大塚の歴史
- 江戸時代、現在の「新大塚駅」周辺は巣鴨辻町と呼ばれ、大都市江戸の一部にが大塚地域の中心であった。
- 明治時代になると諸事情により大塚駅は北の外れに建設された。
- 1903年、大塚駅は日本初の私鉄であった日本鉄道が建設。
- 1911年、王子~大塚間で都電荒川線が開業し、都内有数の繁華街としてにぎわった。
- 大塚駅の北口広場は2021年に再整備が行われ「ironowa hiro ba(イロノワヒロバ)」と愛称がついた。大きなリング状の複数のモニュメントが特徴。
- 大塚の地名は古墳に由来しているという説がある。1629年(寛永6年)には既にこの名があった。
大塚三業通り
谷端川の上にあり、1964年までに暗渠となっている。三業とは、料亭、待合茶屋、芸者置屋の3つの業種を総称したもので、三業地は花街とも呼ぶ。大塚三業地は山手線の開業に伴って開発され、関東大震災でも大きな被害は免れて、1924年には正式な花街として許可を得た。空襲も受けたが戦後に復活。多数の芸妓が在籍し、谷端川の北岸を中心に栄えた。現在では飲食店のいくつかに当時の風情を感じる程度となっている。高度経済成長期とともに繁華街としては池袋にとって代わられた。
今回訪れるところ
①建物
⑧茗荷谷駅