竜閑川跡を歩く|神田・日本橋の暗渠、龍閑橋・丸石ビルディングをたどる

竜閑川に架かっていた龍閑橋の欄干と親柱

神田と日本橋の境には、かつて竜閑川りゅうかんがわという掘割がありました。現在は水面が消え、細い路地や区境、橋の名、建築の立地にその痕跡が残っています。日本橋川沿いから竜閑川跡を東へたどると、江戸の防火と水運、明治の都市改造、戦後復興まで、東京の都市史を一本の川筋から追うことができます。

見どころは、日本初の鉄筋コンクリートトラス橋として知られる龍閑橋の遺構、旧河道沿いに建つ丸石ビルディング、今川橋・地蔵橋・甚兵衛橋などの橋跡、そして浜町川へつながる流路です。

今回のコース概要

竜閑川りゅうかんがわの西端に近い日本橋川沿いから、中央区と千代田区の区境を東へたどり、浜町川へつながる地点まで歩きます。以下のリンクは各地点のGoogleマップです。

  1. 常盤橋公園
  2. 竜閑さくら橋
  3. 龍閑橋親柱・橋桁
  4. 丸石ビルディング
  5. 地蔵橋公園
  6. 神田八丁堀跡
  7. 甚兵衛橋跡
  8. 龍閑児童遊園
  9. 緑橋跡(浜町川)

2025年4月14日開催レポート|13名で夜の竜閑川跡をたどる

2025年4月14日(月)19時から、「千代田区にかつて存在した河川『竜閑川りゅうかんがわ』を史跡巡りしながら歩いてみよう!」を開催しました。参加者は13名。集合場所は常盤橋公園で、写真に残る主な地点として、大手町二丁目、竜閑さくら橋、地蔵橋公園、丸石ビルディング、石町時の鐘をたどりました。水面のない旧河道を、橋名・公園名・区境・建築から読み解いていく夜の歴史散歩です。

集合は常盤橋公園|江戸城外郭の常盤橋門跡からスタート

集合した常盤橋門跡ときわばしもんあとは、江戸城外郭の枡形門の一つです。千代田区観光協会は、寛永6年(1629)に築かれ、奥州街道へ通じる重要な出入口だったと紹介しています。門そのものは明治期に撤去されましたが、現在も石垣が残り、国指定史跡として保存されています。夜間は石垣が照明に浮かび上がり、近代的な大手町の高層建築と江戸城外郭の遺構を同時に見られる場所です。

夜の常盤橋公園に残る常盤橋門跡の石垣
2025年4月14日、集合場所の常盤橋公園。国指定史跡・常盤橋門跡の石垣を見ながら、竜閑川跡をたどる夜の歴史散歩を始めました。

大手町二丁目|高架と再開発の街並みを歩く

大手町おおてまち二丁目では、高架や大規模建築が重なる現在の都心を歩きました。竜閑川の水面は残っていませんが、旧河道周辺では道路や区境、橋名に歴史の痕跡が残ります。夜の街を連なって歩く写真からも、現在の都市インフラの中で失われた水路を探す、この散歩ならではの視点が伝わります。

大手町二丁目の高架下を歩く参加者たち
大手町二丁目を歩く参加者。高架や再開発の街並みの中を進み、かつての水路と現在の都市動線を重ねて見ていきます。
夜の大手町二丁目を歩く歴史散歩の参加者
大手町二丁目を進む一行。現在の道路・高架・建物の配置を手がかりに、旧河道周辺の地形を確認しました。

竜閑さくら橋|新しい歩行者橋に残る古い水路名

竜閑りゅうかんさくら橋は、日本橋川をまたいで大手町と神田・日本橋側を結ぶ歩行者専用橋です。UR都市機構は、大手町二丁目地区の再開発事業で、大手町と日本橋・神田を結ぶ公共動線として整備した橋と説明しています。千代田区の橋梁資料では2018年架橋、橋長122.04メートル、幅員7メートル。新しい橋ですが、「竜閑」という歴史地名を現在の都市動線に引き継いでいる点が、この散歩のテーマとよく重なります。

