根津神社のツツジと白山神社のフジ、江戸の建築美が織りなす文京区の夜散歩

【紫色:主な見附 白色:主なスポット 青色:現在の主要線路】見附とは見張り番所がある城門のことで、江戸城の見附は主に枡形門と堀に架けられた橋が一体となったものが多かった。実際は36以上あったが俗に江戸城三十六見附と呼ばれている。現在でも一部残っている。
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文京区根津(ねづ)

町域の元は根津神社(旧名:根津権現)と門前、徳川綱重の屋敷地で、綱重の屋敷地は後に旗本の居宅街となった。門前にできた岡場所は根津遊廓と呼ばれ栄えたが、明治時代になり帝国大学の近くにあることが問題視され、1888年に遊廓群が洲崎へ強制移転させられ、色街としては消滅している。地名の由来について、地形由来説と神社由来説の2つがある。

文京区向丘(むこうがおか)

主に住宅地として利用され、文京学院大学などが所在する。他にも、東京都立向丘高等学校、郁文館中学校・高等学校、郁文館グローバル高等学校、文京区立第六中学校など教育機関が多い。地名は上野の忍ヶ岡辺りから不忍池を隔て向こう側に開ける台地ということでこの名がついたといわれる。向丘1-15-7の地点で104万円/m2(2025)

文京区白山(はくさん)

地名は白山神社から。縁起によれば、948年(天暦2年)に加賀一ノ宮の白山神社を分祀しこの地に祭った。徳川綱吉の信仰を受けた。江戸時代まで武蔵国豊島郡小石川村、駒込村の各一部だった。学校・寺院が多い。白山2-4-13の地点で81万9000円/m2、白山4-28-18の地点で116万円/m2(2025)。

行くところ

  1. 弥生式土器発掘ゆかりの地
    1. 日本の歴史区分の一つである「弥生時代」の名称の由来となった地です。1884年、当時まだ学生だった有坂鉊蔵(後の陸軍中将・工学博士)らによって、一つの壺形土器が発見されました。それまで知られていた「縄文土器」とは異なり、薄手で表面が滑らか、かつ機能的な形状をしていました。発見地の地名をとって「弥生式土器」と名付けられ、後にこの土器が使われていた時代そのものが「弥生時代」と呼ばれるようになりました。
    2. 向かいに「江戸千家宗家蓮華庵(れんげあん)」がある。開祖は表千家7代・如心斎の門人であった川上不白(ふはく、1719-1807)。不白は享保4年(1719年)、紀伊新宮藩の水野家の家臣であった川上六太夫の次男として生まれる。田沼意次のほか大名の島津氏や毛利氏らが入門するなど、不白による千家の茶道が江戸に広がると、不白は表千家から江戸千家を開いた。89歳で江戸の隠宅であった水野家下屋敷に置いた蓮華庵で死去した。
  2. おばけ階段
    上る時と下りる時で段数が違うという不思議な噂で知られる有名なミステリースポットです。かつては上りが39段、下りが40段(あるいはその逆)と言い伝えられてきましたが、その正体は最上段が地面とほぼ同じ高さで平坦なため、足を進める際に「一段」としてカウントするかどうかで錯覚が生じたようです。
  3. 根津神社
    1. 1706年に五代将軍徳川綱吉が建立した社殿群がほぼそのまま現存しており、本殿、幣殿、拝殿、唐門、西門、透塀、楼門の7棟が国の重要文化財に指定されている。江戸時代の神社建築の精華であり、都内で現存する唯一の楼門や、権現造りの代表作として知られる。
    2. つつじ苑(文京つつじまつり): 境内の斜面に約100種3,000株のつつじが咲き誇ります。4月文京つつじまつりの真っ最中で、色彩豊かな花々が織りなす絶景が見頃を迎えています。
    3. 境内にある乙女稲荷神社へと続く赤い千本鳥居は人気のフォトスポット。北から南へ通り抜けると邪気が払われると言われています。
  4. 曹洞宗大智山海蔵寺(かいぞうじ)
    天文年間(1532-1554) 勝庵宗最禅師を開山として現在の和田蔵門内に創建された。その後明暦年間(1655-1657)に現在地に移転してきた。著名な墓碑等は、江戸庶民に富士信仰を広めた富士行者身禄の墓、江戸後期の儒学者立原翠軒夫婦の墓がある。
  5. 八百屋お七墓所(圓乗寺)
    1. 境内には3基の供養塔が並んでおり、中央は寺の住職が供養のために建てたもの、右側は寛政年間に歌舞伎役者の岩井半四郎が建立したもの、左側は近隣の人々によって建てられたもの。
    2. 八百屋お七(やおやおしち、寛文8年〈1668年〉? -天和3年3月28日〈1683年4月24日〉、生年・命日に関して諸説ある)は、江戸本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし、鈴ヶ森刑場で火あぶりにされた。火刑に処されたとされる少女である。井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになり、文学や歌舞伎、文楽など芸能において多様な趣向の凝らされた諸作品の主人公になっている。
    3. 干支の丙午(ひのえうま)年の生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮めるという迷信は、丙午の年には火災が多いという江戸時代の初期の迷信が、八百屋お七が1666年の丙午生まれだとされたことから、女性の結婚に関する迷信に変化して広まって行ったとされる。
  6. 白山神社
    1. 天暦2年(948年)に加賀の一宮を勧請したのが始まりとされる古社で、徳川綱吉が将軍になる前の館(旧白山御殿)の跡地に隣接しています。白山神社といえば、都内屈指のアジサイの名所として有名です。
    2. 江戸時代の中期から後期にかけての建築様式を残しており、細部の装飾に注目です。拝殿の軒下などには、非常に精巧な龍や獅子の木彫りが施されています。これらは江戸彫物(江戸彫工)の技術を伝える貴重な造形物です。境内入口にある石造りの鳥居は、江戸時代初期の形式を留めており、区の指定文化財となっています。
    3. 近代史のファンにとって見逃せないのが、中国の革命家・孫文に関するスポットです。孫文が亡命中に宮崎滔天(とうてん、1871-1922)とこの境内の石に座り、夜空の流星を見ながら中国の将来を語り合ったというエピソードが残っています。その傍らには「孫文先生座石」の碑が建てられています。宮崎滔天は、自由民権思想を根幹とする世界革命を目指し活動した近代日本の社会運動家で孫文ら中国の革命家たちを支援した日本人の代表格として知られる。中華人民共和国の南京中国近代史遺址博物館の中庭に孫文と並んで銅像が建つ。