平井から亀戸を歴史散歩|平井聖天・平井の渡し・旧中川・亀戸中央公園・亀戸水神

平井と亀戸の間を流れる旧中川の水辺

JR平井駅から亀戸駅へ向かい、平井聖天、平井の富士塚、平井の渡し跡、旧中川、北十間川、亀戸中央公園、亀戸水神社をたどる歴史散歩コースです。江戸の街道と渡し、富士講、荒川放水路による河川の変化、工場跡地の公園化まで、平井と亀戸の景色がどう形づくられてきたかを歩きながら追えます。

2025年5月26日(月)19:00から、11人で「平井~亀戸の夜散歩」を開催しました。イベント前の明るいうちに燈明寺とうみょうじ(平井聖天)と金太郎せんべい 田尻商店を撮影し、夜は旧中川、北十間川、亀戸中央公園、亀戸水神駅、亀戸水神社などへ。この記事では既存のコース解説を残しつつ、当日に見た風景と現地写真を加えて開催レポートとしてまとめます。

今回のコース概要

  1. 平井駅
  2. 平井聖天(燈明寺)
  3. 平井の富士塚
  4. 平井の渡し跡
  5. 旧中川沿い
  6. 江東新橋
  7. 亀戸中央公園B地区
  8. 亀戸水神駅
  9. 亀戸水神社
  10. 常光寺
  11. 亀戸駅

平井聖天|関東三聖天と文人の足跡

燈明寺とうみょうじは、平井聖天の名で親しまれる新義真言宗の寺院です。江戸川区は、妻沼聖天、浅草の待乳山聖天と並ぶ「関東三聖天」の一つとして紹介しています。江戸時代には将軍の鷹狩りの際の御膳所にも用いられました。

安政2年(1855)の安政地震で堂宇が損傷し、大正12年(1923)の関東大震災では本堂が全壊しました。その後、関澄道貫主のもとで再建が進められ、平等院を思わせる意匠の本堂が建てられました。関澄道は文人との交流でも知られ、正岡子規まさおかしきや伊藤左千夫いとうさちおと親交があり、境内の茶室は伊藤左千夫の設計と伝わります。平井で寺院史と近代文学史が交わる場所です。

当日はイベント開始前の明るいうちに平井聖天を訪れ、山門、本堂、境内の説明板などを撮影しました。夜の街歩きが始まる前に建物の細部を確認しておくと、寺院の成り立ちや再建の歴史を現地の景観と結び付けて理解しやすくなります。

平井聖天(燈明寺)の山門と本堂を道路側から望む
イベント開始前の明るいうちに撮影した平井聖天(燈明寺)。山門の奥に本堂が見えます。
平井聖天(燈明寺)の山門と「燈明寺」の寺号標
平井聖天(燈明寺)の山門。入口右手の寺号標と境内の様子を確認しました。

境内の説明板には、安政地震や関東大震災による被害と再建、文人との交流について記されています。現地の文字情報と建物を一緒に見ることで、平井聖天が地域史だけでなく近代文学史とも接点を持つ寺院であることが具体的に分かります。

平井聖天(燈明寺)の平井聖天説明板
平井聖天(燈明寺)の説明板。寺の歴史や関東大震災後の再建、文人との関わりが記されています。
平井聖天(燈明寺)の境内と本堂へ続く階段
平井聖天(燈明寺)の境内。正面の階段を上がった先に本堂があります。

金太郎せんべい 田尻商店|平井で100年以上続く老舗

平井聖天の近くでは、イベント前に金太郎せんべい 田尻商店にも立ち寄りました。今回、店主の方から伺った話では、初代の田尻弥平氏が1900年代初頭に栃木県佐野市で「弥平煎餅」として創業し、1923年(大正12年)に現在の平井へ移転したとのことです。現在は3代目の田尻和孝氏が煎餅せんべいを焼いているとのことで、平井の地で100年以上営業を続けてきたことになります。

店先には昔ながらのガラス瓶やショーケースが並び、海老、ざらめ、堅焼、胡麻、青のり角など多彩なせんべいが見えました。店主の方はとても親切で、店の歴史やせんべいについていろいろ教えてくださいました。江戸川区も2018年に平井6丁目の「金太郎煎餅」を地域の店として紹介しており、店舗の公式文書では田尻和孝氏が代表者として確認できます。

平井の老舗「金太郎せんべい 田尻商店」の店舗外観
イベント前に立ち寄った金太郎せんべい 田尻商店。平井6丁目にある昔ながらのせんべい店です。
金太郎せんべい 田尻商店の店頭に並ぶ海老・ざらめ・堅焼のせんべい
金太郎せんべい 田尻商店の店頭。海老、ざらめ、堅焼など多彩な手焼きせんべいが並んでいました。

