旧養育院長渋沢栄一銅像の歴史|1925年の建立と板橋の社会福祉

板橋区栄町の東京都健康長寿医療センター敷地内に「旧養育院長渋沢栄一銅像」が立っています。銅像は大正14年(1925)11月15日、板橋に移った養育院本院の完成にあわせて建立されました。渋沢栄一が長く携わった社会福祉事業と、板橋が医療・福祉施設の拠点となった歴史を伝える文化財です。

養育院の運営に携わった渋沢栄一

養育院は明治5年(1872)に開設された、生活に困窮する人々を支援する施設です。病気の人、高齢者、子どもなどを受け入れ、時代に応じて運営の仕組みや施設の機能を変えていきました。渋沢栄一は明治7年(1874)から養育院の運営に関わり、事務長を経て院長を務め、昭和6年(1931)に亡くなるまで事業を支えました。

明治期の養育院は東京の社会福祉行政が制度として整う過程で重要な役割を担いました。渋沢は実業家として知られますが、養育院の運営では施設の維持、救護活動、支援を必要とする人々の生活に長くかかわりました。

関東大震災と本院の板橋移転

養育院の本院はもともと東京の大塚にありました。板橋にも大正3年(1914)に分院が置かれ、本院の移転準備が進められていました。大正12年(1923)の関東大震災で大塚本院が被害を受けたため、本院機能は板橋へ移されました。翌大正13年には本院事務所が完成しました。

板橋の本院は、後の東京都養育院や東京都健康長寿医療センターへとつながる福祉・医療の歴史の舞台となりました。旧本院の建物や敷地の利用は時代とともに変化し、かつて事務所があった場所は現在の板橋第一中学校の敷地にあたります。

650人余りの寄付で1925年に建立

大正13年(1924)、東京市の関係者らが発起人となって銅像建設会を設けました。650人余りから寄付を募り、翌大正14年(1925)11月15日に銅像の除幕式を行いました。渋沢自身も除幕式に出席しています。

彫刻は小倉右一郎が手がけました。渋沢はフロックコートを着てソファに腰掛けた姿で表され、立像ではなく着座像となっています。制作当時は大きな花崗岩の台座の上に青銅像が据えられていました。

戦時の金属供出と銅像の保存

第二次世界大戦中、銅像は金属供出の対象となりました。昭和16年(1941)に台座から下ろされ、代わりにコンクリート製の像が据えられましたが、青銅像自体は供出を免れました。昭和32年(1957)の移設時に元の銅像が戻され、その後も場所を変えながら保存されました。

平成25年(2013)6月、東京都健康長寿医療センターの開院に伴って現在地へ移されました。銅像は板橋区の登録有形文化財(歴史資料)として保存されています。

現地の銅像と養育院本院の碑

銅像の所在地は板橋区栄町35番2号、東京都健康長寿医療センターの敷地内です。近くには「養育院本院」の碑があり、文字は渋沢栄一の墨蹟に基づくものです。施設内の展示コーナーでは、養育院から現在までの歴史を紹介しています。展示の公開日や入館条件は訪問前に施設へ確認してください。

板橋宿から加賀地域にかけては、江戸時代の宿場、武家屋敷、近代の工場、医療施設が近接してきました。周辺の歴史については板橋宿・仲宿周辺の歴史と文化財でも紹介しています。

参考資料

板橋区「旧養育院長渋沢栄一銅像」、板橋区「旧養育院長渋沢栄一銅像」案内、渋沢栄一記念財団『渋沢栄一伝記資料』、板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』。