プリンスホテル日本庭園と高輪・白金台の夜桜|歴史散歩開催レポート

夜間ライトアップされたグランドプリンスホテル高輪の貴賓館(旧竹田宮邸)

2026年3月23日、ゆる歴史散歩会で「プリンスホテル日本庭園と高輪エリアの夜桜をめぐって歩いてみよう」を開催しました。19時15分にスタートし、参加者は15人。グランドプリンスホテル高輪の貴賓館と日本庭園を中心に、高輪から白金台へ歴史をたどりながら歩きました。庭園では夜桜と竹あかりが重なり、幻想的なライトアップにみなさん感動していました。

2026年3月23日の開催レポート

今回の散歩は、桜そのものに加えて、高輪の高台に残る皇族邸、庭園、移築建築、学校、美術館、用水路の歴史をつないで歩くコースです。夜の貴賓館から日本庭園へ入ると、洋館の白い壁面、桜、竹あかり、池の水面がそれぞれ異なる光を受け、昼間とは大きく印象が変わります。

貴賓館からスタート|1911年竣工の旧竹田宮邸

最初に見たのは、現在グランドプリンスホテル高輪の「貴賓館」として使われている旧竹田宮邸洋館です。1911年(明治44年)、竹田宮恒久王たけだのみやつねひさおうと常宮昌子内親王つねのみやまさこないしんのうの新居として完成しました。設計には、迎賓館赤坂離宮を代表作とする宮廷建築家・片山東熊かたやまとうくまが携わっています。ホテル公式資料によれば、高輪は江戸時代に大名や旗本の別荘が並び、明治以降は皇族や政財界人が邸宅を構えた土地でした。旧竹田宮邸は、その時代の高輪を現在に伝える建築です。

グランドプリンスホテル高輪 貴賓館の玄関ポーチと赤いカーペット
貴賓館の玄関ポーチ。石造風の列柱と装飾を間近に見ました。

ライトアップされた正面では、列柱、軒下の装飾、屋根の輪郭がくっきり浮かびました。1953年には旧竹田宮邸でプリンスホテルが開業し、現在のホテルにつながっています。建物と庭園の変遷は、グランドプリンスホテル高輪 日本庭園の歴史でも詳しく紹介しています。

日本庭園へ|約2万平方メートルの庭を夜に歩く

貴賓館から日本庭園へ進みました。現在の庭園は1971年、当時の高輪プリンスホテル新館の建設に伴って造られたもので、広さは約2万平方メートル。作庭は皇居新宮殿の庭園にも関わった楠岡悌二くすおかていじです。池と起伏、樹木を生かした庭に、歴史的建造物が点在しています。

夜桜と竹あかりに照らされたグランドプリンスホテル高輪日本庭園の山門
日本庭園の山門周辺。夜桜と竹あかりが重なり、昼とは異なる景観になっていました。
夜間ライトアップされたグランドプリンスホテル高輪日本庭園の池と竹あかり
日本庭園の池を彩るライトアップと竹あかり。水面にも光が映り込みます。

池の周囲では、竹の造形から漏れる暖色の光と、青紫色に照らされた樹木が対照的でした。水面に光が映り、歩く位置によって景色が変わります。今回、参加者のみなさんが特に感動していたのが、この幻想的なライトアップでした。

青紫色にライトアップされたグランドプリンスホテル高輪日本庭園の桜
日本庭園の夜桜。青紫色の光を受け、枝ぶりまで浮かび上がっていました。

観音堂|奈良から高輪へ移された古建築

庭園内の観音堂かんのんどうは、奈良県生駒市の長弓寺にあった三重塔の初層と伝わる建物です。ホテル公式資料では、建築様式から鎌倉時代末から南北朝時代頃の建築と推定され、1936年に鎌倉へ、1954年に現在の高輪へ移築されたとされています。観音堂、鐘楼、山門は2021年に港区指定有形文化財となりました。

夜桜と竹あかりに囲まれたグランドプリンスホテル高輪日本庭園の観音堂
日本庭園の観音堂。歴史ある建物が桜と竹あかりに包まれます。

赤い堂と桜、竹あかりが重なる場所は、今回の散歩でも印象的な場面になりました。庭園の装飾として古風に造られた建物ではなく、実際に長い年月を経て移築された建築だと分かると、見え方も変わります。

グランドプリンスホテル高輪日本庭園の夜桜ライトアップを歩く参加者
ライトアップされた庭園を歩く参加者のみなさん。15人で夜の高輪を巡りました。
グランドプリンスホテル新高輪の建物と夜桜ライトアップ
夜空に浮かぶホテルの外観と桜。高輪の夜景と庭園の光が一体になった景色です。

高輪・白金台はなぜ邸宅と庭園が多いのか

高輪たかなわは港区南部の高台で、江戸時代には東側を東海道が通り、高輪大木戸が江戸の南の入口となりました。一方、高台には大名屋敷や寺院が置かれ、明治以降は皇族や実業家の邸宅が増えていきます。

