「過去から未来へ」築地の歴史と都内最大の開発事業を巡る街歩き

【紫色:主な見附 白色:主なスポット 青色:現在の主要線路】見附とは見張り番所がある城門のことで、江戸城の見附は主に枡形門と堀に架けられた橋が一体となったものが多かった。実際は36以上あったが俗に江戸城三十六見附と呼ばれている。現在でも一部残っている。

今回いくところ

以下のリンクはGoogleマップのリンクです。マップの保存をしていれば説明がみれます。マップの保存についてはこちら

浜離宮前踏切跡

1964年の東京オリンピック前に運河が埋め立てられる前の銀座、汐留、築地の上空写真

水路記念碑「日本国海図及び海洋調査発祥の地」

「海軍兵学寮阯」碑・『海軍軍医学校跡」碑

【1871年】海軍(明治4年)▷築地の海軍兵学寮(後の海軍兵学校) 明治2年創設の兵部省が築地に海軍操練所を開設、諸藩から人を集めて英式兵学教育を始め、翌明治3年海軍兵学寮と改称、明治4年にこの建物が竣工 引用元:https://jaa2100.org/entry/detail/043715.html

浴恩園跡 (都指定文化財 旧跡)

「江戸浴恩園全圖」国立国会図書館所蔵 浴恩園は寛政の改革で知られる老中、松平定信(1758~1829年)が屋敷に築いた庭園。

5万人収容のスタジアムなど大規模な商業開発の計画が進む築地市場(東京都中央区)の跡地。その地下には都が旧跡に指定している江戸時代の庭園「浴恩園(よくおんえん)」の遺構が眠っている。ところが、都は遺構の調査や情報公開に後ろ向きで、「存在を無視して開発ありきで事業を進めている」との批判の声が文化財の保全団体などから上がっている。近年の検証があまり進まず「知る人ぞ知る名園」と呼ばれた浴恩園。忘れられたまま、消え去ってしまうのか。(森本智之)

都民新聞(https://www.tokyo-np.co.jp/article/346943

海幸橋碑

軍艦操練所跡

風船昇遥図(ふうせんしょうようのず) 歌川芳虎(うたがわよしとら)画 明治5年/1872年
東京名所三十六戯撰 つきし海軍所 昇斎一景(しょうさい いっけい)画 明治5年頃(1872年頃)

海軍経理学校の碑

海軍経理学校の築地校舎

築地Kyビル2Fの展示

築地kyビルの2Fには築地の歴史の展示があります。

再開発事業

  1. 築地市場跡地に5万人スタジアム建設へ、三井不動産・鹿島・トヨタなど連合(XTECH)
  2. 築地地区まちづくり事業(東京都都市整備局)