大手町一丁目~二丁目ナイトウォーク

【紫色:主な見附 白色:主なスポット 青色:現在の主要線路】見附とは見張り番所がある城門のことで、江戸城の見附は主に枡形門と堀に架けられた橋が一体となったものが多かった。実際は36以上あったが俗に江戸城三十六見附と呼ばれている。現在でも一部残っている。
飯田橋(いいだばし) 一番町(いちばんちょう) 岩本町(いわもとちょう) 内神田(うちかんだ) 内幸町(うちさいわいちょう) 大手町(おおてまち) 鍛冶町(かじちょう) 霞が関(かすみがせき) 神田相生町(かんだあいおいちょう) 神田淡路町(かんだあわじちょう) 神田和泉町(かんだいずみちょう) 神田岩本町(かんだいわもとちょう) 神田小川町(かんだおがわまち) 神田鍛冶町(かんだかじちょう) 神田北乗物町(かんだきたのりものちょう) 神田紺屋町(かんだこんやちょう) 神田佐久間河岸(かんださくまがし) 神田佐久間町(かんださくまちょう) 神田猿楽町(かんださるがくちょう) 神田神保町(かんだじんぼうちょう) 神田須田町(かんだすだちょう) 神田駿河台(かんだするがだい) 神田多町(かんだたちょう) 神田司町(かんだつかさまち) 神田富山町(かんだとみやまちょう) 神田錦町(かんだにしきちょう) 神田西福田町(かんだにしふくだちょう) 神田練塀町(かんだねりべいちょう) 神田花岡町(かんだはなおかちょう) 神田東紺屋町(かんだひがしこんやちょう) 神田東松下町(かんだひがしまつしたちょう) 神田平河町(かんだひらかわちょう) 神田松永町(かんだまつながちょう) 神田美倉町(かんだみくらちょう) 神田三崎町(かんだみさきちょう) 神田美土代町(かんだみとしろちょう) 紀尾井町(きおいちょう) 北の丸公園(きたのまるこうえん) 九段南(くだんみなみ) 九段北(くだんきた) 皇居外苑(こうきょがいえん) 麹町(こうじまち) 五番町(ごばんちょう) 三番町(さんばんちょう) 外神田(そとかんだ) 千代田(ちよだ) 永田町(ながたちょう) 西神田(にしかんだ) 二番町(にばんちょう) 隼町(はやぶさちょう) 東神田(ひがしかんだ) 一ツ橋(ひとつばし) 日比谷公園(ひびやこうえん) 平河町(ひらかわちょう) 富士見(ふじみ) 丸の内(まるのうち) 有楽町(ゆうらくちょう) 四番町(よんばんちょう) 六番町(ろくばんちょう)

千代田区大手町

大手町一丁目および大手町二丁目がある。丸の内とともに、政府系金融機関・都市銀行(メガバンク)・総合商社・全国紙といった大企業の本社・本店が集積する東京屈指のオフィス街・中心業務地区(CBD)として発展している。

陸軍軍馬局(後の軍馬補充部)があった国有地に大手町合同庁舎が3棟建設された。建物の老朽化もあり、2000年には合同庁舎に入居する機関の大半がさいたま新都心(埼玉県さいたま市)に建設された「さいたま新都心合同庁舎」に移転。

当時大手町には開発できる敷地がなく、新興ビジネス街の品川(港区港南)などに本社を移す企業が増えていたことから、大手町をビジネス拠点として再整備するために、大手町連鎖型都市再生プロジェクトが始まった。

地名の由来

一般的に「大手町」は、城郭の大手門の前の町を指す名称である。当地は江戸城の大手門の前であったため、名称の由来となった。

歴史

この辺りは平川の河口部分、神田山の尾根の先に当たり、芝崎村と呼ばれていた。

1590年、徳川家康の入府後、日比谷入江が埋め立てられ大手前と呼ばれた。江戸時代には姫路藩酒井氏、福井藩松平氏、小倉藩小笠原氏などの大名屋敷が連なっていた。

明治維新後、武家屋敷は取り壊され、内務省・大蔵省・文部省・大蔵省印刷局などが建設され、官庁街となった。

1952年(昭和27年)、分散していた中央官庁を霞が関に集中させる都市計画が決定され、多くの敷地が民間に払い下げられ、高度経済成長期におけるビルの新築ラッシュにより、官庁街はオフィスビル街へと様変わりした。

今回いくところ

以下のリンクはGoogleマップのリンクです。マップの保存をしていれば説明がみれます。マップの保存についてはこちら

  1. セブン-イレブン 常盤橋タワー3F店
  2. 道三橋跡
  3. 越前福井藩邸跡
  4. 庄内藩酒井家神田橋上屋敷跡
  5. 東京箱根間往復大学駅伝競走スタート地点
  6. 大手町の森
  7. 日本歯科大学発祥の地の碑
  8. 市内最初の並木
  9. 将門塚
  10. 和気清麻呂像
  11. 一橋徳川家屋敷跡