武蔵国分寺は聖武天皇の全国国分寺建立の詔の直後に工事が着工され8世紀中頃の西暦750年~760年には既に完成していました、その寺域は奈良の東大寺に次ぐ規模で大国の国級である武蔵国に相応しい壮大な寺院でした、1333年(元弘3年)分倍河原の合戦で鎌倉幕府の軍に敗れた新田義貞は当時鎌倉幕府の管理下にあった武蔵国分寺に火をかけて敗走しました、これにより幕府軍は武蔵国分寺の救済を優先し義貞追討を断念します、その翌年の1334年(建武元年)義貞は前年の放火の御詫びと武蔵国分寺の再興をかねて黄金300両と伽藍200目を寄進して更にその翌年には薬師堂を建立しています。
関東、歴史旅行情報の「武蔵国分寺」より
③お鷹の道
④武蔵国分寺跡資料館(おたかの道湧水園 100円)
⑦国分寺市文化財資料展示室(無料)
⑨西国分寺駅