板橋区前野町五丁目に広がる前野兎谷遺跡(まえのうさぎだにいせき)は、縄文時代から平安時代までの生活の跡が確認された遺跡です。特に古墳時代前期の住居跡と多量の土器が注目されています。板橋区の文化財マップには、平成8年(1996)から翌年に行われた発掘調査と、「前野町式土器」の研究に関わる場所として紹介されています。
出井川を見下ろす台地の集落
遺跡は前野町5丁目26番から29番付近、出井川の谷を北側に望む台地の中腹に位置します。台地の斜面と谷沿いには、水を得やすく、低地も利用できる環境がありました。これまで複数の地点で発掘調査が実施され、縄文時代早期の炉穴、縄文時代前期の住居跡、古墳時代前期・後期、平安時代の住居跡が確認されています。
炉穴は地面に掘り込んだ火を使う施設の跡です。竪穴住居跡からは、柱や炉の痕跡とともに当時の暮らしに使われた土器などが見つかります。異なる年代の遺構が同じ地域から出土するため、土地がどの時期に利用されたかを比較できます。
「前野町式土器」の研究と昭和期の調査
前野兎谷遺跡には、考古学者の杉原荘介が昭和13年(1938)に調査した前野町遺跡の第7地点が含まれます。この地点からの資料は、関東地方の弥生時代後期末に関わる「前野町式」という土器型式の設定につながりました。
土器型式とは、器の形、文様、製作技法などの共通点によって土器を整理する分類です。出土した土器を型式ごとに比較すると、遺跡が使われた時期や地域間の関係を検討できます。前野町の資料は、関東の弥生時代研究で地域名が型式名として使われた例です。
2009年の発掘で出土した土器と鉄鏃
平成21年(2009)の第3地点の調査では、古墳時代前期の竪穴住居跡が1軒見つかりました。住居跡からは多くの土器と鉄鏃(てつぞく、鉄製の矢じり)が出土しています。土器は住居が使われなくなった後、埋まり始めた竪穴に置かれた、あるいは投棄されたものと考えられています。
出土土器には破損したものだけでなく、欠けていないものも含まれていました。使える状態の器が残されていた理由は確定していませんが、発掘調査では単なる生活ごみの処分と異なる行為の可能性も検討されています。多くの器が一緒に見つかったことは、当時の器の組み合わせや生活の様子を調べる手がかりになります。
東海地方との関係をうかがわせる土器
遺跡では、この地域では一般的でない文様を持つ壺や、特徴的な形の高坏(たかつき)も見つかりました。土器の意匠には東海地方との共通点があり、古墳時代前期の人々が地域を越えて交流していた可能性があります。実際に人が移動したのか、物や技術が伝わったのかは、土器の製作方法や他の遺跡の出土品との比較によって調べられます。
板橋区の解説では、古墳時代前期の住居跡が合計13軒確認された一方、弥生時代後期や古墳時代中期の住居跡は確認されていないとされています。土地の利用には時期によって変化があったことが分かります。
所在地と周辺の文化財
所在地は前野町五丁目26~29番付近です。発掘された遺跡は住宅地内に広がり、遺構を常時見学できる史跡公園として公開されている場所ではありません。常盤台・前野・西台周辺の古代遺跡については、常盤台・前野・西台周辺の歴史と文化財にも記載しています。
参考資料
板橋区「前野兎谷遺跡」(広報いたばし掲載記事)、板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』。
