

今回いくところ
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- 人形町からくり櫓(江戸落語)
毎正時に劇が始まる。道路の反対側にもあるが現在工事のため撤去されている。 - 稲荷堀跡(とうかんぼりあと)
稲荷堀(とうかんぼり)跡。ここに掘割がありました。ここは大名や旗本などの屋敷が建ち並んでいた場所で、こうした武家屋敷を囲むように入堀が設けられ、舟運の便が図られていました。かつて掘割の通っていた場所は「とうかん堀通り」の道路愛称としてその名残を留めています。 - 行徳河岸(ぎょうとくがし)
かつて、箱崎町と小網町・蠣殻町の間には、運河である箱崎川が流れていました。江戸と行徳の間で、小荷物や旅客の輸送を開始して以来、ここは行徳河岸と呼ばれるようになりました。江戸と行徳とをむすぶ船は毎日運航され、成田山新勝寺の参詣などで房総に向かう多くの人びとが、この水路を利用しました。 - 日本銀行創業の地
日本銀行は、1882(明治15)年10月、永代橋際(現在の日本橋箱崎町)にあった北海道開拓使物産売捌所の建物を本店として開業しました。この建物は、明治政府が招いたイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによって設計されました(1881(明治14)年竣工、関東大震災で焼失) - 豊海橋脇公衆便所横の展望テラス
永代橋が綺麗に見れるテラス - 永代橋の説明碑
永代橋は永代通りが隅田川を渡る橋で、関東大震災の復興で大正15年に架けられました。『帝都水路の偉彩たるべきである』として架けられた豪壮雄大な曲線美を有するタイドアーチの橋は、重要文化財に指定されています。初代の永代橋は、徳川5代将軍綱吉の時代に架けられ、江戸時代に日本橋梁史上最大の事故を起こしています。 - YURO 東京清澄 by THE SHARE HOTELS
眺めの良いおしゃれなレストランがある。 - 陸奥宗光宅跡
陸奥宗光(むつむねみつ、1844~1897)は、明治時代の外交官・政治家。和歌山藩士伊達宗弘(千広)の第六子として生まれ、北区西ヶ原の自邸で逝去しました。宗光が深川清住町に在住したのは1872~1877年で、大蔵省で地租改正事業に手腕をふるい、また薩長藩閥勢力による政権の独占を批判した論文「日本人」を書き上げた時期にあたります。この邸宅は、墨田川に面して眺望がよく「三汊水碧楼(さんさすいへきろう)」と呼ばれていました。 - 清洲橋北側経由
- 漱石『猫』上演の地 眞砂座跡
- 蛎殻町公園
かつて江戸時代に松平三河守(津山藩主)の下屋敷があった場所で、1875年に有馬小学校が建てられたが関東大震災にて被害を受け、その後に一部を帝都復興計画公園として蛎殻町公園が設置された。