2023年7月23日、丸の内で初心者向けの歴史・建築散歩を開催しました。東京駅丸の内駅舎からKITTE、三菱一号館、明治生命館、第一生命館、東京国際フォーラムへ。歩く距離は短くても、江戸の大名屋敷から明治のオフィス街、昭和の近代建築、戦後の占領期まで、東京の変化が凝縮されたルートです。
丸の内の建物は、年代を追って見ると街の成り立ちがよく分かります。赤煉瓦の東京駅と三菱一号館、白い外壁と列柱が印象的な明治生命館、昭和初期のモダニズムを伝える旧東京中央郵便局。同じ数百メートルの範囲に、異なる時代の建築が並んでいます。

丸の内はどうつくられたのか
江戸時代の丸の内一帯には、江戸城の正面を囲むように大名屋敷が並んでいました。明治維新後は陸軍の軍用地となり、1890年に三菱が土地の払い下げを受けます。当時は草地が広がり、「三菱が原」と呼ばれるほど建物の少ない場所でした。


転機は1894年です。ジョサイア・コンドルが設計した三菱一号館が完成し、その後も赤煉瓦のオフィスが続きました。1911年までに13棟が建ち並び、約100メートル四方の街区とロンドン風の景観から「一丁倫敦」と呼ばれます。1914年に東京駅が開業すると交通の要衝となり、丸の内は日本を代表するビジネス街へ成長しました。
丸の内全体の変遷や周辺建築を年代順に知りたい方は、丸の内エリアの歴史と建築ツアーもあわせてどうぞ。
江戸の地図と現在地を重ねて歩くと、かつての大名屋敷と現在の街区の位置関係もつかみやすくなります。散歩では「大江戸今昔めぐり」も参考にしました。
大江戸今昔めぐり
東京駅丸の内駅舎|1914年の赤煉瓦駅舎
散歩の出発点は東京駅丸の内駅舎です。1914年に開業し、設計を主導したのは建築家の辰野金吾。南北に大きなドームを置く赤煉瓦駅舎は、首都の中央駅にふさわしい壮大な姿で建てられました。
1945年の空襲で屋根と3階部分などを焼失し、戦後は2階建ての姿で復旧します。その後、保存・復原工事が進められ、2012年に創建時の3階建てとドーム屋根がよみがえりました。2階以下では創建時の構造煉瓦や外壁材が保存され、3階部分などは新たに復原されています。「古い建物を残す」だけでなく、現役の駅として使い続けるための保存技術も見どころです。


東京駅そのものの建築、戦災、保存・復原は、東京駅の歴史と建築を徹底解説で詳しくまとめています。駅舎保存と周辺の高層化を結びつけた容積移転は、丸の内・大手町を歩く|東京駅保存と容積移転で読む再開発入門で紹介しています。
KITTE・旧東京中央郵便局|1931年のモダニズム建築
東京駅の向かいに立つKITTEは、旧東京中央郵便局舎の一部を保存して整備されたJPタワーの低層部です。旧局舎は1931年竣工。設計した吉田鉄郎は逓信省の建築家で、装飾を抑えた白い外観は昭和初期のモダニズム建築を代表するものとして知られます。
1914年の東京駅が赤煉瓦と装飾で堂々とした正面性をつくるのに対し、中央郵便局は白い壁面と水平・垂直の線が強く、約17年の間に建築の感覚が大きく変わったことを実感できます。展示室やアトリウムに残る八角形の柱も、旧局舎の設計を伝えるポイントです。

インターメディアテク
KITTEの2・3階にあるインターメディアテクは、日本郵便と東京大学総合研究博物館が共同運営する学術文化施設です。2013年に開館し、東京大学が1877年の創学以来蓄積してきた学術標本などを、旧東京中央郵便局の歴史的空間を生かして展示しています。
旧東京中央郵便局長室とKITTEガーデン
4階の旧東京中央郵便局長室では、保存された内装越しに東京駅を望めます。6階のKITTEガーデンへ上がると、丸の内駅舎の長い正面と、その背後に重なる高層ビルを一度に見渡せます。明治・大正期の建築を保存しながら高層化してきた丸の内の景観を、立体的に確認できる場所です。