夜の竜閑さくら橋を渡る参加者たち
日本橋川に架かる竜閑さくら橋。大手町と神田・日本橋側を結ぶ歩行者専用橋で、地域に残る「竜閑」の名を現在へ伝えています。

地蔵橋公園|橋の名と夜桜に旧河道の記憶を見る

地蔵橋じぞうばしは、かつて竜閑川に架かっていた橋の一つです。川が埋め立てられた後も「地蔵橋公園」という名称に橋名が残り、現地で旧河道を追う重要な手がかりになっています。開催日は桜が咲いており、夜の街歩きの途中で季節の景色も楽しめるタイミングでした。

地蔵橋公園で咲く八重桜の夜景
地蔵橋公園では桜が咲いていました。かつて竜閑川を渡った「地蔵橋」の名が、公園名として今も残っています。

丸石ビルディング|旧竜閑川沿いに残る1931年の建築

丸石まるいしビルディングは、文化庁の国指定文化財等データベースに「太洋ビルディング(丸石ビルディング)」として登録される国登録有形文化財です。昭和6年(1931)竣工、昭和8年(1933)増築で、設計は山下寿郎。文化庁は所有者を株式会社太洋商会とし、旧龍閑川沿いに立地するオフィスビルと説明しています。1階の石張り、連続するアーチ、動植物のレリーフなど、夜でも立体感のある装飾が目を引きます。川そのものが消えた後も、建物の位置が旧河道を考える目印になります。

夜の丸石ビルディング正面入口とアーチ装飾
1931年竣工の丸石ビルディング。旧竜閑川沿いに建つ国登録有形文化財で、アーチや動植物のレリーフなど外観の装飾を観察しました。

石町時の鐘|工事中の鐘楼から江戸の時刻制度を知る

石町こくちょう時の鐘は、江戸府内で時刻を知らせた「時の鐘」のうち、本石町三丁目に置かれた鐘の系譜を伝える文化財です。中央区によると、現在の鐘は宝永8年(1711)の改鋳と考えられ、高さ約1.7メートル、口径約93センチ。関東大震災後に十思公園へ移され、現在も保存されています。開催当日は鐘楼周辺が工事中で、足場越しにその姿を確認しました。史跡散歩では、通常時とは異なる現地の状態もその日の記録になります。

工事中の石町時の鐘の鐘楼
十思公園の「石町時の鐘」は開催時、鐘楼周辺が工事中でした。江戸の町に時刻を知らせた鐘の歴史を現地で確認しました。

今回の散歩は、「川がない場所で、どうやって川を読むか」が大きなテーマでした。常盤橋門跡の石垣から始まり、現代の歩行者橋、旧橋名を残す公園、旧河道沿いの近代建築、江戸の時刻制度を伝える鐘まで、異なる時代の痕跡をつなぐことで、神田・日本橋の都市史を立体的に見ていくことができました。

竜閑川とは|神田と日本橋の境を流れた掘割

竜閑川りゅうかんがわは、江戸城外堀につながる日本橋川側から東へ延び、神田と日本橋の境を流れて浜町川へつながっていた人工の水路です。現在も旧河道の多くが千代田区と中央区の区境になっています。千代田区の町名由来板も、江戸時代からこの川筋が神田と日本橋の境界で、現在の区境に受け継がれていると説明しています。

明暦3年(1657)の大火後、江戸では火除地や防火のための空間が整備されました。竜閑川の成立時期については資料に差があり、千代田区の「町名由来板:岩本町一丁目」は、古地図にある川筋が大火翌年の万治元年(1658)に造られたと説明しています。一方、後世の地域史資料には元禄4年(1691)ごろに町人の負担で掘割が整えられたとする記述もあります。そのため本記事では、一つの年に断定するよりも、明暦の大火後の防火対策を背景に17世紀後半へ整備が進んだ水路として捉えます。竜閑橋より東の掘割は「神田八丁堀」などとも呼ばれ、神田と日本橋の境を形づくりました。

