喜多見の歴史を歩く|江戸氏・喜多見氏と慶元寺、次大夫堀公園の史跡

世田谷区喜多見にある慶元寺の山門

世田谷区喜多見には、東京の地名「江戸」と直接つながる武士の歴史が残っています。江戸氏は中世に江戸を本拠とした一族で、15世紀半ばに喜多見へ移り、のちに喜多見氏を名乗りました。現在も慶元寺、須賀神社、喜多見氷川神社、次大夫堀公園民家園などを歩くと、中世の武士、江戸時代の農村、地域の信仰が同じ土地に重なっていることが分かります。

喜多見は世田谷区の西部、多摩川に近い地域です。南西側は狛江市に接し、旧来の村落景観や農地の名残が点在しています。

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江戸氏から喜多見氏へ

江戸氏は、桓武平氏の流れをくむ秩父氏の一族です。平安時代末期の江戸重継を祖とし、現在の皇居周辺にあたる武蔵国江戸郷を本拠としました。重継の子・江戸太郎重長は源頼朝の時代に活動し、江戸氏は中世の江戸を支配する有力武士として続きました。

15世紀半ば、江戸氏は太田道灌が江戸へ進出した時期に本拠を離れ、木田見、現在の喜多見へ移ったと伝わります。江戸氏の氏寺も移転し、現在の慶元寺につながりました。

1590年に徳川家康が関東へ入ると、江戸勝忠は徳川氏に仕えました。慶元寺の寺伝では、勝忠は主君の居城と同じ「江戸」の姓をはばかり、喜多見を名乗るようになったとされています。勝忠は関ヶ原の戦いや大坂の陣に従軍し、喜多見氏は徳川政権のもとで家名をつなぎました。

喜多見重政と喜多見藩

17世紀後半、喜多見重政は5代将軍徳川綱吉に仕え、1685年に側用人となりました。その後2万石の大名となり、喜多見に陣屋を置く喜多見藩が成立します。しかし1689年、一族の刃傷事件をめぐって改易され、藩は短期間で廃されました。

現在の喜多見で江戸氏・喜多見氏の歴史を最も具体的にたどれる場所が慶元寺です。

江戸氏・喜多見氏の主要年表

年出来事
1186年寺伝では江戸太郎重長が江戸氏の氏寺を創建
1456年江戸氏の移住に伴い氏寺が喜多見へ移転
1590年徳川家康が関東へ入り、江戸勝忠が徳川氏に仕える
1685年喜多見重政が徳川綱吉の側用人となる
1689年喜多見氏が改易され、喜多見藩が廃される

慶元寺|江戸氏・喜多見氏の歴史が残る菩提寺

慶元寺は永劫山華林院と号する浄土宗の寺院です。寺伝では1186年、江戸太郎重長が現在の皇居紅葉山周辺に「岩戸山大沢院東福寺」として創建しました。1456年に江戸氏の移住に伴って喜多見へ移り、1540年に浄土宗へ改宗して現在の寺号となりました。

現本堂は1716年の再建で、慶元寺公式サイトでは現存する世田谷区内寺院の本堂では最古と紹介されています。境内には江戸氏歴代の墓碑や供養塔が残り、江戸氏喜多見氏墓所は世田谷区指定史跡です。墓所には1627年に没した喜多見勝忠をはじめ、一族の墓石や供養塔、石灯籠があります。

慶元寺には江戸氏・喜多見氏だけでなく、喜多見の農村史を伝えるものもあります。境内の5本のケヤキは世田谷区指定天然記念物で、かつて農家の屋敷林としてケヤキが並んだ喜多見の景観を今に伝えています。また、十夜法要と仏名会で演奏される喜多見慶元寺双盤念仏行事は、世田谷区指定無形民俗文化財です。

世田谷区喜多見にある慶元寺の山門
慶元寺、2020年。撮影:C2revenge/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

慶元寺の公式情報は慶元寺公式サイト、墓所の指定内容は世田谷区「江戸氏喜多見氏墓所」で確認できます。

次大夫堀公園民家園|江戸時代の用水と農村景観

次大夫堀公園では、喜多見周辺の農村を支えた用水と古民家を一緒に見ることができます。小泉次大夫は徳川家康の関東入国後に用水開削を進め、1597年に工事へ着手しました。1611年に完成した六郷用水は、工事を指揮した小泉次大夫の名から「次大夫堀」とも呼ばれます。

