品川歴史館と大森貝塚と品川宿場祭り

品川区大井にある品川歴史館の外観

大森駅の北側、品川区大井には「日本考古学発祥の地」と呼ばれる大森貝塚があります。そこから品川歴史館を経て旧東海道へ向かうと、縄文時代の海辺、江戸時代の宿場町、現代のしながわ宿場まつりを一日の散歩でたどれます。

この記事では、大森貝塚を発見したモース、日本初の学術的発掘、品川宿の仕組み、旧東海道沿いの寺社と史跡、しながわ宿場まつりまでを、現地で見る順番に沿って解説します。

このコースでたどる三つの時代

  • 縄文時代:大森貝塚から、当時の食生活と東京湾沿岸の環境を知ります。
  • 明治時代:モースの発掘と報告書から、日本の近代考古学が始まった過程をたどります。
  • 江戸時代から現代:東海道最初の宿場・品川宿の仕組みと、その歴史を受け継ぐ祭りを歩きます。

散歩コースと所要時間

前半はJR大森駅から大森貝塚遺跡庭園、品川歴史館へ向かいます。後半は大井町駅周辺から旧東海道へ出て、青物横丁から品川橋周辺まで歩きます。博物館見学を含めると半日から一日が目安です。

  1. 馬込文士村レリーフ
  2. 大森貝塚遺跡庭園
  3. 大井鹿嶋神社
  4. 品川区立品川歴史館
  5. 海晏寺から旧東海道へ
  6. 海雲寺、品川寺、天妙国寺、長徳寺、品川宿問屋場跡を経て品川橋周辺へ

大森貝塚とは

大森貝塚は、縄文時代後期から晩期にかけて形成された遺跡です。貝塚は単なる貝殻の集積ではありません。魚や獣の骨、土器、石器、装身具なども出土し、当時の食生活、道具、自然環境を復元する手掛かりになります。

モースが汽車の窓から見つけた貝層

アメリカ人動物学者エドワード・シルベスター・モースは、腕足類の研究のため1877年(明治10)に来日しました。横浜から東京へ向かう汽車の窓から、線路脇の崖に露出した貝層を見つけます。同年9月から12月に発掘を行い、1879年には英文報告書『Shell Mounds of Omori』を刊行しました。

調査の目的、出土位置、遺物を記録し、成果を報告書として公表したため、この発掘は日本最初の学術的な発掘調査と位置づけられています。大森貝塚が「日本考古学発祥の地」と呼ばれるのは、この調査方法と報告の体系性によります。

大森貝塚遺跡庭園に立つ大森貝塚碑
大森貝塚碑、2006年10月15日。撮影:DoWhile/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

なぜ「大森貝塚」が品川区にあるのか

現在の大森貝塚遺跡庭園は品川区大井にあります。一方、JR大森駅の西側には大田区の「大森貝墟碑」があります。発見当時は現在の区境がなく、貝層の広がりや発掘地点をめぐる研究も続いたため、両区に記念碑が残りました。名称だけで所在地を判断すると混乱しやすい場所です。

大森貝塚遺跡庭園で見るべきもの

東京都品川区にある大森貝塚遺跡庭園の園内景観
大森貝塚遺跡庭園、2006年10月15日。撮影:DoWhile/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

庭園内には1929年(昭和4)建立の大森貝塚碑、モース像、貝層の標本、地層を意識した展示があります。石碑だけを見て終えるより、地形にも注目してください。現在は住宅地ですが、縄文時代には海が現在より内陸側まで入り込み、海辺の資源を利用する生活が営まれていました。

発掘では土器や装身具のほか、魚や動物の骨、シカ角製の釣針なども見つかっています。貝塚は「縄文人が何を食べたか」だけでなく、漁労、狩猟、加工技術を伝える遺跡です。

品川歴史館で大森貝塚と品川宿をつなぐ

品川区立品川歴史館は1985年(昭和60)に開館し、2024年4月にリニューアルオープンしました。常設展示は原始・古代、中世、近世、近現代の四つの時代区分で構成され、資料、模型、映像を組み合わせて品川の歴史を紹介しています。

品川区大井にある品川歴史館の外観
品川歴史館。撮影:Kamemaru2000/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

大森貝塚遺跡庭園から徒歩約5分です。庭園で遺跡の位置と地形を確認した後、館内で出土品や調査資料を見ると理解しやすくなります。大森貝塚だけでなく、海に面した中世品川、東海道の品川宿、近代の鉄道と産業まで、同じ地域の変化を連続して学べる点が特徴です。

見学の優先順位

  1. 大森貝塚の出土品とモースの調査
  2. 海岸線と品川の地形が分かる展示
  3. 東海道品川宿の模型と宿場の機能
  4. 明治以降の鉄道、工場、臨海部の変化

開館時間は午前9時から午後5時までで、入館は午後4時30分までです。月曜日は原則休館ですが、祝日の場合は開館して次の平日が休館となります。企画展や臨時休館を含む最新情報は品川歴史館の来館案内で確認してください。

東海道最初の宿場・品川宿

東海道は日本橋を起点とする五街道の一つです。品川宿は日本橋から数えて最初の宿場で、江戸への出入り口として人、馬、荷物、情報が集まりました。宿場は旅行者が泊まる場所であると同時に、公用の人馬を次の宿へ継ぎ立てる交通・物流の拠点でした。

品川宿は北品川宿、南品川宿、のちに加わった歩行新宿から構成されました。現在の旧東海道は商店街となっていますが、道幅、寺社の集まり、海側へ下る地形、史跡碑から宿場町の骨格を読み取れます。

