板橋区徳丸七丁目に残る旧粕谷家住宅は、江戸時代中期の享保8年(1723)に建てられた茅葺の民家です。住宅の建築年代が部材の墨書から確かめられ、平成30年(2018)に東京都指定有形文化財(建造物)となりました。建物は移築せず、長く暮らしが営まれた場所に残されています。
徳丸脇村と粕谷家
江戸時代の徳丸には徳丸本村・徳丸脇村・徳丸四ッ葉村がありました。粕谷氏は徳丸脇村の名主を代々務めた家です。旧粕谷家住宅は、その名主家から浅右衛門が隠居して新たに家を起こしたことに始まると伝えられています。
名主は年貢や村の行政にかかわり、村人と領主側の間でさまざまな役割を担いました。一方、旧粕谷家住宅は名主の本家から分かれた家の住まいです。住宅の規模や間取りには、江戸時代の村に暮らす家族の生活と、地域の有力農家の住まい方が残されています。
柱に残された享保8年の記録
建築年代がはっきりしたのは、保存修理に伴う調査がきっかけです。建物南東隅の柱の枘(ほぞ)から「享保八年 卯二月三日」などと記された墨書が見つかり、享保8年(1723)に建てられたことが分かりました。建築当初の部材がよく残るため、建物の年代を推定だけに頼らず確かめられる点が貴重です。
この家が建てられたのは八代将軍徳川吉宗の時代です。現在の徳丸・高島平一帯に広がる住宅地ができるはるか前、周辺には田畑や村の屋敷がありました。古民家と、近くに伝わる徳丸・高島平の歴史をあわせて見ると、土地利用の変化が分かります。
茅葺屋根、土間、三本の大黒柱
主屋は寄棟造りの茅葺屋根を持ちます。建物内部では土間と板の間の境に三本の大黒柱が立つ構造が大きな特徴です。広間や座敷の配置、建具や柱に残る痕跡から、家族が集まる場所、来客を迎える場所、炊事や作業を行う場所の使い分けを読み取れます。
現代の住まいと比べると、土間は屋内でありながら土足で作業する空間でした。農具の手入れや日々の家事に結び付いた場所で、板の間との段差も暮らし方を物語ります。茅葺屋根や骨組みは、江戸時代の建築技術を伝える資料です。
復元整備と現地保存
平成28年(2016)から平成30年(2018)にかけて、建築当初の痕跡を手がかりに復元整備が行われました。日本各地の古民家は公共施設などへ移築されて保存された例も多いなか、旧粕谷家住宅は建築された場所に残り、周囲の土地との関係もたどれます。
見学案内
所在地は板橋区徳丸7-11-1です。板橋区の案内では一般公開時間は午前9時30分から午後3時30分まで、休館日は月曜日(祝日の場合は直後の平日)と年末年始です。公開状況や行事による変更は、訪問前に区の案内をご確認ください。
参考資料
板橋区「東京都指定有形文化財『旧粕谷家住宅』」、板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』。