隣接する白金台しろかねだいにも、武家屋敷や近代の邸宅、用水路の歴史が残っています。現在の学校、美術館、庭園、大きな緑地を結んで歩くと、都心にまとまった敷地が残った背景をたどれます。高輪の地形と旧街道をさらに詳しく知るなら、高輪ゲートウェイから高輪大木戸・伊皿子貝塚を歩く歴史散歩も参考になります。

今回の散歩ルート

  1. 旧竹田宮邸洋館(グランドプリンスホテル高輪 貴賓館)
  2. プリンスホテル日本庭園
  3. 頌栄女子学院
  4. 荏原 畠山美術館
  5. 三田用水路跡
  6. 白金台3丁目の住宅街
  7. 八芳園

ホテルの庭園から住宅地へ抜けると、同じ高台の上に皇族邸、女子教育、近代数寄者の美術館、江戸の水路、実業家の庭園が続きます。夜景や桜とともに、土地の使われ方が時代ごとに変わってきたことを追えるルートです。

頌栄女子学院|明治17年創立、高輪台に続く女子教育の歴史

頌栄しょうえい女子学院の前身、頌栄学校は1884年(明治17年)12月8日に開校しました。女子教育の制度がまだ整っていなかった明治前期から続く学校で、1920年に高等女学校となり、1964年に現在の校名へ改称しています。

高輪台駅に近い校地は街中にありながら樹木が多く、高輪・白金台に学校と緑地が共存してきた景観の一部になっています。

白金台にある頌栄女子学院中学校・高等学校の入口
頌栄女子学院中学校・高等学校、2021年。撮影:Syced/Wikimedia Commons/CC0。

荏原 畠山美術館|実業家が育てた茶の湯と美術の空間

荏原 畠山美術館は、荏原製作所の創業者・畠山一清はたけやまいっせい(号・即翁そくおう)のコレクションを核とする私立美術館です。畠山は昭和初期に旧寺島宗則伯爵邸のあった白金猿町の土地を購入し、茶室や能舞台を配した私邸「般若苑」を整えました。1964年、その一角に畠山記念館を開館しています。

収蔵品は茶道具を中心に書画、陶磁、漆芸、能装束など約1300件で、国宝6件、重要文化財33件を含みます。約4年半の改築を経て2024年10月に「荏原 畠山美術館」として再開館しました。庭園と建築、展示室を一体で味わえる美術館です。

三田用水路跡|白金台の高台を水が走った

白金台3丁目には、かつて玉川上水から分かれた三田用水の痕跡が残ります。三田上水は1664年(寛文4年)、江戸市街の水需要に対応するため玉川上水から分水して設けられました。1722年にいったん廃止された後、流域の農業用水として再び水を引くことが認められ、三田用水として利用が続きました。

近代になると水車や工業にも使われ、1974年に取水が停止しました。白金台3丁目では水路の痕跡をたどることができ、坂の多い白金台の台地上に水を通した仕組みを考える手がかりになります。

八芳園|江戸の屋敷地から近代の庭園へ

白金台の八芳園は、江戸時代初期に大久保彦左衛門おおくぼひこざえもんの屋敷があったと伝わる土地です。その後、明治末には実業家・渋沢喜作の手に渡り、大正期には久原房之助くはらふさのすけが取得。現在の八芳園につながる庭園が整えられました。

池と高低差を生かした庭には古木や茶室、盆栽などが点在します。八芳園の歴代の主や庭園の見どころは、八芳園の歴史と見どころで詳しくまとめています。

高輪の夜桜を歴史と一緒に歩く

今回の15人での散歩では、旧宮家の洋館から、移築された古建築、桜と竹あかりの日本庭園へと、時代の異なる景観を夜の光の中でたどりました。ライトアップは庭園の高低差や樹木の枝ぶりまで際立たせ、参加者のみなさんからも感動の声が上がりました。

高輪の裏路地や旧大名屋敷の痕跡まで広げて歩くなら、高輪皇族邸と裏路地を歩いた歴史散歩開催レポートもつながります。日本庭園から高輪の裏路地へ抜ける別ルートは、プリンスホテル日本庭園から高輪の裏路地を歩くコースで紹介しています。

TimeWalkで高輪・白金台の史跡を地図から探す

高輪・白金台には、庭園や美術館の間にも寺院、旧屋敷地、水路跡などが点在しています。TimeWalkで現在地から歩ける史跡を地図で探すと、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分のペースで歴史散歩を楽しめます。

参考資料

まとめ

2026年3月23日の高輪散歩は、夜桜のライトアップを楽しみながら、旧竹田宮邸、日本庭園の歴史的建造物、高輪・白金台に残る邸宅文化と水路の歴史をたどる一夜になりました。光に包まれた桜と庭園の景色に、歴史解説が重なることで、高輪の夜を立体的に味わえる散歩となりました。