西府駅から府中駅へ、古墳時代末期の武蔵府中熊野神社古墳、1333年の分倍河原の戦い、旧国鉄下河原線、武蔵国府跡、府中宿をたどる歴史散歩コースです。府中には、7世紀の有力者の墓から律令国家の地方行政、鎌倉幕府滅亡前夜の合戦、江戸時代の宿場、近代の鉄道まで、異なる時代の痕跡が近い範囲に残っています。
- 前半:西府駅→御嶽塚古墳→武蔵府中熊野神社古墳→高倉塚古墳→新田義貞公之像→高安寺→分倍河原駅
- 後半:府中市郷土の森博物館→旧下河原線跡→三千人塚→国司館と家康御殿史跡広場→武蔵国衙跡→大國魂神社→府中宿→府中駅


西府駅から分倍河原へ|古墳と鎌倉幕府滅亡の舞台
御嶽塚古墳と高倉塚古墳
西府駅の近くには御嶽塚古墳があります。府中市内には古墳時代後期の古墳が点在し、分梅町の高倉塚古墳は、市指定史跡です。高倉古墳群の一基で、府中市の文化財一覧では古墳として保存されています。
武蔵府中熊野神社古墳|7世紀中頃の上円下方墳
武蔵府中熊野神社古墳は、7世紀中頃に築かれた上円下方墳です。府中市の発掘調査では、墳丘に石がふかれた上円下方墳として国内最古とされています。下から約32メートルの方形、約24メートルの方形、直径約16メートルの円形を重ねた3段築成で、復元高は約6メートルです。
墳丘中央には3室からなる切石積みの横穴式石室があります。古墳は古墳時代の終わり頃、武蔵国府が整備される時期に近い年代に築かれました。被葬者は特定されていませんが、当時の武蔵地域の有力者を考えるうえで重要な史跡です。隣接する武蔵府中熊野神社古墳展示館では、墳丘の土層標本や発掘写真、解説パネルを見学できます。

古墳から分倍河原方面へ進む途中には、本宿村常夜燈、本宿稲荷神社、ブルーベリー畑があります。
分倍河原の戦いと新田義貞|1333年、鎌倉幕府滅亡へ
元弘3年(1333)5月、新田義貞は上野国で挙兵し、鎌倉を目指して南下しました。府中市の資料によると、新田軍は分倍河原で一度敗走した後、翌日に援軍を得て幕府軍と再戦し、勝利しました。5月16日の戦いでは北条泰家率いる幕府軍を破り、その後、新田軍は鎌倉へ進撃します。鎌倉幕府は同月に滅亡しました。
分倍河原は鎌倉街道と多摩川に近く、鎌倉を防衛するうえで重要な地点でした。現在は分倍河原駅前に新田義貞公之像があり、分梅町には分倍河原古戦場碑が残ります。合戦の経過や新田義貞、足利尊氏、後醍醐天皇の関係は、関連記事『太平記』を忙しい人向けにわかりやすく要約で詳しく整理しています。

高安寺と足利尊氏
龍門山髙安寺は府中市片町にある曹洞宗寺院です。府中市は、足利尊氏が安国利生の寺として再興した寺院と紹介しています。崖上に位置し、多摩川方面を望む地形から、戦国期には武将が本陣を置いたこともありました。分倍河原の戦いを見た後に立ち寄ると、鎌倉幕府滅亡後の足利氏の時代へつながります。
旧下河原線跡|多摩川の砂利を運んだ鉄道
旧下河原線跡は、府中の近代史をたどれる場所です。下河原線の前身は1910年に多摩川の砂利輸送を目的として開業し、1920年に国有化されました。東京競馬場の開設後は旅客輸送も行われましたが、武蔵野線の開業に伴って旅客輸送が終了し、1976年に貨物線も廃止されました。現在は緑道の一部に線路が残っています。
分倍河原駅から郷土の森方面へ移動する場合は、府中市コミュニティバス「ちゅうバス」も利用できます。2026年8月時点の運賃は1乗車100円です。路線や夏季の停留所変更は府中市の案内で確認できます。
府中市郷土の森博物館と三千人塚
府中市郷土の森博物館は、府中の歴史・民俗・自然を扱う野外博物館です。敷地には復元建築や移築建築があり、あじさいの時期には園内の歴史景観と花を一緒に歩けます。2026年8月時点の開館時間は9時から17時、博物館入場料は大人300円、中学生以下150円です。最新情報は公式サイトで確認できます。

三千人塚は分倍河原合戦の戦死者墓なのか
三千人塚には、分倍河原合戦の戦死者三千人を葬ったという伝承があります。府中市の調査では、1955年の発掘で骨壺4個と板碑が確認され、中世墓地であることがわかりました。塚上には康元元年(1256)の板碑があり、1333年の合戦より前から墓地として使われていたことがわかります。現在は東京都の史跡です。
武蔵国府跡|古代武蔵国の政治拠点
律令制のもとで全国の「国」には国司が置かれ、その行政拠点が国府でした。武蔵国の国府は現在の府中市に置かれ、国府の役所群を国衙と呼びます。府中市では長年の発掘調査によって国衙の中心部や国司館が確認され、国史跡「武蔵国府跡」として保存されています。
国司館と家康御殿史跡広場
国司館と家康御殿史跡広場では、飛鳥時代から奈良時代前期の国司館跡と、安土桃山時代から江戸時代前期の徳川将軍家府中御殿跡が同じ場所から発掘されています。2008年から2011年の調査を経て国史跡に追加指定され、現在は国司館の建物配置を原寸大で示す整備が行われています。

武蔵国府と対になる寺院が武蔵国分寺・国分尼寺です。国分寺側を現地で歩くコースは武蔵国分寺の史跡・遺跡巡りで紹介しています。
武蔵国衙跡と大國魂神社
武蔵国衙跡は、武蔵国府の政務を行った中心地区です。大國魂神社境内とその東側で国庁に関係する建物跡が確認され、国史跡に指定されています。国府の中枢と神社が隣接する現在の景観から、古代以来の府中中心部の位置関係を現地で確認できます。
大國魂神社では本殿や境内の建築も見どころです。神社建築の形式を現地で見分けたい場合は、関連記事東京で学ぶ神社建築も参考になります。境内に隣接するふるさと府中歴史館では、府中の歴史と文化財を補足できます。
府中宿|国府の町から甲州街道の宿場へ
古代国府の機能が弱まった後も、府中は街道交通の要地として続きました。江戸時代には甲州街道の府中宿が発達し、旧甲州街道沿いに神戸宿場跡、府中高札場、府中宿問屋場跡が残ります。高札場は法令や禁令を掲示した場所で、府中市は現存する高札場を規模の点でも珍しいものと紹介しています。
西府駅から歩き始めると、古墳時代末期、古代国府、中世の合戦、近世宿場、近代鉄道という順に、府中の土地利用と交通の変化を現地でたどれます。
TimeWalkで府中の歴史スポットを探す
TimeWalkは、現在地の近くにある歴史スポットを探しながら街を歩けるWebアプリです。府中を歩く際も、現在地から周辺の史跡を確認し、気になった場所へ寄り道できます。決めたコースを順番に歩く方法と、現地で周辺史跡を探す方法を組み合わせると、予定していなかった史跡にも出会えます。

