信濃町から四ツ谷を歩く歴史散歩|千日坂・鮫河橋・四谷見附・迎賓館10スポット

慶應義塾大学信濃町キャンパスにある信濃町煉瓦館の外観

信濃町しなのまち駅から四ツ谷よつや駅まで、千日坂せんにちざか鮫河橋谷さめがはしたに四谷見附よつやみつけ迎賓館赤坂離宮げいひんかんあかさかりきゅうなど10スポットを歩く歴史散歩です。台地と谷の高低差、江戸の武家地ぶけち外濠そとぼり、明治以降の都市整備を、現在の道をたどりながら見ていきます。

コース概要

  • スタート:JR信濃町しなのまち
  • ゴール:JR・東京メトロ四ツ谷よつや
  • 主な見どころ:信濃町煉瓦館しなのまちれんがかん新千日坂しんせんにちざか鮫河橋谷さめがはしたに明治記念館めいじきねんかん霞ヶ丘町かすみがおかまち霞岳町かすみがおかまち鉄砲坂てっぽうざか出羽坂でわざか四谷見附よつやみつけ迎賓館赤坂離宮正門げいひんかんあかさかりきゅうせいもん四谷見附橋よつやみつけばし

このコースの軸は高低差です。信濃町から鮫河橋谷へ下り、再び台地へ上がる道筋を歩くと、坂道、旧水路きゅうすいろ、町境、武家地、江戸城外濠が同じ地形の上に重なっていることが分かります。

今回歩く10スポット

  1. 信濃町煉瓦館しなのまちれんがかん
  2. 新千日坂しんせんにちざか
  3. 鮫河橋谷さめがはしたに
  4. 明治記念館めいじきねんかん
  5. 霞ヶ丘町かすみがおかまち霞岳町かすみがおかまち
  6. 鉄砲坂てっぽうざか
  7. 出羽坂でわざか
  8. 四谷見附よつやみつけ
  9. 迎賓館赤坂離宮正門げいひんかんあかさかりきゅうせいもん
  10. 四谷見附橋よつやみつけばし

1. 信濃町煉瓦館

信濃町煉瓦館しなのまちれんがかんは1995年に竣工しゅんこうしました。現在は慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく信濃町キャンパス周辺の街並みを形づくる建物の一つです。

信濃町駅を出て最初に見るのが信濃町煉瓦館です。煉瓦調の外観は、周辺の病院・大学施設の中でも目を引きます。

慶應義塾大学信濃町キャンパスにある信濃町煉瓦館の外観
信濃町煉瓦館、2009年4月。撮影:塾生/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

2. 新千日坂

新千日坂しんせんにちざかは、江戸時代から知られる千日坂せんにちざかの周辺に整えられた坂です。明治末期の道路整備で周辺の道筋が変わり、現在の新千日坂へとつながる坂道が整えられました。

信濃町から南へ進むと、台地から鮫河橋谷へ下る坂に入ります。坂の傾斜そのものが、この地域の地形を読む手がかりです。

3. 鮫河橋谷

鮫河橋谷さめがはしたににある鮫河橋さめがはし周辺はもともと谷筋にあたり、水の流れに沿った低地でした。市街化した現在も、周囲から低地へ下る道路の起伏に谷の地形が残っています。

鮫河橋谷は、信濃町から四谷周辺の高低差を理解する中心地点です。現在は市街地ですが、坂を下り切った低さと周囲へ上がる道を見ると、谷筋だったことを体感できます。

4. 明治記念館

明治記念館めいじきねんかんの本館は1881年に赤坂仮皇居あかさかかりこうきょ御会食所ごかいしょくじょとして建てられました。その後、大井村おおいむらへの移築を経て、1918年に現在地へ移されています。

明治記念館の本館は、明治期の宮廷建築きゅうていけんちくを現在地に伝えます。建物の来歴をたどると、江戸の武家地だった周辺が明治国家の施設へ組み替えられていく過程も見えてきます。

港区元赤坂にある明治記念館の外観
明治記念館、2017年12月2日。撮影:江戸村のとくぞう/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

5. 霞ヶ丘町と、現在もわずかに残る霞岳町

霞岳町かすみがおかまちの大部分は、2003年の住居表示じゅうきょひょうじによって霞ヶ丘町かすみがおかまちとなりました。ただしJR中央線沿いなどのごく狭い区域は編入されず、現在も霞岳町という町名が残っています。

霞ヶ丘町と霞岳町の関係は、現在の地図だけでは分かりにくい場所です。新宿区地域振興部地域コミュニティ課住居表示係に2026年7月29日に確認したところ、2003年(平成15年)9月29日の住居表示で、霞岳町と南元町みなみもとまちの一部から霞ヶ丘町が定められました。ただし旧霞岳町の全域が霞ヶ丘町になったわけではありません。