旧東京中央郵便局長室をGoogle Mapsで見る
KITTEガーデンをGoogle Mapsで見る
三菱一号館|1894年の丸の内を復元した赤煉瓦建築
三菱一号館は、丸の内がオフィス街へ変わり始めた時代を象徴する建物です。初代はジョサイア・コンドルの設計で1894年に完成し、銀行や商社などが入る洋風事務所として使われました。丸の内に赤煉瓦の街並みが広がる起点となった建築です。
初代の建物は1968年に解体されました。現在の三菱一号館は、原設計図や解体時の実測図、写真、保存部材などをもとに同じ場所へ復元され、2009年に竣工。2010年から三菱一号館美術館として使われています。

東京駅では創建時の建物を残しながら失われた部分を復原し、三菱一号館では一度解体された建物を資料にもとづいて復元しています。徒歩数分の範囲で、歴史的建築を未来へつなぐ二つの方法を比べられます。
三菱一号館と明治生命館を中心に見たい方は、丸の内の建築&歴史散歩も参考になります。
明治生命館|1934年の古典主義建築と占領期
皇居外苑側へ進むと、巨大な列柱を並べた明治生命館が現れます。1934年竣工、設計は岡田信一郎。古代ギリシャ・ローマ建築を思わせる列柱と石造風の外観を備えた古典主義建築の代表作です。1997年には、昭和期に建てられた建造物として初めて国の重要文化財に指定されました。


戦後の1945年から1956年まではアメリカ極東空軍司令部として接収され、2階の会議室は対日理事会の会場にもなりました。外観の壮麗さだけでなく、占領期の政治史を伝える舞台でもあります。
この場所には明治生命館より前に三菱二号館がありました。現在の明治生命館そのものが三菱二号館だったのではなく、同じ敷地の歴史が次の建築へ引き継がれています。
第一生命館|GHQ本部となった1938年の建築
明治生命館から日比谷側へ進むと第一生命館があります。1938年に完成し、第一生命が本社を移しました。敗戦後の1945年には連合国軍総司令部(GHQ)庁舎として接収され、占領期の日本政治を象徴する場所の一つになりました。

明治生命館と第一生命館は、ともに昭和初期の大規模オフィス建築です。戦後には明治生命館がアメリカ極東空軍司令部、第一生命館がGHQ庁舎となり、丸の内・日比谷の建築が占領行政の舞台へ転じました。
太田道灌像|丸の内から江戸城へ時間を戻す
散歩の終盤は東京国際フォーラムへ。ガラス棟には、室町時代に江戸城を築いた武将・太田道灌の像があります。制作は彫刻家の朝倉文夫。この場所に東京都庁舎があった時代から丸の内に置かれ、現在も江戸城の方向を望む姿で立っています。

丸の内の近代建築をたどった最後に道灌像を見ると、街の時間がさらに400年以上さかのぼります。江戸城、大名屋敷、軍用地、三菱のオフィス街、東京駅、昭和の近代建築、占領期。現在の丸の内は、それぞれの時代が数百メートルの中に重なってできています。
2023年7月23日の丸の内歴史・建築散歩を振り返って
この日のルートは、東京駅から有楽町方面へ歩きながら、建築年代をおおむね追える構成でした。東京駅の保存・復原、旧東京中央郵便局の保存活用、三菱一号館の復元、明治生命館の重要文化財としての保存など、歴史的建築の残し方が一つずつ異なります。
丸の内は高層ビルの街という印象が強い一方、足元には江戸から昭和までの痕跡が連続しています。建物の外観だけでなく、「いつ建ったか」「何があった場所か」「その後どう残されたか」を重ねて見ると、東京の都市史が立体的に読める散歩になります。