安政4年(1857)には大部分が埋め立てられましたが、明治16年(1883)に再び開削されました。近代東京で下水や舟運の整備が進む時期に水路が復活し、浜町川も神田川側へ延長されます。竜閑川は江戸の掘割から明治の都市インフラへ役割を変えながら使われました。

戦後は復興事業の残土処理の対象となり、昭和25年(1950)に埋め立てられました。中央区の戦後復興資料には、龍閑川が昭和25年に埋め立てられた掘割の一つとして記録されています。水路は消えましたが、細長い道筋と区境が旧河道をそのまま伝えています。

「竜閑」の名はどこから来たのか

竜閑りゅうかんの名は、川の西端近くに屋敷があったとされる幕府の殿中接待役・井上龍閑いのうえりゅうかんに由来すると伝わります。龍閑橋の名が残り、のちに水路も竜閑川と呼ばれるようになりました。現在も「竜閑橋」「竜閑さくら橋」「龍閑児童遊園」など、周辺の地名や施設名にその名が残っています。

常盤橋公園から竜閑さくら橋へ|日本橋川から旧河道を探す

常盤橋公園ときわばしこうえん周辺は、日本橋川と江戸城外郭の歴史を感じられる場所です。ここから日本橋川沿いを進むと、竜閑川の西端に近づきます。現在の竜閑さくら橋は大手町側と日本橋本石町側を結ぶ歩行者動線で、「竜閑」という古い水路名を現代の橋名に受け継いでいます。

2017年に建設中だった竜閑さくら橋と日本橋川
建設中の竜閑さくら橋、2017年。撮影:Ka23 13/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

日本橋川そのものを上流から歩くなら、水道橋から日本橋まで日本橋川を歩く|江戸城外濠・河岸・水運の歴史散歩で、常盤橋門跡や日本橋川の河岸、水運の歴史を詳しく紹介しています。

龍閑橋の遺構|日本初の鉄筋コンクリートトラス橋

龍閑橋りゅうかんばしは、大正15年(1926)に架け替えられた鉄筋コンクリート製のトラス橋です。現地の保存標示や中央区観光協会の資料では、日本初の鉄筋コンクリートトラス橋と紹介されています。橋長10.5メートル、幅員27メートルの橋で、現在は親柱と橋桁の一部が保存されています。

竜閑川に架かっていた龍閑橋の欄干と親柱
かつて竜閑川に架かっていた龍閑橋の欄干と親柱。橋が失われた現在も遺構が保存され、旧河道の位置と近代橋梁の姿を伝えています。

水面が消えた現在、ここは竜閑川を実感しやすい地点です。親柱と橋桁の位置から東へ続く細い道を見ると、道路幅や街区の切れ方が周囲と異なり、旧河道の線を追えます。

丸石ビルディング|旧竜閑川沿いに残る1931年の建築

丸石まるいしビルディングは昭和6年(1931)竣工、昭和8年(1933)増築の鉄骨鉄筋コンクリート造オフィスビルで、国の登録有形文化財です。設計は山下寿郎。文化庁のデータベースでも、中央区との区境にあたる旧龍閑川沿いに立地する建物として紹介されています。

1階は石張り、2階以上はスクラッチタイルが中心で、1階のアーチや柱頭には動植物のレリーフが施されています。川が埋め立てられた後も建物は残り、旧河道の位置を知る目印になっています。外観を見るときは、アーチが連続する1階と、上層部のテラコッタ装飾に注目すると建築の特徴をつかみやすくなります。

今川橋・地蔵橋・神田八丁堀|橋名から川筋を読む

今川橋いまがわばしや地蔵橋の周辺では、かつて竜閑川を横切る橋が架かっていました。中央区の戦後復興資料には、西から龍閑橋、白旗橋、西仲之橋、今川橋、東仲之橋、地蔵橋、火除橋、九道橋、甚兵衛橋、玉出橋などの名が記録されています。現在の交差点名や公園名を順に追うと、水路の位置を地上の名前から復元できます。

以下の2枚は、2025年4月14日の開催時ではなく、別日に実施した竜閑川跡の歴史散歩で撮影した参考写真です。竜閑川が埋め立てられた現在は、細い道路や高架下の歩行空間などをたどることで、かつての水路が街の中をどのように通っていたのかを実感できます。

