三河島・新三河島の歴史を歩く|三河島事故・三河島事件・浄正寺をめぐる街歩き

浄正寺にある三河島事故慰霊碑

三河島・新三河島周辺には、中世から続く寺院や江戸の農村文化、1923年の大相撲争議「三河島事件」、1962年の国鉄「三河島事故」の記憶が重なっています。現在の荒川区荒川・町屋・西日暮里にまたがる地域を歩くと、駅名に残った「三河島」という旧地名と、近代東京の変化をたどれます。

三河島とはどんな場所か

三河島は、現在の荒川区中央部にあたる旧地名です。荒川区の資料では、三河島の名は戦国時代にはすでに確認でき、法界寺や浄正寺には室町時代の板碑が伝わっています。江戸時代には寛永寺領となり、武家屋敷に出入りする植木職人も多く住みました。

農産物では「三河島菜」が知られています。江戸を代表する漬菜の一つで、将軍の鷹狩りの際に献上された記録があります。のちに白菜の普及などで栽培が途絶えましたが、現在は子孫種をもとに「青茎三河島菜」として復活しています。

1932年に荒川区が成立すると、旧三河島町の地域は区の中央部を占めるようになりました。現在は「三河島」という町名はありませんが、JR常磐線の三河島駅と京成本線の新三河島駅に名が残っています。隣接する町屋の歴史は、荒川区町屋の街歩き記事でも紹介しています。

荒川(あらかわ) 西尾久(にしおぐ) 西日暮里(にしにっぽり) 東尾久(ひがしおぐ) 東日暮里(ひがしにっぽり) 町屋(まちや) 南千住(みなみせんじゅ)

1923年の三河島事件|力士の待遇改善を求めた争議

三河島事件は、1923年1月に東京大相撲で起きた待遇改善をめぐる争議です。十両以上の力士でつくる力士会が、大日本相撲協会に養老金などの改善を要求しました。交渉がまとまらず、関取と行司らが春場所をボイコットし、三河島の日本電解工業の工場へ移りました。

警視総監の赤池濃が調停し、1月18日に和解が成立しました。国立国会図書館の相撲史年表では、この争議を契機に養老金増額などの財源を確保するため、興行日数が1日増えて11日間になったとされています。三河島事件は、相撲の興行制度と力士の待遇が変わる契機の一つになりました。

1962年の三河島事故|三つの列車が関係した多重衝突

三河島事故は、1962年5月3日夜、国鉄常磐線三河島駅構内で発生した列車脱線・多重衝突事故です。死者160人、負傷者296人を出し、戦後の国鉄を代表する重大事故の一つとなりました。

  1. 21時37分ごろ、貨物列車が停止信号を冒進して安全側線へ入り、脱線しました。脱線した車両の一部が下り本線を支障しました。
  2. 直後に、上野発取手行きの下り普通電車が貨物列車に衝突して脱線し、一部車両が上り本線を支障しました。
  3. 約6分後、取手発上野行きの上り普通電車が、上り本線を支障していた車両に衝突しました。線路上へ避難していた乗客も事故に巻き込まれ、被害が拡大しました。

なぜ三河島事故の被害は大きくなったのか

最初の脱線だけで終わらず、下り電車、さらに上り電車へと衝突が連鎖したことが被害を大きくしました。脱線や衝突で隣接線を支障した場合、別の列車を事故現場へ進入させない「列車防護」が二次被害を防ぐ鍵になります。国土交通省の技術基準検討資料でも、三河島駅事故のような重大事故を踏まえ、運転士のミスをバックアップする設備と、脱線時に隣接線の列車との衝突を防ぐ措置の重要性が整理されています。

事故後に進んだATSの整備

三河島事故は、日本の鉄道安全対策を進める大きな契機になりました。運輸安全委員会の検証資料では、自動列車停止装置(ATS)は三河島事故を契機として、停止信号の冒進に対して列車を制御する目的で開発・導入されたとされています。国鉄は整備を進め、1966年4月から在来線全線でATSの使用を開始しました。

浄正寺に残る三河島事故の記憶

三河島駅の北東にある浄正寺には、事故犠牲者を慰霊する「三河島事故慰霊碑」と観音像があります。事故から1年後に慰霊施設が建立され、現在も事故の記憶を伝えています。

浄正寺にある三河島事故慰霊碑
三河島事故慰霊碑、2020年。撮影:あばさー/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

三河島から新三河島へ歩く見どころ

日暮里駅から三河島駅、新三河島駅を経て西日暮里へ向かうと、鉄道史、寺院、旧地名の痕跡を続けて見られます。各地点名のリンクはGoogleマップです。

  1. 日暮里駅前イベント広場
  2. 国鉄労働組合東京地方本部
    常磐線と京浜東北線の間にある鉄道関係の地点です。
  3. 髪結処ゆるり
    京成本線と常磐線の間の路地を歩きます。
  4. せせらぎの小路
  5. アトラスブランズタワー三河島
  6. 三河島駅
    1962年の三河島事故が起きた駅です。
  7. JR常磐線三河島駅のホーム
    三河島駅ホーム、2025年。撮影:Nesnad/Wikimedia Commons/CC BY 4.0。
  8. 浄正寺
    室町時代の板碑が伝わる浄土宗寺院です。境内には三河島事故慰霊碑と観音像があり、旧三河島の歴史と1962年の事故の記憶を同じ場所で確認できます。
  9. 宮地交差点(旧ロータリー)
    宮地の地名は近くの三河島稲荷神社(宮地稲荷)に由来すると伝わります。交差点周辺には、近代の道路整備と旧地名の痕跡が残ります。
  10. 新三河島駅
  11. 京成本線新三河島駅の駅名標
    新三河島駅の駅名標、2017年。撮影:LERK/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。
  12. 北島商店跡
    競泳の北島康介さんの実家として知られた精肉店の跡です。北島商店は2023年1月に閉店しました。
  13. パブ 茉莉花
    貨物線の小さな踏切付近を通ります。
  14. JR西日暮里駅

三河島・日暮里周辺に形成された在日コリアン集住地の背景は、東京のコリアンタウンと在日コリアン集住地の歴史で詳しく解説しています。西日暮里からさらに歩く場合は、西日暮里・千駄木・本駒込の歴史散歩もつなげられます。

三河島事故と三河島事件の違い

名称は似ていますが、別の出来事です。三河島事件は1923年に起きた大相撲の待遇改善をめぐる争議、三河島事故は1962年に国鉄常磐線で起きた列車多重衝突事故です。どちらも三河島という地名で呼ばれていますが、内容も時代も異なります。

参考資料

TimeWalkで三河島周辺の歴史スポットを探す

TimeWalkは、現在地の近くにある史跡・神社仏閣・記念碑などを探せる街歩きWebアプリです。インストール不要で、スマートフォンのブラウザから利用できます。三河島・新三河島を歩くときも、周辺の歴史スポットを距離順に確認しながら寄り道できます。

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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