商品を選ぶ時間も、地域に根付いた店の歴史を知る街歩きの一部です。寺社や川だけでなく、長く続く個人商店に立ち寄ると、平井の生活文化が現在までどう受け継がれてきたかを別の角度から感じられます。

金太郎せんべい 田尻商店の堅焼・胡麻・青のり角せんべい
金太郎せんべい 田尻商店のショーケース。堅焼、胡麻、青のり角などが並びます。

平井の富士塚|地域に残る富士講の信仰

平井6丁目の諏訪神社境内には、江戸川区登録有形民俗文化財の「平井の富士塚」があります。築造年代は分かっていませんが、地域の丸富講によって築かれました。諏訪神社の絵馬堂には、丸富講が大正2年(1913)に奉納した富士講の板絵額も残ります。

江戸から明治にかけて、富士山へ直接出かけることが難しい人々は、身近な場所に築かれた富士塚へ登拝しました。平井では、街中の小さな塚から地域に根づいた富士信仰をたどれます。

平井の渡し|行徳道と塩・参詣の交通路

平井の渡しは、行徳道ぎょうとくみちが中川を横切る場所に設けられた渡し場です。現在の旧中川沿い、平井6丁目1番先が江戸川区登録史跡になっています。

行徳道は平井の渡しから東へ延び、四股で元佐倉道と交差し、東小松川・一之江方面を経て今井の渡しへ続きました。江戸川区の資料では、古くは行徳塩の輸送路の一つと考えられ、成田山への参詣や、江戸方面から浅草寺へ向かう人々にも利用されたとされています。明治32年(1899)に平井橋が架けられるまで渡しは使われました。

歌川広重が描いた旧中川の逆井の渡し
歌川広重『逆井のわたし』、名所江戸百景。Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

広重が描いた「逆井のわたし」は、平井の渡しとは別の渡し場ですが、旧中川に舟の交通があった時代の景観を伝える資料です。現在の静かな水辺と見比べると、川が生活と移動の道だったことが分かります。

旧中川|荒川放水路で分断された中川の旧流路

旧中川は、かつて中川の本流だった区間です。大正13年(1924)に荒川放水路が開削されて中川が分断され、その西側が旧中川と呼ばれるようになりました。東京都建設局によると、木下川排水機場から小名木川排水機場まで全長6.68kmです。

現在は河川水位を低く保ち、緩傾斜の堤防や水辺空間が整備されています。平井橋から江東新橋へ向かう区間では、川面の近くまで降りられる場所が多く、渡し場の時代とは異なる現代の河川整備を歩いて確認できます。

平井と亀戸の間を流れる旧中川の水辺
旧中川の水辺、2014年。撮影:Guilhem Vellut/Wikimedia Commons/CC BY 2.0。

シバタ第二ビル|2022年の火災被害が残る建物

旧中川沿いから北十間川方面へ進む途中では、外壁に火災の痕跡が残るシバタ第二ビルが目立ちました。墨田区は2022年12月27日、立花3丁目の化学工場で大規模な火災が発生したとして注意喚起し、同日中に鎮圧と立入規制解除を発表しています。

株式会社シバタの沿革では、この火災で隣接するシバタ第二ビル(東京支店、東京工場・墨田事務所)が類焼るいしょうしたと記録されています。同社は2022年12月27日に東京支店と東京工場(資材課・特需課)の業務休止を告知し、翌2023年1月5日には再開状況を案内しました。その後、東京工場・墨田事務所は葛飾区東新小岩へ移転し、2023年4月3日から東京事務所として業務を開始しています。

2022年の隣接工場火災で類焼したシバタ第二ビルと東京スカイツリー
旧中川近くで見たシバタ第二ビル。2022年12月27日の隣接工場火災で類焼した建物で、背後には東京スカイツリーが見えます。

夜の街歩きでは、寺社や川だけでなく、こうした近年の災害の痕跡も現在の街並みの一部として目に入ります。公的な火災記録と企業側の沿革を照らし合わせることで、写真の建物がどのような経緯を持つのかを確認できました。

北十間川と江東新橋|水路が交わる亀戸東部

江東新橋付近では旧中川と北十間川が接続します。北十間川は亀戸から墨田区方面へ延びる水路で、江東区の登録史跡です。川沿いを歩くと、東西に延びる水路と南北方向の旧中川が接続する地形を現地で捉えられます。

