赤坂見附~半蔵門をブラタモリ風に散歩しよう

【紫色:主な見附 白色:主なスポット 青色:現在の主要線路】見附とは見張り番所がある城門のことで、江戸城の見附は主に枡形門と堀に架けられた橋が一体となったものが多かった。実際は36以上あったが俗に江戸城三十六見附と呼ばれている。現在でも一部残っている。

紀尾井町(きおいちょう)

  1. 地名はこの地にかつてあった紀州徳川家中屋敷、尾張徳川家中屋敷、彦根井伊家中屋敷に由来しており(それぞれ州家、張家、伊家と呼ばれた)、各家の文字を1文字ずつとって町名とした。
  2. 町内に居住した有名人
    1. 大島久直(陸軍大将、1908年に邸内で大妻コタカが私塾を開き大妻女子大学の源流となる)
    2. 大久保利通の孫にあたる大久保利春(ロッキード事件の時の丸紅専務)
    3. 松田トシ(声楽家、自邸で歌唱教室を開く)
    4. 尾上松緑 (2代目)(歌舞伎俳優。「紀尾井町」の掛け声で呼ばれた)
    5. 幸田延(幸田露伴の妹、日本の女流バイオリニストの草分け)
    6. 高島徳右衛門(実業家・易学家の高島嘉右衛門の弟、里見弴『多情仏心』の主人公のモデル)
    7. 小林蹴月(作家・俳人)ら
  3. 政治家の利用で知られた料亭「日本料理 紀尾井町 福田家」もここに立地する。
飯田橋(いいだばし) 一番町(いちばんちょう) 岩本町(いわもとちょう) 内神田(うちかんだ) 内幸町(うちさいわいちょう) 大手町(おおてまち) 鍛冶町(かじちょう) 霞が関(かすみがせき) 神田相生町(かんだあいおいちょう) 神田淡路町(かんだあわじちょう) 神田和泉町(かんだいずみちょう) 神田岩本町(かんだいわもとちょう) 神田小川町(かんだおがわまち) 神田鍛冶町(かんだかじちょう) 神田北乗物町(かんだきたのりものちょう) 神田紺屋町(かんだこんやちょう) 神田佐久間河岸(かんださくまがし) 神田佐久間町(かんださくまちょう) 神田猿楽町(かんださるがくちょう) 神田神保町(かんだじんぼうちょう) 神田須田町(かんだすだちょう) 神田駿河台(かんだするがだい) 神田多町(かんだたちょう) 神田司町(かんだつかさまち) 神田富山町(かんだとみやまちょう) 神田錦町(かんだにしきちょう) 神田西福田町(かんだにしふくだちょう) 神田練塀町(かんだねりべいちょう) 神田花岡町(かんだはなおかちょう) 神田東紺屋町(かんだひがしこんやちょう) 神田東松下町(かんだひがしまつしたちょう) 神田平河町(かんだひらかわちょう) 神田松永町(かんだまつながちょう) 神田美倉町(かんだみくらちょう) 神田三崎町(かんだみさきちょう) 神田美土代町(かんだみとしろちょう) 紀尾井町(きおいちょう) 北の丸公園(きたのまるこうえん) 九段南(くだんみなみ) 九段北(くだんきた) 皇居外苑(こうきょがいえん) 麹町(こうじまち) 五番町(ごばんちょう) 三番町(さんばんちょう) 外神田(そとかんだ) 千代田(ちよだ) 永田町(ながたちょう) 西神田(にしかんだ) 二番町(にばんちょう) 隼町(はやぶさちょう) 東神田(ひがしかんだ) 一ツ橋(ひとつばし) 日比谷公園(ひびやこうえん) 平河町(ひらかわちょう) 富士見(ふじみ) 丸の内(まるのうち) 有楽町(ゆうらくちょう) 四番町(よんばんちょう) 六番町(ろくばんちょう)

平河町(ひらかわちょう)

  1. 平河町は、番町・麹町と並び、明治時代以降、大名屋敷、旗本屋敷といった武家屋敷跡のいわゆる「御屋敷町(武家地)」である。
  2. 平河(平川とも書いた)は、古代以来の中心的集落として平川(古神田川の下流(現在の一ツ橋や大手町付近)にあった地名で、平川村と呼ばれていた。
  3. 平川村は、明暦3年(1657年)の大火で現在の場所に移された。
  4. 平河天満宮は、文明10年(1478年)、太田道灌による創建当初、江戸城内の梅林坂付近にあった。徳川家康による江戸城整備が始まると平川御門外に移され、慶長12年(1607年)、現在の場所に遷座された。

