

午前の部
- 西府駅(ローソン府中西府駅南口店)
- 御嶽塚古墳
- 武蔵府中熊野神社古墳
- これまで5~6例しか確認されていないといわれる極めて稀な「上円下方墳」
- 府中熊野神社古墳展示館がある
- 本宿村常夜燈
- 本宿稲荷神社
- ブルーベリー畑
- 高倉塚古墳
- 墳時代の後期で、6世紀前半とされる土師器杯が出土するなど、学術的にも貴重
- 27基の高倉古墳群のなかで墳丘が現存している数少ない古墳の一つ
- 新田義貞公之像
- 新田義貞(にった よしさだ、1301年〜1338年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将で、鎌倉幕府を倒した立役者の一人です。後醍醐天皇の建武の新政を支え、足利尊氏と対立しました。1333年に挙兵し、鎌倉に攻め入り幕府を滅亡させたことで知られています。建武政権下では重要な地位を得ますが、足利尊氏の台頭により劣勢に。最期は北陸で尊氏軍と戦い、越前藤島で戦死しました。忠誠心と武勇で名を残した悲劇の名将です。
- 分倍河原の戦い(ぶばいがわらのたたかい)は、1333年に新田義貞が鎌倉幕府打倒のために起こした戦いの一つで、現在の東京都府中市で行われました。後醍醐天皇の呼びかけに応じて挙兵した新田軍が、幕府軍とこの地で激突します。兵力で劣る新田軍でしたが、士気が高く奮戦し、幕府軍を打ち破りました。この勝利により新田軍は鎌倉へ進軍し、最終的に幕府を滅亡させる大きな転機となりました。鎌倉幕府崩壊へとつながる歴史的な戦いです。
- 下河原線踏切事故
- 旧下河原線跡。下河原線は、1910年東京砂利鉄道として、主として多摩川の砂利運搬を目的に、国分寺・下河原(府中市南町三丁目)間に開通。
- 1920年国有の貨物線として下河原線と改称。
- のちに東京競馬場の開設により、旅客業務も行うようになった。
- 武蔵野線の開通にともない、1976年に廃線となった。
- 龍門山髙安寺
高安寺(こうあんじ)は、東京都府中市片町にある曹洞宗の寺院である。開基は室町幕府初代将軍足利尊氏であり、室町幕府によって武蔵国安国寺として位置づけられていた。なお、江戸時代初期までは臨済宗の寺院であった。寺の随所に古刹としての面影を残すなど、多摩地域を代表する寺院の一つである。Wikipedia - 分倍河原駅
<参考>
※コミュニティバス よつや苑西ルート(100円)
※正確な情報は各自でも確認してください。
午後の部
※大國魂神社以降はあまり時間がないと思いますが、時間に余裕のある方は一緒にまわりましょう。
- 府中市郷土の森歴史館【HPはこちら】
- 郷土の森公園
- 旧国鉄下河原線跡
- 三千人塚(都指定史跡)
- 由緒ある塚です。塚の上には、多摩地区最古となる康元元年(1256)の板碑が建ててあり、「板碑の立つ塚」として、昔から注目されてきました。
- 調査により、現存の塚の高まりは、元弘3年(1333)の分倍河原の合戦で亡くなった三千人の戦死者を埋葬したという伝承とは関係がなく、江戸時代に造られたものであることがわかりました
- 安養寺(旧大國魂神社別当)
- 国司館と家康御殿史跡広場 HP
- 武蔵国衙跡(国指定史跡)
武蔵国府跡は、奈良平安時代の武蔵国府の中心地にあたる国衙の跡地です。国庁(国衛地区)や国司館(国司館地区)の建物跡の一部が復元され、見学施設として開放されています。 - 大國魂神社
- ふるさと府中歴史館 HP
- 神戸宿場跡
- 府中高札場
- 府中宿問屋場跡
- 府中駅