
江戸川区平井
東京都江戸川区の地名で現行行政地名は平井一丁目から七丁目。1945年3月10日の東京大空襲で、小松川・平井地区一帯は壊滅的な被害を受けた。平井の地主は島村家。島村楽器創業者(島村元紹)も平井生まれ。1962年、島村元紹が28歳のころ、家業である島村文具を営んでいたが、日本楽器製造(現ヤマハ株式会社)の勧誘によりヤマハ音楽教室を開設し島村楽器を創業した。

江東区亀戸
東京都江東区の町名で現行行政地名は亀戸一丁目から亀戸九丁目。住居表示実施済区域。また、亀戸駅および亀戸水神駅を中心とする副都心。亀戸と書いて「かめいど」と読むのは難読地名で、元々は亀井戸と書いたことに由来する。元々の地名は「亀島」(または亀ヶ島、亀津島)で、その名の通り亀の形に似た島であったことによる。1910年(明治43年)8月の明治43年の大水害では一帯が水没。亀戸天神付近で水深(2.4m)に達した。1945年の東京大空襲で亀戸の大部分が焼失したが、旧中川沿いの亀戸九丁目の大部分は焼け残った。これを受け毎年8月15日に旧中川東京大空襲犠牲者慰霊灯籠流しを開催している。

亀戸梅屋敷と臥龍梅(がりゅうばい)
伊勢屋彦右衛門という人は本所に住む商人がこの地に別荘を造って、梅を楽しんでいた。梅は龍が地面に臥すような形で四方に枝を伸ばした。地に着いた枝から根を生じ、そこから新しく枝を出すというように、周りに広がっていった。伊勢屋の子孫はここに住んで農業を営み、臥龍梅を育て続けた。吉宗が来て以来、臥龍梅は御用木となっていた。これが亀戸梅屋敷の起源である。臥龍梅(がりゅうばい)は梅の園芸品種の一つ。
今回いくところ
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- 平井駅
- 平井聖天(燈明寺)
- 新義真言宗。本尊は不動明王。創建年代不詳。江戸時代中期に聖天を勧請して中興。
- 聖天とは歓喜天(かんぎてん)のことで、仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教のガネーシャに相当し、ガネーシャと同様に象の頭を持つ。象頭人身の単身像と、抱擁している双身像の2つの姿の形像が多いが、厨子などに安置され、秘仏とされていることが多い。
- 平井聖天とも呼ばれ関東三聖天(埼玉県の妻沼聖天、浅草の待乳山聖天)の一つ
- 鹿鳴館が解体された際に売却されたシャンデリアが保存されている
- 付近には金太郎せんべい 田尻商店がある。3代目ご主人・田尻和孝さんが、奥さんと共に焼き続ける老舗。
- 平井の富士塚
- 平井の渡し跡 (江戸川区登録史跡)
- 江東新橋
- 平井橋から江東新橋まで旧中川沿いを歩いて行く
- 江東新橋付近が旧中川と北十間川(隅田川と旧中川を結ぶ運河)の合流地点
- 亀戸中央公園B地区 公衆便所
- 亀戸水神駅
- 亀戸水神社
- 常光寺※時間あれば
- 個人宅?
- 亀戸五丁目公園
- さつき荘
- 亀戸餃子 本店
- 亀戸駅