井上円了の墓所|蓮華寺の墓石に込められた哲学者の名前

中野区哲学堂公園の朱塗りの六賢台。緑の樹木に囲まれた二層の塔

東京都中野区江古田一丁目の蓮華寺には、哲学者で教育者の井上円了(1858~1919)の墓があります。円了は哲学館(現在の東洋大学につながる学校)を創立し、近くの哲学堂公園を造った人物です。墓は中野区登録有形文化財となっており、墓石の形にも円了の名前が表されています。

井上円了が江古田の蓮華寺に葬られた経緯

井上円了は安政5年(1858)、越後国の寺院に生まれ、仏教と西洋哲学を学びました。明治20年(1887)に哲学館を創設し、その後は全国各地で講演を行うなど、学校の外にも学びを広げました。大正8年(1919)、講演旅行先の中国・大連で亡くなりました。

円了が蓮華寺に葬られたのは、同寺の住職と親交があったことによります。中野区観光協会は、墓石の独特の意匠とともに、円了と蓮華寺のつながりを紹介しています。哲学堂公園からほど近い場所に墓があるため、円了の社会教育活動と晩年を同じ地域でたどれます。

井桁と円形の石で表された「井上円了」

哲学堂公園を創設した哲学者・教育者の井上円了の肖像写真
井上円了の肖像(1919年以前撮影、撮影者不詳)。出典:『長岡中学読本 人物篇』(1936年)、Wikimedia Commons(パブリックドメイン)。墓所の写真ではありません。

墓石は「井」の形を表す井桁の上に、円形の石を置いた特徴的な構成です。井桁で「井」を、丸い石で「円」を表し、井上円了の名を連想させる意匠になっています。こうした形は円了の生前の発意によるものと伝えられています。通常の墓碑と異なる造形は、円了が生涯にわたり哲学の概念を建物や場所の名称で表した活動とも重なります。

哲学堂公園と井上円了の墓の関係

円了は明治37年(1904)に哲学堂を設け、四聖堂や六賢台などの建物に思想上の意味を与えました。公園内には園路や池、石造物にも哲学的な名称が付けられています。哲学堂が学びの場として構想されたのに対し、蓮華寺の墓所はその創設者を記憶する場所です。

哲学堂公園の成立と井上円了の教育活動は井上円了と哲学堂公園の歴史で、近隣の文化財は江古田・哲学堂周辺の歴史と文化財で紹介しています。

中野区の登録文化財として残る墓所

井上円了の墓は平成3年(1991)4月に中野区登録有形文化財となりました。所在地は中野区江古田一丁目6番4号の蓮華寺本堂前です。寺院の境内にある墓所のため、見学時には現地の案内と参拝可能な範囲を確認してください。

参考資料