赤塚氷川神社の歴史|1457年の創建伝承と田遊び・木曽御嶽塚

板橋区赤塚四丁目の赤塚氷川神社は、上赤塚村の鎮守として人々の祭礼を支えてきた神社です。創建は長禄元年(1457)に赤塚城主の千葉自胤が氷川神社から分霊を勧請したことに始まると伝わります。長い参道のケヤキ並木に加え、境内には富士塚や木曽御嶽塚があり、村の鎮守と江戸後期の山岳信仰が同じ場所に残っています。

千葉自胤と上赤塚村の鎮守

赤塚氷川神社の由緒では、長禄元年(1457)に千葉自胤(ちばよりたね)が武蔵国一宮の氷川神社から分霊を迎えたとされています。自胤は室町時代後期に赤塚郷を支配した千葉氏の武将で、近くの赤塚城とも関わる人物です。この年号は神社に伝わる創建伝承として扱われています。

江戸時代になると神社は上赤塚村の鎮守となり、村人たちが祭礼を行う場所として受け継がれました。祭神には素戔嗚命(すさのおのみこと)と藤原広継命(ふじわらひろつぐのみこと)が祀られています。参道に並ぶケヤキの古木は、農村だった赤塚の景観を今に伝えます。

赤塚氷川神社の田遊び

赤塚氷川神社にも農耕の作業を神前で演じる「田遊び」が伝えられています。板橋区の文化財マップには、毎年2月10日に行われる行事として記されています。田遊びでは、稲の作業をあらかじめ演じることによって豊作を願う「予祝」の考え方が受け継がれました。実施日や公開の有無は年度ごとの案内で確認が必要です。

板橋区内では、徳丸北野神社と赤塚諏訪神社の田遊びが「板橋の田遊び」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。赤塚氷川神社の田遊びは、この二社の国指定行事とは区別して紹介されています。同じ地域に複数の田遊びが伝わることから、農村ごとの祭りの違いをたどれます。

富士塚と赤塚一山講の木曽御嶽塚

江戸時代には富士山や木曽御嶽山への登拝を目指す講が各地で作られました。講は信者の集まりで、参詣の費用を積み立てたり、地元で山岳信仰の祭祀を行ったりしました。赤塚氷川神社の境内には富士塚と木曽御嶽塚が残り、村人の山岳信仰を伝えています。

木曽御嶽塚は、御嶽信仰の行者である一山行者の流れをくむ「赤塚一山講」が築いたとされています。塚には御嶽山に関係する神々や行者を祀る石碑が配されています。「御嶽山座王権現」碑は元治元年(1864)の奉納で、板橋区内で確認された御嶽山関係の碑のうち最も古いものです。

明治16年(1883)の「氷川神社祭礼絵馬」には、木曽御嶽塚と富士塚がともに描かれています。このため、19世紀には二つの塚が神社の境内にあったことが確認できます。木曽御嶽塚は平成28年(2016)3月28日に板橋区の登録記念物(史跡)となりました。

明治の祭礼絵馬が伝える村のにぎわい

神社所蔵の祭礼図絵馬には、拝殿前での祈祷や神楽、境内を進む山車、見物人の様子が描かれています。五台の山車には人形が載り、屋台や物売りの姿も確認できます。描かれた風景には実際の方角や距離と異なる部分がありますが、当時の建物の配置や村の祭礼を知る資料です。

祭礼絵馬は現在一般見学ができない資料です。神社に伝わる絵馬・扁額は、地域の信仰や村人たちの集まりを伝える文化財として保存されています。

所在地と赤塚の歴史散歩

所在地は板橋区赤塚4-22-1です。長い参道の樹木と境内の石碑を、参拝者に配慮しながら見ることができます。赤塚城跡や松月院、赤塚諏訪神社などの歴史は、赤塚・成増周辺の歴史と文化財で紹介しています。

参考資料

板橋区「赤塚氷川神社」、板橋区「赤塚氷川神社木曽御嶽塚」、板橋区「絵馬から祭りの風景を読む」、板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』。