池袋駅西口を出て、南池袋から東池袋へ。巨大ターミナルの周囲には、教員を育てた学校、鉄道教育の拠点、地名の由来に結び付く池、空襲の記憶、造幣局、巣鴨プリズンまで、東京の近現代史をたどれる場所がまとまっています。
2023年11月17日、ゆる歴史散歩会ではこの8地点を夜に歩きました。現在の街並みの中に残る碑や公園をつなぐと、池袋が郊外の一駅から副都心へ変わっていった過程が、歩ける距離の中に重なっていることがわかります。
池袋の歴史散歩コース
コースは池袋駅西側から南へ回り、線路を越えて東池袋へ向かいます。各地点名からGoogleマップを開けます。
- 東京府豊島師範学校発祥之地
- 東京鉄道教習所跡の動輪
- 元池袋史跡公園「池袋地名ゆかりの池」碑
- びっくりガード
- 豊島区空襲犠牲者哀悼の碑
- 東池袋自動車事故慰霊碑
- 造幣局東京支局跡・IKE・SUNPARK
- 巣鴨プリズン跡慰霊碑「永久平和を願って」
池袋駅そのものの成立や、東武・西武、百貨店、戦後の闇市まで詳しく知りたい方は、「池袋駅の歴史|東武・西武・闇市・百貨店が作った巨大ターミナル」で詳しく紹介しています。
池袋は1903年の駅開業から大きく変わった
池袋駅が開業したのは1903年です。鉄道が通ると人口が増え、明治末から大正期にかけて学校も移ってきました。豊島師範学校、立教大学、自由学園などが西側に集まり、池袋は学生の街としても発展します。
1930年代には、要町・長崎・千早方面に若い芸術家のアトリエが集まり、「池袋モンパルナス」と呼ばれる文化圏が生まれました。1945年には空襲で大きな被害を受け、戦後は駅周辺の商業化と再開発が進みます。1978年には、旧巣鴨プリズンの跡地にサンシャインシティが開業しました。
1. 東京府豊島師範学校発祥之地
池袋西口公園の一角には「東京府豊島師範学校発祥之地」の碑があります。東京府は1908年に豊島師範学校の設置を告示し、1909年に開校しました。当時は東京の人口増加と義務教育の広がりで教員需要が高まり、教員を養成する師範学校の拡充が必要になっていました。
1943年には東京第二師範学校男子部となり、1945年の空襲で校舎を焼失しました。その系譜は戦後の東京学芸大学へつながります。繁華街の西口に残る小さな碑は、池袋が文教地区として成長した時代を伝えています。
2. 東京鉄道教習所跡の動輪
池袋駅西側には、鉄道教育の歴史を伝える動輪があります。1924年、東京鉄道中学は池袋の東京鉄道教習所内へ移転しました。鉄道網が東京郊外へ伸びていく時代、池袋は利用者が乗り換える駅であると同時に、鉄道を支える人材を育てる場所でもありました。
豊島師範学校と鉄道教習所の痕跡が近い場所に残っているため、西口だけでも「教育の街」としての池袋をたどれます。
3. 元池袋史跡公園と「池袋地名ゆかりの池」
池袋駅西口の元池袋史跡公園には、「池袋地名ゆかりの池」の碑があります。この付近にはかつて「丸池」と呼ばれる湧水池があり、弦巻川の水源の一つでした。豊島区は、この丸池が「池袋」という地名の由来になったとも伝えています。