次大夫堀公園民家園は1988年に開園しました。復元した次大夫堀や水田の周囲に、江戸時代に由来する名主屋敷、民家、土蔵、表門などを復原し、江戸後期から昭和初期の農村風景を再現しています。旧加藤家住宅主屋は喜多見にあった江戸後期の農家で、養蚕農家の造りを残しています。

次大夫堀公園民家園に保存された古民家
次大夫堀公園民家園、2009年。撮影:koji_h/Wikimedia Commons/CC BY 3.0。

次大夫堀公園民家園の見学情報

  • 所在地:東京都世田谷区喜多見5丁目27番14号
  • 開園時間:午前9時30分~午後4時30分
  • 休園日:月曜日(祝日の場合は翌平日)と年末年始
  • 入園料:無料

開園時間や休園日は変更される場合があるため、見学前に世田谷デジタルミュージアムの次大夫堀公園民家園案内で最新情報を確認してください。

須賀神社|喜多見氏と地域の祭礼

喜多見須賀神社は、承応年間(1652~1654年)に喜多見久大夫重勝が喜多見館内の庭園に勧請したのが始まりと伝わります。近隣では「天王様」と呼ばれてきました。

社殿は小高い塚の上に建ち、この塚は天神塚古墳と呼ばれています。須賀神社では8月2日に湯花神事が行われます。大釜で沸かした湯を笹の葉で四方に振りかけて祓う行事で、世田谷区指定無形民俗文化財です。

世田谷区喜多見の須賀神社社殿
喜多見須賀神社、2010年。撮影:yamai36/Wikimedia Commons/CC BY 3.0。

喜多見氷川神社|中世から近世へ続く地域の鎮守

喜多見氷川神社は素盞鳴尊を祭神とする神社です。境内の石鳥居は世田谷区指定有形文化財で、地域の歴史を伝える重要な建造物です。節分祭行事と神前神楽も世田谷区指定無形民俗文化財として伝承されています。

世田谷区喜多見の氷川神社境内
喜多見氷川神社、2007年。撮影:phosphor/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

喜多見の古墳と古代の痕跡

喜多見の歴史は江戸氏より古くまでさかのぼります。須賀神社が建つ塚は天神塚古墳と呼ばれ、慶元寺の境内には喜多見古墳群の3号から6号にあたる4基が残っています。慶元寺公式サイトでは、円筒埴輪や小刀などの出土によって古墳であることが確認されているとしています。

喜多見7丁目の喜多見中通遺跡からは、5世紀中頃とされる馬具の一部も出土しています。世田谷区は、古墳からの出土例を含めても関東地方最古級の轡としています。喜多見では古墳時代、中世武士、江戸時代の農村という異なる時代の痕跡を徒歩圏で見ることができます。

時間に余裕があれば、土屋塚古墳にも足を延ばせます。

喜多見を歩くモデルコース

  1. 次大夫堀公園民家園で用水と農村生活を見る
  2. 慶元寺で江戸氏・喜多見氏の歴史をたどる
  3. 須賀神社で喜多見氏ゆかりの社と天神塚古墳を見る
  4. 喜多見氷川神社で石鳥居と地域の祭礼文化に触れる
  5. 時間があれば土屋塚古墳まで歩く

この順番なら、江戸時代の農村生活から中世武士の歴史、寺社、古墳へと時代を行き来しながら喜多見を歩けます。

周辺の歴史散歩もあわせて楽しむ

古民家と世田谷の農村史を続けて見たい場合は、岡本公園民家園と旧小坂家住宅を巡る二子玉川周辺の散歩も参考になります。次大夫堀公園民家園と比較すると、同じ世田谷の農村生活を別の地域から見ることができます。

国分寺崖線と周辺地域の近現代史まで広げるなら、大蔵住宅の歴史|世田谷で高齢化率60%を超えた団地と国分寺崖線の再開発もあわせて読めます。

TimeWalkで近くの歴史スポットを探す

現地を歩きながら周辺の歴史スポットを探すなら、TimeWalkを利用できます。現在地の近くにある史跡や寺社などを確認できるため、喜多見の散歩中に予定していなかった場所へ足を延ばすときにも使えます。

参考資料