板橋区大和町の日曜寺(にちようじ)は、江戸時代に田安宗武(たやすむねたけ)の保護を受けた真言宗霊雲寺派の寺院です。本尊の愛染明王は、江戸の染物職人からも信仰されました。山門には宗武の子・松平定信が文化12年(1815)に奉納した扁額が伝わり、寺に残る仏画や石造物には、武家と職人の異なる信仰の歴史が刻まれています。
18世紀初めに始まった日曜寺
日曜寺は光明山日曜寺と称し、18世紀初めに宥慶比丘(ゆうけいびく)によって開かれたと伝わっています。総本山は現在の東京都文京区湯島にある霊雲寺で、本尊には愛染明王を祀ります。日曜寺はやがて将軍家の一門と結び付き、田安家の祈願寺として整えられました。
田安宗武は八代将軍徳川吉宗の次男で、御三卿の一つである田安家の祖です。宗武は当時の住職を信頼し、堂宇の整備に協力するとともに、仏像や仏画を奉納したと伝えられています。江戸時代の寺院は村人や町人の信仰を集める一方、武家の祈願や供養の場にもなりました。
田安家が奉納した四幅の仏画
日曜寺には「日曜寺田安家奉納仏画」として、愛染曼荼羅、金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅、弘法大師影像の計4幅が伝わっています。両界曼荼羅は金剛界と胎蔵界を対にしたもので、真言密教の世界観を表す仏画です。
第二次世界大戦中、日曜寺は山門を除く境内の大部分を焼失したとされ、寺にあった多くの仏像・仏画も失われたと考えられていました。しかし、後の文化財調査によって田安家に由来する仏画が確認されました。愛染曼荼羅は縦約288センチ、横約195センチという大きな作品です。これらは将軍家一門と地域の寺院のつながりを伝える文化財です。
松平定信が1815年に奉納した扁額
山門に掲げられた「日曜寺」の扁額は、宗武の子で、寛政の改革を主導した松平定信の筆によるものです。文化12年(1815)、父宗武の生誕100年を記念して奉納されました。欅材に書を仕立てた扁額は縦80センチ、横153センチあり、現在も日曜寺の由緒を伝えています。
田安宗武の七男として生まれた定信は、陸奥白河藩の藩主となり、幕府の老中として政治改革に取り組みました。父を記念した寺への奉納は、将軍家一門による寺院保護が次の世代にも受け継がれたことを伝えます。
「愛染」と「藍染」を結んだ染色職人の信仰
日曜寺では愛染明王への信仰が江戸・東京の染色業者にも広がりました。「愛染」と染色の「藍染」の音が通じるため、藍を扱う職人たちは愛染明王を仕事の守り仏として敬いました。職人たちは愛染講を組織し、寺に玉垣、石灯籠、手水鉢、奉納額などを納めています。
境内には天保10年(1839)に造られた手水鉢をはじめ、愛染講に関わる石造物が残ります。奉納者や奉納年の記録は、江戸後期から近代にかけて職人の信仰が続いたことを伝えています。田安家の仏画と染色職人の奉納物は、同じ寺が身分や職業の異なる人々に支えられていたことを示す資料です。
所在地と周辺の寺社
日曜寺は板橋区大和町42-1にあります。都営三田線板橋本町駅から徒歩約8分で、近隣には智清寺や縁切榎もあります。寺院の法要や文化財の公開状況に配慮し、仏画などの拝観は事前に確認してください。周辺の歴史は板橋宿・仲宿周辺の歴史と文化財でも取り上げています。
参考資料
板橋区「日曜寺のご案内」、板橋区「日曜寺田安家奉納仏画」、板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』。