現在も霞岳町として残るのは、JR中央線に並行する北側の細長い区域と、旧信濃町交番付近の道路上の区域です。新宿区によると、これらは道路上など居住できない区域で、現在「霞岳町」を住所として利用する住民はいません。町名は残っていますが、住宅地として残っているわけではありません。

新宿区が示した現在も残る霞岳町の区域。JR中央線沿いと旧信濃町交番付近を青色で表示
現在も残る霞岳町の区域。2003年の住居表示で大部分は霞ヶ丘町となりましたが、JR中央線沿いなどの一部区域は霞岳町として残っています。新宿区地域振興部地域コミュニティ課住居表示係提供資料をもとに作成(2026年7月29日確認)。

この細長い区域が残った背景には町境の決め方があります。新宿区では住居表示の実施基準に基づいて町境を定めますが、隣接する信濃町と南元町では現在も住居表示が実施されていません。住居表示未実施地域では、道路の端や中心線がおおむね町境となるため、2003年の住居表示時にも隣接町との境界をすべて整理せず、旧霞岳町の一部が残りました。

新宿区は、将来、信濃町または南元町で住居表示を実施する際に町境を整理し、残る霞岳町をいずれかの町の区域として解消する予定としています。一般の行政地図で霞岳町が表示されない場合があるのは、残存区域がごく小さく、地図の縮尺によって町名を表示できないためです。

6. 鉄砲坂

鉄砲坂てっぽうざかは、江戸時代の武家地と谷側を結ぶ坂道でした。周辺が市街化した現在も生活道路として使われ、鮫河橋谷から台地へ上がる高低差を残しています。

鉄砲坂では、鮫河橋谷から台地へ戻る傾斜を歩きます。大通りから一本入った道に、四谷・信濃町周辺の起伏が残っています。

7. 出羽坂

出羽坂でわざかは江戸時代の武家地を通る坂でした。市街化した現在も裏路地の坂道として残り、当時から続く地形の高低差を確認できます。

出羽坂周辺では、江戸期の武家地と現在の街路を重ねて歩けます。坂の方向と高低差を見ると、平面の地図だけでは分かりにくい土地の形が把握できます。

8. 四谷見附

四谷見附よつやみつけには、江戸時代、甲州街道こうしゅうかいどうが江戸城外濠を渡る四谷門よつやもんがありました。門は明治以降に撤去されましたが、現在の四ツ谷駅周辺には石垣いしがきと外濠の地形が残っています。

四谷見附は、甲州街道が江戸城外濠を越える要所でした。現在は駅と幹線道路が集まりますが、石垣や外濠の高低差から江戸城西側の入口だった地形を確認できます。

9. 迎賓館赤坂離宮正門

迎賓館赤坂離宮げいひんかんあかさかりきゅうの敷地は、江戸時代には紀州徳川家きしゅうとくがわけの屋敷でした。1909年に東宮御所とうぐうごしょとして現在の建物が完成し、現在は外国の賓客を迎える迎賓館として使われています。

四谷見附から南へ進むと迎賓館赤坂離宮の正門に着きます。江戸の大名屋敷地だいみょうやしきちが、明治期の宮殿建築を経て現在の迎賓施設へ変わった場所です。

迎賓館赤坂離宮の正面入口と本館外観
迎賓館赤坂離宮正面入口、2013年8月30日。撮影:Yasu/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

四谷の成り立ちを江戸城と甲州街道からたどるなら、半蔵門から四谷門まで甲州街道と江戸城西側を歩く散歩もあります。

10. 四谷見附橋

四谷見附橋よつやみつけばしは1913年に開通しました。江戸時代に外濠と四谷門があった場所で、現在も四ツ谷駅前で外濠をまたぐ橋として使われています。

散歩の終点は四谷見附橋です。橋上からは、鉄道と道路が通る現在の交通空間と、江戸城外濠の地形を同時に見渡せます。

このコースで分かること

信濃町から四ツ谷まで歩くと、鮫河橋谷を中心とした高低差の上に、江戸の武家地と外濠、明治の道路・宮殿建築、現在の町境と交通網が重なっています。寺社や観光名所を順に巡るだけでなく、坂と谷を手がかりに都市の変化を読むのがこのコースの特徴です。

参考資料

  • 新宿区地域振興部地域コミュニティ課住居表示係への問い合わせ回答(2026年7月29日)・「住居表示新旧対照案内図」
  • 新宿区の坂道・地域資料
  • 迎賓館赤坂離宮公式資料
  • 明治記念館公式資料
この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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