別日開催の竜閑川跡散歩で旧河道の細い道を歩く参加者
【参考写真】別日に開催した竜閑川跡の歴史散歩。現在は道路となった旧河道の細い道を歩き、街区や区境に残る川筋の痕跡をたどりました。
別日開催の竜閑川跡散歩で高架下の歩道を進む参加者
【参考写真】別日に開催した竜閑川跡の歴史散歩。高架や道路など現在の都市空間の中で、かつての水路の位置を確かめながら歩いたときの様子です。

「神田八丁堀」という呼び名は、この掘割がおよそ八丁の長さを持ったことに由来します。周辺には蔵地や職人町が並び、水路は荷を運ぶ通路であると同時に、火除地と町場を分ける都市施設でもありました。

神田駅東側の職人町や町名の歴史は、神田紺屋町・乗物町と藍染川跡を歩く歴史散歩で、藍染め、古着市場、町名の由来とあわせて紹介しています。

甚兵衛橋跡から龍閑児童遊園へ|区境に残った川の線

甚兵衛橋じんべえばし跡から東へ進むと、竜閑川跡はさらに細い道筋として続きます。旧河道が現在の区境として残ることを、もっとも分かりやすく実感できる地点の一つがこの公園です。見た目は一続きの空間ですが、千代田区側は「龍閑児童公園」、中央区側は「龍閑児童遊園」という別の名称になっています。千代田区の広報でも、公園内に区境があり、園内にはかつての竜閑川を感じさせる小さな橋が架かっていると紹介されています。

千代田区立龍閑児童公園と中央区立龍閑児童遊園の境界にある小橋のモニュメント
千代田区立龍閑児童公園と中央区立龍閑児童遊園の境界付近。園内には、かつてこの場所に竜閑川が流れていたことを感じさせる小さな橋のモニュメントがあります。

写真の小橋は、現在ここに川が流れているわけではないのに「橋」という形を残しており、旧河道を視覚的に読み取る手がかりになります。中央区観光協会の記録でも、この公園付近は竜閑川と浜町川が接続していた場所として紹介され、写真の橋を挟んで千代田区と中央区に分かれる様子が確認されています。川が埋め立てられても行政界は残ったため、竜閑川跡の散歩では、史跡碑だけでなく公園名、住居表示、区境標、こうした小さな造形物も重要な手がかりになります。

浜町川へ|竜閑川の先に続く水路網

浜町川はまちょうがわは、竜閑川から分かれて南東へ延び、箱崎川方面へつながっていた掘割です。明治16年には北側が神田川まで延長され、竜閑川とともに神田・日本橋の水運を支える水路網を形成しました。戦後は段階的に埋め立てられ、現在は道路や緑道に姿を変えています。

龍閑児童遊園から先へ浜町川跡をたどり、馬喰町・小伝馬町・人形町まで歩くルートは、浜町川の暗渠を歩く|岩本町・馬喰町・小伝馬町・人形町の歴史散歩で詳しく紹介しています。竜閑川と浜町川を続けて歩くと、江戸の水運と現在の問屋街・道路網の関係がつながります。

竜閑川跡を歩くときに見るポイント

  • 千代田区と中央区の区境に沿う細い道筋
  • 龍閑橋・今川橋・地蔵橋・甚兵衛橋など、橋名を受け継ぐ地名や公園
  • 龍閑橋の親柱と橋桁
  • 旧河道沿いに建つ丸石ビルディング
  • 龍閑児童遊園付近で浜町川へつながる水路の形

現在地から歴史スポットを探す

TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探せるWebアプリです。竜閑川跡のように、史跡の間を歩きながら街の歴史をたどる散歩とも相性があります。現在地から歩ける史跡を地図で探すことができます。

参考資料

水面がなくなった竜閑川は、橋の遺構、建築、区境、細い道筋をつなぐと輪郭が戻ります。神田と日本橋の境を東へ歩くことで、江戸の防火と水運、明治の都市整備、戦後復興が同じ場所に重なっていることを現地で確かめられます。