の史跡を紹介しています。