東海道の次の宿場を知ると、品川宿の役割がさらに分かります。川崎宿については東海道「川崎宿」歴史散歩ガイドもあわせてご覧ください。

旧東海道で立ち寄る寺社と史跡

海晏寺

海晏寺は1251年(建長3)、北条時頼が蘭渓道隆を迎えて開いたと伝わります。創建時は臨済宗でしたが、戦乱による焼失後、1590年(天正18)に曹洞宗寺院として再建されました。江戸時代には紅葉の名所として知られました。現在は単立寺院です。

境内には松平春嶽、岩倉具視、由利公正らの墓所がありますが、墓域は一般に公開されていません。散歩では山門と境内の景観を見学し、墓所への立ち入りは控えます。

海雲寺

海雲寺は1251年に海晏寺の塔頭として開かれたと伝わり、「品川の荒神さん」として親しまれています。千躰荒神は火と水を扱う台所の守護神として信仰され、春と秋の祭礼には多くの参詣者が訪れます。宿場町の歴史は、旅人の往来だけでなく、町に暮らす人々の信仰からも読み取れます。

品川寺

品川寺は大同年間(806~810)の開創と伝わる古寺です。入口に立つ地蔵菩薩像は江戸六地蔵の一つで、江戸へ入る旅人と江戸から旅立つ人々を見守る位置にあります。

境内の梵鐘は1867年(慶応3)のパリ万国博覧会に出品された後、海外で行方が分からなくなりました。のちにスイスのジュネーヴで発見され、1930年(昭和5)に品川へ戻ったため「洋行帰りの鐘」とも呼ばれます。

天妙国寺

天妙国寺は1285年(弘安8)、日蓮の直弟子とされる天目上人が創建したと伝わる顕本法華宗の寺院です。徳川家康は1590年の江戸入府の際に宿泊し、翌年に寺領を与えました。境内には、かつてあった五重塔の礎石が残ります。

宮川家旧宅跡と長徳寺

宮川家は江戸時代中頃から昭和末期まで精米業を営み、品川宿の商業を支えました。旅人を迎える宿場には旅籠や茶屋だけでなく、食料を加工し供給する商家も必要でした。

長徳寺は1463年(寛正4)創建と伝わる時宗寺院です。品川区指定文化財の六道絵や古文書を所蔵し、境内の閻魔堂でも知られます。寺院が信仰の場であると同時に、地域の記録を保存する場でもあったことが分かります。

東海道品川宿の石積護岸

旧東海道の東側は、かつてすぐ海でした。南品川に残る石積護岸は、現在の市街地からは想像しにくい海辺の宿場の姿を伝えます。大森貝塚で縄文時代の海を考え、品川宿で江戸時代の海岸線を見ると、この一帯が長く東京湾と結び付いてきたことが分かります。

品川宿問屋場・貫目改所跡

問屋場は、公用の旅行者や荷物のために人馬を手配し、次の宿場へ継ぎ立てる宿場行政の中心でした。貫目改所では、街道を運ぶ荷物の重量を検査しました。重量を確認したのは、馬や人足への過重な負担を防ぎ、運送条件を統一するためです。

宿場の人馬だけで不足すると、周辺の村々が助郷として人馬を提供しました。助郷の負担は重く、宿駅制度が成り立つ一方で、近隣農村に大きな負担を求める仕組みでもありました。

旧品川警察署品川橋交通待機所

品川橋の近くにある建物は、1929年(昭和4)に品川警察署品川橋巡査派出所として建てられました。現在は南品川櫻河岸まちなか観光案内所として活用されています。江戸の宿場道に、昭和初期の近代建築が重なる場所です。

しながわ宿場まつりとは

しながわ宿場まつりは、北品川から青物横丁付近まで、旧東海道約2キロを会場に開かれる地域の祭りです。東海道五十三次の最初の宿場だった品川宿を舞台に、行列、ステージ、地域の出店などが行われます。

祭りの日は、普段は生活道路と商店街である旧東海道が、宿場町の歴史を共有する場へ変わります。華やかな行列だけでなく、問屋場跡、寺社、石積護岸、旧交番を事前に見ておくと、祭りが開かれる場所そのものの意味を理解できます。

2026年は9月26日(土)と27日(日)の開催が発表されています。内容、時間、交通規制は変更される場合があるため、来場前にしながわ宿場まつり公式サイトをご確認ください。会場専用の駐車場・駐輪場はなく、公共交通機関の利用が案内されています。

散歩をより深く楽しむ三つの視点

  1. 海岸線を見る:大森貝塚の高台と、旧東海道東側の低地・石積護岸を比べます。
  2. 交通の仕組みを見る:明治の鉄道がモースの発見を生み、江戸の宿駅制度が品川宿を発展させました。
  3. 現地に残るものを見る:石碑、礎石、護岸、道幅、寺社の位置など、建物が失われても残る痕跡を探します。

東京の街歩きコースをさらに探す場合は、東京歴史散歩おすすめコース集解説記事一覧もご利用ください。

TimeWalkで近くの歴史スポットを探す

TimeWalkは、現在地の近くにある歴史スポットや街歩きコースを探せるガイドです。地図を見ながら歩く順番を確認でき、各スポットの解説もその場で読めます。

品川周辺では、旧東海道や高輪・北品川の史跡を巡るコースも公開しています。この記事で大森貝塚と品川宿の背景を知った後、現地ではTimeWalkを開いて、周辺の史跡を自分のペースで歩いてみてください。

参考資料

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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