


信濃町(しなのまち)
地名の由来は、当地に江戸時代の幕臣・永井尚政(信濃守)の屋敷があったことによる。
外苑東通りの西側は慶應義塾大学病院や慶應義塾大学信濃町キャンパス(医学部キャンパス)があり、東側は創価学会本部や関連施設が所在することで知られる。
南元町(みなみもとまち)
地名は「南町」と「元町」からそれぞれ一字ずつとったもの。町域の西部を中心として、隣接する信濃町とともに公明党や創価学会関連の施設が多くあり、公明党本部(公明会館)も南元町の千日坂下に所在する。
霞ヶ丘町(かすみがおかまち)
かつては「霞岳町」(読みは同じ)という表記であった。2003年に住居表示が実施され、旧霞岳町のほぼ全域が霞ヶ丘町となった。その後は四谷警察署信濃町交番の所在地の一部のみが「霞岳町」として残っていたが、2020年4月8日に新住所に移転したため、霞岳町に残る建造物は消滅した。