現在は駅前のビルや道路に囲まれ、水の流れは地上から姿を消しています。丸池から雑司が谷・護国寺方面へ続いた川筋は、「弦巻川跡を歩く|池袋西口から雑司が谷・護国寺へ暗渠をたどる歴史散歩レポート」で実際に歩いています。
4. びっくりガード
池袋駅の南側で線路をくぐる架道橋は、「びっくりガード」の愛称で知られています。JRや私鉄の線路が南北に走る池袋では、鉄道が東西の市街地を大きく分けてきました。このガードを通ると、西口側の文教地区から南池袋、東池袋へ徒歩で抜けられます。
池袋を地図だけで見ると東口と西口は隣り合っていますが、実際に歩くと線路が街の構造を決めていることがよくわかります。
5. 南池袋公園と城北大空襲
南池袋公園には「豊島区空襲犠牲者哀悼の碑」があります。1945年4月13日深夜から14日未明にかけての城北大空襲で、豊島区では778人が死亡し、3万4000戸が全焼、16万1661人が被災しました。
現在の南池袋公園一帯は、当時「根津山」と呼ばれた地域の一部です。空襲後、多くの犠牲者がこの付近へ運ばれ、一時的に埋葬されました。1995年、戦後50年にあわせて哀悼の碑が設置され、毎年4月13日には追悼の集いが行われています。
6. 東池袋自動車事故慰霊碑
東池袋の日出町第二公園には、2019年4月19日に起きた自動車事故の慰霊碑があります。この事故では母子2人が亡くなり、10人が負傷しました。2020年7月に完成した慰霊碑は「つぼみ」を意匠に取り入れ、亡くなった方への追悼と交通安全への願いを表しています。
明治・大正・昭和の史跡をたどってきた散歩道に、平成末期の出来事を記憶する場所が加わっています。街の歴史は過去の遺構だけでなく、現在も積み重なっています。
7. 造幣局東京支局跡とIKE・SUNPARK
東池袋には、かつて造幣局東京支局がありました。造幣局は1939年に東京出張所を豊島区へ移し、1941年から貨幣製造を開始、1943年に東京支局となりました。長く貨幣や勲章などの製造を担ったのち、2016年にさいたま市へ移転しました。

跡地の一部は2020年に「としまみどりの防災公園(IKE・SUNPARK)」として開園しました。工場だった土地が大規模公園へ変わった場所で、造幣局時代から親しまれた桜も、東池袋の土地の記憶をつないでいます。
8. 巣鴨プリズン跡とサンシャインシティ
サンシャインシティと東池袋中央公園の一帯には、1895年に巣鴨監獄が設けられました。その後、巣鴨刑務所、東京拘置所と名称や役割を変え、戦後は「巣鴨プリズン」として使われました。

東京拘置所は1971年に小菅へ移転し、跡地では再開発が進みました。1978年にサンシャインシティが開業し、かつての刑務所の景観は大きく姿を変えました。東池袋中央公園には慰霊碑「永久平和を願って」が残り、繁華街のすぐそばで土地の履歴を伝えています。
寄り道:自由学園明日館
西口側で立ち寄りたい建築が自由学園明日館です。自由学園は1921年、羽仁もと子と羽仁吉一によって創立され、校舎はフランク・ロイド・ライトと遠藤新が設計しました。学校が1934年に東久留米へ移転した後も建物は残り、1997年に国の重要文化財に指定されています。

豊島師範学校や立教大学とあわせて見ると、20世紀初頭の池袋西側に学校が集まり、学生街が形づくられていった流れが立体的になります。建物の公開時間は時期によって変わるため、夜の散歩では外観を中心に楽しめます。
池袋モンパルナス──繁華街の前にあった文化圏
1930年代、池袋駅の西側から要町・長崎・千早にかけて、若い芸術家向けのアトリエ村が形成されました。画家や彫刻家、詩人、映画人、立教大学の学生らが池袋周辺で交流し、この文化圏は「池袋モンパルナス」と呼ばれるようになります。
今回の8地点は駅周辺を南から東へ回るため、アトリエ村跡そのものまでは入りません。それでも、豊島師範学校や自由学園の存在とあわせると、戦前の池袋が教育と文化の拠点でもあったことが見えてきます。
2023年11月17日の池袋ナイトウォーク
ゆる歴史散歩会では2023年11月17日、池袋駅周辺の8地点をたどるナイトウォークを開催しました。昼間は人通りの多い駅前も、碑や公園を一つずつ訪ねると、学校、鉄道、水路、戦争、産業、再開発という異なる時代の痕跡が近距離に重なっていることを体感できます。


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