板橋区本町の「縁切榎(えんきりえのき)」は、旧中山道の板橋宿に伝わる信仰の場所です。江戸時代には悪縁を断つ願掛けで知られ、皇女和宮が江戸へ向かう際にこの場所を避けたという伝承も残っています。現在の所在地は板橋区本町18番付近です。
旗本の屋敷にあった榎から始まる信仰
縁切榎の由来は、江戸時代に旗本の近藤登之助が抱屋敷に持っていた榎にさかのぼります。街道沿いの木が、のちに「縁を切る」力を持つものとして知られるようになり、旅人や周辺の人々の信仰を集めました。
願いの対象は男女関係の悪縁だけに限らず、酒を断つことなどにも広がりました。江戸の庶民にとって、健康や家族関係にかかわる悩みを祈願する場所でもありました。板橋宿は江戸を出た中山道最初の宿場で、人や情報が行き交う場所でした。榎の評判も、宿場を往来する人々を通じて広まったと考えられます。
和宮が榎を迂回したという伝承
文久元年(1861)、皇女和宮は徳川家茂との婚姻のため京都から江戸へ向かい、中山道を通りました。板橋宿では「縁切り」の名を避けるため、縁切榎の前を通らず、愛染通りから宿場に入ったと伝えられています。
この話は板橋宿に伝わる逸話として知られます。行列が通った経路を考える際には、当時の街道の位置や宿場の道筋とともに、伝承として受け継がれた内容を区別して扱う必要があります。縁起を重んじた婚礼と、中山道沿いの信仰の場所とが結び付いた例です。
悪縁を断つ願いから良縁の祈願へ
近代になると、悪縁を断つことと良縁を結ぶことが結び付き、縁切榎への信仰は新たな意味を持ちました。板橋区の文化財マップには、絵馬師・柴左一が描いた「縁切榎茶屋風景図絵馬」が記されています。榎の周囲にあった茶屋の風景も、かつての信仰と宿場の暮らしを考える資料になっています。
板橋宿の寺院にも、庚申塔や地蔵、仏像など、さまざまな願いを受け止めた文化財が残ります。縁切榎は、こうした街道沿いの庶民信仰の一つとして位置付けられます。
所在地と周辺の歴史
縁切榎は都営三田線「板橋本町駅」から徒歩で訪ねられる場所にあります。周辺には旧中山道の道筋が残り、板橋宿の上宿・仲宿、寺社、史跡をあわせてたどることができます。木や周囲の構造物の現況、参拝方法については現地の案内を確認してください。
周辺地域の歴史は、板橋宿・仲宿周辺の歴史と文化財で紹介しています。
参考資料
板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』、板橋区観光協会「縁切榎」。
