水天宮から永代橋・清洲橋へ|日本橋箱崎と隅田川の歴史を歩くナイトウォーク

青くライトアップされた永代橋と隅田川の夜景

水天宮から日本橋箱崎へ進み、隅田川に架かる永代橋・清洲橋をたどる夜の歴史散歩です。数キロの範囲に、江戸の水運と大名屋敷、明治の日本銀行創業地、関東大震災後の復興橋梁が重なっています。昼間は交通量の多い日本橋周辺も、夜は橋の輪郭と水面が際立ち、川を軸に発展した東京の姿を追いやすくなります。

今回のコース概要

人形町・水天宮周辺から日本橋蛎殻町、日本橋箱崎町へ進み、旧水路と河岸の痕跡、日本銀行創業の地を見たあと永代橋へ向かいます。隅田川沿いでは橋を横から眺め、清洲橋方面へ。陸奥宗光宅跡や真砂座跡、蛎殻町公園などを経て水天宮周辺へ戻る流れです。

水天宮|久留米藩有馬家から日本橋蛎殻町へ

水天宮の江戸での歴史は文政元年(1818)に始まります。水天宮公式によると、久留米藩第9代藩主の有馬頼徳が、参勤交代で江戸にいる間も参拝できるよう、国元から芝赤羽根橋の上屋敷へ御分霊を勧請かんじょうしました。明治4年に青山へ、翌明治5年に現在の日本橋蛎殻町へ移っています。

現在の蛎殻町は商業地ですが、中央区はこの一帯がかつて海浜に近く、小網の干し場や牡蠣殻の堆積と結びついた土地だったと紹介しています。水天宮の門前町としての顔と、水辺の町としての古い地形が重なる地域です。水天宮そのものの歴史を広く見るなら、東京に残る福岡・久留米藩ゆかりの史跡も関連します。

日本橋箱崎|川に囲まれた町から高速道路の町へ

日本橋箱崎町は現在、首都高速道路や大規模建築が目立つ地区です。中央区は「箱崎」の由来として、筑紫箱崎にちなむ説と、箱池・箱崎池があったとする説を紹介しています。町名の由来に水辺の記憶が残る一方、昭和後期までに周辺の水路は大きく姿を変えました。

箱崎町と小網町・蛎殻町の間には箱崎川が流れ、河岸と船運が町の機能を支えていました。街路の形を追うと、現在の道路の一部に旧水路の線形が残っています。

行徳河岸|成田参詣へ向かう水上交通の出発点

行徳河岸ぎょうとくがしは、江戸と行徳方面を結ぶ船の発着地でした。房総方面へ向かう旅客や小荷物の輸送に使われ、成田山新勝寺への参詣にも利用されました。現在は水路そのものが消えていますが、箱崎・小網町周辺が陸路だけでなく水路の交通拠点だったことを知る重要な場所です。

日本銀行創業の地|中央銀行は箱崎で始まった

日本銀行は明治15年(1882)10月10日、現在の日本橋箱崎町で開業しました。日本銀行によると、最初の本店は当時の永代橋のたもとにあった旧北海道開拓使物産売捌所で、イギリス人建築家ジョサイア・コンドルが設計した煉瓦造りの建物でした。

本店は明治29年(1896)に日本橋本石町へ移転しました。箱崎の旧建物は関東大震災で焼失し、現在は創業100周年を記念して建てられた碑が創業地を伝えています。日本橋の金融史を歩くうえで、現在の本店だけでなく箱崎の起点を押さえると、近代東京の中心がどう形成されたかが見えます。

永代橋|「帝都の門」として造られた震災復興橋梁

永代橋は隅田川を代表する橋の一つです。現在の橋は関東大震災後の帝都復興事業で大正15年(1926)に完成しました。東京都文化財データベースによると、橋長184.7メートルの鋼製タイドアーチ橋で、当時の隅田川で第一の橋梁として「帝都の門」を意識して設計されました。

初代の永代橋は元禄11年(1698)に架けられ、文化4年(1807)には富岡八幡宮の祭礼へ向かう群衆が集中して落橋する大事故が起きました。江戸の木橋から明治の鉄橋、震災復興の鋼橋へと更新された歴史そのものが、隅田川の交通量と東京の都市化を物語ります。

青くライトアップされた永代橋と隅田川の夜景
ライトアップされた永代橋、2008年。撮影:た!/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

東京都建設局は永代橋・清洲橋・勝鬨橋の3橋が平成19年(2007)に国の重要文化財へ指定されたとしています。夜は橋のアーチが照明で浮かび上がるため、構造を横から観察しやすい時間帯です。

清洲橋|復興都市が選んだ吊橋の曲線

清洲橋は昭和3年(1928)に完成した震災復興橋梁です。東京都建設局は、ドイツ・ケルンのライン川に架かっていた大吊橋を手本にした橋と説明しています。橋長186.2メートルの鋼吊橋で、重厚なアーチの永代橋とは対照的に、主塔とケーブルの曲線が軽やかな印象をつくります。

永代橋と清洲橋を続けて見ると、復興期の東京が橋を単なる交通施設ではなく都市景観の中心として設計していたことが分かります。二つの橋はともに重要文化財で、夜景散歩でも歴史散歩でも主役になる区間です。

陸奥宗光宅跡|明治外交を担った人物の深川時代

陸奥宗光むつむねみつは、幕末から明治にかけて活躍した政治家・外交官です。深川清住町に居住した時期があり、この周辺には宅跡を示す案内があります。宗光は後に外務大臣として条約改正に取り組みました。人物史をさらに深く見るなら、東京に残る和歌山県ゆかりの史跡と陸奥宗光も参考になります。

今回たどる主な場所

  1. 人形町からくり櫓
  2. 稲荷堀跡
  3. 行徳河岸
  4. 日本銀行創業の地
  5. 永代橋を望む隅田川沿い
  6. 永代橋
  7. 陸奥宗光宅跡
  8. 清洲橋
  9. 真砂座跡
  10. 蛎殻町公園

関連する歴史散歩

同じ水天宮・箱崎・永代橋・清洲橋を別の行程で歩いた2023年の水天宮・日本橋箱崎ナイトウォークでは、箱崎川や日本橋中洲の歴史も詳しく紹介しています。隅田川を下流側へ広げるなら、新川・霊岸島の歴史と夜景散歩がつながります。

TimeWalkで水辺の史跡を探す

TimeWalkで現在地から歩ける史跡を地図で探すと、日本橋・隅田川沿いに点在する河岸跡、橋、寺社、人物史跡を現在地から確認できます。箱崎のように水路が埋め立てられた場所では、周辺の史跡を地図上で重ねると旧水辺の広がりが分かりやすくなります。

参考資料

開催後のレポートについて

開催後は、実際に歩いた順路、現地写真、当日に確認した橋や河岸跡の様子を同じページへ追記します。事前に確認した歴史情報と現地記録を分けて残し、水天宮から隅田川へ歩くコース資料として更新していきます。

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

なかまつをフォローする
イベント開催レポート