戸越公園駅から、戸越公園、文庫の森、戸越八幡神社、戸越銀座商店街を経て、中原街道と立会川の痕跡をたどり、蛇窪神社へ向かう歴史散歩コースです。江戸時代の大名屋敷、近代の資料保存施設、商店街の形成、古い街道、暗渠化された川、地域の信仰が、現在の街並みの中に重なっています。
一見すると別々の名所に見えますが、歩いてつなぐと、戸越・豊町・平塚・旗の台・二葉周辺がどのように変化してきたのかを立体的に理解できます。

このコースでわかる戸越・荏原の歴史
- 戸越公園一帯が、江戸時代には熊本藩細川家の戸越屋敷だったこと
- 文庫の森に、三井家の資料を守った大正期の書庫が残っていること
- 戸越という地名や戸越銀座の名称が、街道や地域の地形と結びついていること
- 中原街道が江戸と相模方面を結んだ重要な道だったこと
- 現在の道路や緑道の下に、立会川の流路が続いていること
- 蛇窪という古い地名が、神社と地域の信仰の中に残っていること
午前の部|戸越公園から文庫の森、戸越銀座へ
午前は戸越公園駅から商店街を抜け、戸越公園、文庫の森、戸越八幡神社、戸越銀座商店街へ進みます。現在の住宅地や商店街の中に、江戸時代から近代までの土地利用の変化が残る区間です。
戸越公園|熊本藩細川家の戸越屋敷跡
戸越公園は、江戸時代に熊本藩細川家の下屋敷が置かれた場所です。現在の公園は池を中心とする回遊式の構成を持ち、大名庭園の面影を伝えています。住宅地の中にまとまった緑地が残る理由を、江戸時代の大名屋敷までさかのぼって考えられる場所です。
文庫の森|旧三井文庫第二書庫が残る公園
戸越公園の北側にある文庫の森は、国文学研究資料館の跡地を品川区が整備し、2013年に開園した公園です。園内には大正11年(1922)に建てられた旧三井文庫第二書庫が残っています。
この書庫は三井家の資料を保管するために建てられた壁式鉄筋コンクリート造の建物で、2020年に国の登録有形文化財となりました。竣工翌年の関東大震災を受けて窓の一部をふさぐなど、防火対策が強化されたことも特徴です。戦後は国文学研究資料館の書庫として使われました。

文庫の森は防災公園としての機能も備えています。歴史的建造物を保存しながら、避難場所や非常用水源など現代の防災機能を組み込んでいる点も見どころです。
戸越八幡神社|「戸越」の地名を考える手がかり
戸越八幡神社は大永6年(1526)の創建と伝えられ、2026年に御鎮座500年を迎えました。神社の由緒では、行永法師が藪清水の池から八幡大神の御神体を得て祀ったことが起源とされています。
戸越の地名については諸説ありますが、戸越銀座商店街の公式案内では、江戸からこの地を越えて相模国へ向かう「江戸越えの村」に由来する説が紹介されています。境内に伝わる「江戸を越えて」の歌も、この地域と江戸を結ぶ道の記憶を伝えています。

戸越銀座商店街|銀座のレンガと水はけの悪い谷地形
戸越銀座商店街は約1.3キロにわたって続く商店街です。戸越銀座銀六商店街、戸越銀座商店街、戸越銀座商栄会商店街の三つの商店街が連なっています。
「戸越銀座」の名には、1923年の関東大震災後、本家の銀座からレンガ瓦礫を譲り受けた歴史が関係しています。戸越銀座の通りは坂に囲まれた谷底状の地形に沿い、水はけの悪さに悩まされていました。銀座のレンガを通りに敷いたことが縁となり、銀座の繁栄にもあやかって「戸越銀座」と名乗るようになったと公式サイトは説明しています。
商店街を歩くときは、店だけでなく、周囲から商店街へ向かって坂が下っている地形にも注目すると、なぜ排水が大きな課題だったのかがわかります。