亀戸の地名|「亀ケ井」「亀の形の島」など複数の説

亀戸の地名には複数の由来説があります。江東区は、亀形の井桁がある「亀ケ井」という古井戸にちなむ説、この地が島だった頃に形が亀に似ていたという説、「かみど(神戸)」が転じたという説を紹介しています。旧中川を越えて亀戸へ入ると、河川と低地に囲まれた土地の成り立ちを意識しやすくなります。

江東区の行政地図と亀戸の位置
江東区の行政地図。亀戸は区北東部、旧中川の西岸に位置します。

亀戸中央公園|日立製作所亀戸工場跡から都立公園へ

亀戸中央公園は、日立製作所亀戸工場の跡地を整備して昭和55年(1980)6月1日に開園した都立公園です。公園面積は約10.3万平方メートルで、A・B・Cの3地区に分かれています。

A地区には中央広場、B地区には人工池と芝生・休憩広場、C地区には多目的球技広場やテニスコートがあります。今回通るB地区の園路は、工場跡地が大規模な緑地へ変わったことを実感しやすい場所です。園内はサザンカの名所としても知られ、約50園芸品種・4千本が植えられています。

亀戸中央公園の園路と樹木の景観
亀戸中央公園、2010年。撮影:Arashiyama/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

亀戸水神駅と亀戸水神社|駅名に残る水神信仰

東武亀戸線の亀戸水神駅は昭和3年(1928)4月15日に開設されました。駅名は近くの亀戸水神社にちなみ、鉄道の駅名に地域の信仰が残っています。

開催当日は日が暮れてから亀戸水神駅へ。駅舎のすぐ横に踏切があり、住宅地の中を東武亀戸線が通る夜の景色を見ながら、駅名の由来になった亀戸水神社へ向かいました。

夜の東武亀戸線・亀戸水神駅と踏切
夜の亀戸水神駅。東武亀戸線の駅名に、近くの亀戸水神社の名が残っています。
東武亀戸線亀戸水神駅の駅舎外観
亀戸水神駅、2024年。撮影:MaedaAkihiko/Wikimedia Commons/CC0 1.0。

亀戸水神社には宝暦12年(1762)の銘を持つ石祠があり、江東区登録有形民俗文化財になっています。境内には昭和13年(1938)銘の「亀戸水神森由来碑」も残ります。規模の小さな境内ですが、近世から近代に続いた水神信仰を伝える文化財がまとまっています。

この日は夜の参拝となり、鳥居と社号標を確認しました。駅名として日常的に使われる「亀戸水神」の名が、実際の神社と地域の水神信仰につながっていることを現地で確かめられる立ち寄り先です。

夜の亀戸水神社の鳥居と社号標
夜の亀戸水神社。亀戸水神駅から歩いて立ち寄り、水神信仰が残る場所を確認しました。

常光寺|江戸の六阿弥陀道を伝える道標

時間に余裕があれば常光寺にも立ち寄れます。墓地北隅には延宝7年(1679)銘の「六阿弥陀道道標」があり、江東区指定有形文化財です。正面に「南無阿弥陀佛」、側面に「自是右六阿弥陀道」などが刻まれ、江戸の人々が寺社を巡った道筋を伝えています。

平井から亀戸へ歩くと見えるもの

このコースでは、平井聖天と富士塚に残る信仰、平井の渡しと行徳道の交通、旧中川と北十間川の水路、亀戸中央公園の土地利用転換、亀戸水神社の水神信仰を一続きにたどれます。寺社、街道、川、工場跡地をつなぎ、江戸から近現代までの街の変化を平井駅から亀戸駅までの散歩の中で重ねて見られるのが特徴です。

イベント前に金太郎せんべい 田尻商店で購入したせんべいは、帰宅後にいただきました。現地で店の歴史を伺い、実際の商品も持ち帰って味わうところまで含めて、平井の地域文化を身近に感じられる夜散歩になりました。

金太郎せんべい 田尻商店で購入したせんべいの詰め合わせ
金太郎せんべい 田尻商店で購入したせんべい。帰宅後にいただき、街歩きの余韻も楽しみました。

亀戸・江東エリアを続けて歩く

亀戸から西側へ歴史散歩を続けるなら、錦糸町から住吉を歴史散歩|竪川・亀戸銭座跡・猿江恩賜公園を巡るコースがつながります。水運と鉄道、近代産業の変化をさらに追うなら、都電砂町線の廃線跡を歩く|西大島・北砂・南砂から東陽町へも近いテーマです。

参考資料

現在地から歩ける史跡を地図で探す

TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。平井・亀戸では、旧中川沿いの史跡や寺社を確認しながら寄り道できます。

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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