隼町(はやぶさちょう)

  1. 徳川家康の江戸入府当初、鷹匠屋敷があったことによる。全国各地に見られる鷹匠町と同義である。
  2. 最高裁判所(司法)が所在し、隣接する永田町(立法)、霞が関(行政)とともに日本の首都機能を担っている。
  3. 国立劇場と最高裁判所が町域内の主体的な存在となっている。他にビルのほか、少数ながら住宅も見られる。
  4. 江戸時代初期は旗本屋敷で、1604年(慶長9年)より明暦の大火で消失するまでの間、日枝神社が存在した。一方、現在の隼町町域は江戸時代を通して武家地であったといわれている。三宅坂の由来となっている田原藩三宅家上屋敷は渡辺崋山が生まれ住んだ所としても知られる。
  5. 戦前は三宅坂一帯が陸軍の拠点となっており、隼町にも東京第一衛戍病院(現:国立国際医療研究センター(新宿区戸山))、教育総監部陸軍航空本部などが置かれていた。

今回のルート

  1. 東京ガーデンテラス紀尾井町「花の広場」(集合場所)
  2. 和歌山藩紀伊家屋敷跡
    1. 紀州徳川家は徳川御三家の一つ
    2. 初代は徳川家康の十男、徳川頼宣。徳川宗家(将軍家)に次ぐ家格を持ち、将軍家に嗣子がいない場合は、御三家から養子を迎えることが慣例となっていました
    3. 8代将軍徳川吉宗14代将軍徳川家茂は紀州家出身。
  3. 旧李王家東京邸
    1. 李王家は李氏朝鮮(大韓帝国)の歴代国王を出した家系
    2. 韓国併合(1910年)後、日本の王公族(おうこうぞく)に組み込まれ、日本の皇族に準じる待遇を受けた
    3. 大韓帝国の最後の皇太子であった李垠(り ぎん/イ・ウン)は、幼少期から日本で教育を受け、日本の皇族である梨本宮方子女王(なしもとみや まさこじょおう)と結婚
    4. かつての紀州徳川家の上屋敷跡地の一部は、後に李王家の邸宅として利用されたが大部分は解体
  4. 砂防会館
    1. 1957年(昭和32年)に初代の会館竣工、現在の建物は2018年(平成30年)に新本館
    2. かつては、自由民主党本部が一時入居していた歴史があり、その後、田中角栄や中曽根康弘ら大物政治家の派閥事務所が置かれていたことから、日本の政治史、特にロッキード事件(現金授受の場所と認定された)に関連して、その名が知られるようになりました。「砂防会館」や「平河町」という地名が、当時の田中派の代名詞のように使われた時期もありました。
    3. 砂防会館の歴史(公式HP)
  5. 経由地(休憩)
  6. 平河天満宮
    1. 創建は文明10年(1478年)江戸平河城城主太田道灌が、菅原道真の霊夢により城内の梅林坂上に当社を創建
    2. 紀州尾張両徳川家、彦根藩井伊家の祈願所になり、新年の賀礼には、宮司は将軍に単独拝謁できる格式の待遇を受けていた
    3. 江戸時代の盲目の国学者、塙保己一(はなわほきいち)も平河天満宮の熱心な信者で、平河天満宮に祈願しながら『群書類従』を完成させた
    4. 銅鳥居が東京都有形文化財(建造物)
  7. 最高裁判所
    1974年竣工。岡田新一を代表とする設計グループ(設計競技にて最優秀作品)。茨城県稲田産の花崗岩(稲田みかげ)を約1万トン使用した、直線を基調とする重厚な外壁。
  8. 国立劇場
    1966年竣工。岩本博行(竹中工務店設計部)(公開設計競技にて選定)。奈良の正倉院を参考にした校倉造りを模したデザインが外壁の最大の特徴。現在再整備のため閉業中(2025年10月)。
  9. 警視庁隼町分庁舎(警視総監公邸)
  10. 国民公園 皇居外苑半蔵門園地(時間あれば)
  11. 半蔵門駅(ゴール)