午後の部|中原街道と立会川をたどって蛇窪神社へ
午後は戸越銀座の西側から中原街道へ出て、平塚橋周辺から立会川の旧流路をたどります。現在は道路や緑道になっている場所が多く、地図だけでは見えにくい「昔の道」と「昔の川」を歩いて確認できる区間です。
- 京陽公園
- 平塚橋の碑
- 立会川児童遊園(その2)
- 立会川児童遊園(その3)
- 荏原氏館跡(旗岡八幡神社)
- 立会川緑道自転車専用レーン
- 蛇窪村の解説板
- 蛇窪神社
- 伊藤博文公墓所
中原街道|江戸と平塚を結んだ古い幹線
中原街道は江戸と平塚方面を結んだ古い街道です。品川歴史館は、徳川家康の江戸入府前後には「もう一つの東海道」として歴史に登場し、江戸時代に東海道が整備された後は脇往還として利用されたと説明しています。相州道や御酢街道などの呼び名もあり、人や物資が行き交う道でした。
現在の幹線道路だけを見ていると新しい都市道路に見えますが、その線形の一部には近世以前から続く交通の歴史があります。戸越銀座が中原街道に突き当たる位置関係も、商店街と広域交通路のつながりを考える手がかりです。

立会川|道路と緑道の下に残る川の流れ
立会川は目黒区碑文谷を源とし、品川区を東へ流れる全長7.41キロメートルの二級河川です。品川区によると、月見橋から上流側の6.66キロメートルは暗渠化され、下水道幹線として利用され、その上は道路、緑道、公園として整備されています。
この散歩で通る立会川児童遊園や緑道は、川が消えたのではなく、流路の上部が別の都市空間に使われている場所です。細長い公園や不自然に連続する緑道をたどると、現在の街路の下に旧河道が続いていることを実感できます。
蛇窪神社|古い地名と白蛇信仰を伝える場所
蛇窪神社は、かつてこの一帯が蛇窪と呼ばれていた記憶を現在に伝える神社です。神社公式の由緒では、鎌倉時代の蛇窪の開発や、水と龍神にまつわる伝承が語られています。現在は白蛇信仰でも広く知られています。
周辺には「蛇窪村」の名を伝える解説板もあり、住居表示では見えにくくなった旧地名を現地で確認できます。戸越公園駅が1927年の開業時に「蛇窪駅」と呼ばれていたことも、この地名が近代まで使われていたことを示しています。

戸越を歩くと見える三つの時間軸
このコースでは、江戸時代の大名屋敷と街道、明治・大正以降の資料保存施設や商店街、そして暗渠・緑道・防災公園として再編された現代の都市空間を続けて見ることができます。
戸越公園と文庫の森では土地利用の変化、戸越銀座では地形と商業の関係、中原街道では広域交通、立会川では都市化と河川、蛇窪神社では旧地名と地域信仰が主なテーマです。同じ街を歩きながら異なる時代の痕跡を比較できる点が、この散歩コースの面白さです。
実際に街を歩きながら歴史を確認したい場合は、TimeWalk(街歩き歴史アプリ)も利用できます。
よくある質問
文庫の森と戸越公園は同じ公園ですか?
別の公園ですが隣接しています。戸越公園は熊本藩細川家の下屋敷跡を背景に持つ公園で、文庫の森は旧国文学研究資料館跡地を整備した公園です。文庫の森には旧三井文庫第二書庫が残っています。
戸越銀座はなぜ「銀座」と呼ばれるのですか?
関東大震災後に本家銀座のレンガ瓦礫を譲り受け、水はけの悪かった商店街の通りに敷いたことが縁とされています。銀座の繁栄にあやかる意味も込めて「戸越銀座」と名乗るようになったと商店街公式サイトが説明しています。
立会川は今も流れていますか?
流れています。上流側の大部分は暗渠化され、下水道幹線として利用されています。その上部が道路や緑道、公園になっているため、地上から水面が見えない区間が多くあります。
参考資料・公式情報
- 品川区「旧三井文庫第二書庫 国登録有形文化財へ」
- 品川区「国文学研究資料館跡地を防災機能を備えた公園として整備」
- 戸越八幡神社 公式サイト
- 戸越銀座商店街「戸越銀座商店街について」
- 品川区「河川」
- 蛇窪神社 公式サイト
この地域・テーマをさらに詳しく見る関連記事として、西品川・広町・大崎の再開発と車両センターを巡る散歩もあります。

