昭和20年4月13日深夜から翌14日未明にかけて東京西北部一帯を襲った空襲(城北大空襲)は、豊島区の大半を焦土と化し、甚大な被害と深い悲しみをもたらしました。死者778人、負傷者2,523人、焼失家屋34,000戸にのぼる被害により罹災者の数は161,661人と、実に当時の人口の約7割に及びました。この空襲によって無念のうちに尊い命を失った数多くの犠牲者が、当時、「根津山」と呼ばれた、ここ南池袋公園の一角において埋葬されました。
東武鉄道創業者である根津嘉一郎所有の雑木林が「根津山」と呼ばれていた
- 境内に神木隊戊辰戦死之碑がある
- 神木隊(しんぼくたい)は戊辰戦争の際に越後高田藩抗戦派が組織した部隊
- 脱藩した高田藩士によって江戸で結成され、彰義隊に合流し上野戦争→宮古湾海戦→函館戦争において新政府軍と戦い敗れ降伏した
- 隊の名は藩主の榊原家の「榊」の字を分けたもの
- 本立寺は江戸時代中期に姫路藩主榊原家の奥方の菩提寺となった
- 姫路藩主・榊原政岑(まさみね)が吉原の遊女六代目高尾太夫を溺愛
- 奢侈を禁止していた将軍徳川吉宗の怒りを買い越後国高田藩に懲罰的転封となった
- 死後、高尾太夫は出家。本立寺には高尾太夫の墓がある
- 高尾太夫(たかおだゆう)は、吉原の太夫の筆頭ともいえる源氏名で、吉原で最も有名かつその名にふさわしいな遊女が代々襲名された名前。三名妓(高尾太夫、吉野太夫、夕霧太夫)の一つ
- 隣にある威光山法明寺の塔頭寺院
- 総本山は山梨県身延町にある身延山久遠寺
- 鬼子母神は「きしもじん(呉音)」、鬼子母神前駅は「きしぼじん(漢音)」と読む(寺社は呉音が基本)
- 1棟(本殿・相の間・拝殿からなる複合建築)が国重要文化財
- 本殿は1664年と建立年が明らかで江戸時代の建築過程がわかる建築群として歴史的価値が高い
- 日蓮宗威光山法明寺の飛び地境内
- 境内に鬼子母神像がある室町時代(1561年)に鬼子母神像を井戸から発掘し、その後この地に安置し、門前町が形成されていった
- 手塚治虫が暮らしていたアパート
- 国の有形文化財
- 昭和28年に建てられた現在も住居や事務所など11部屋全てが埋まっている人気物件
世界中の梟に関した資料収集家でもある、東大名誉教授の飯野徹雄氏が所蔵する膨大なふくろうコレクションのうち、およそ4000点が豊島区に寄贈されました。豊島区では、区立南池袋小学校の一室を豊島ふくろう・みみずく資料館とし、それらのコレクションを200から300点ずつ順次展示公開しています。
⑦豊島の森(豊島区役所の10階)
- 2015年できた新庁舎
- 全国初の民間高層マンションとの一体型再開発事業
- 旧庁舎跡地はHareza池袋となっている