東京都板橋区桜川一丁目の御嶽神社には、オオカミの姿をかたどった狛犬が残っています。1854年(嘉永7年)に造られた一対は、板橋区登録有形民俗文化財です。獅子の姿をした一般的な狛犬と異なる造形には、江戸時代に広がった御嶽信仰が表れています。

桜川御嶽神社と1854年の狼型狛犬
御嶽神社は桜川一丁目4番6号に鎮座します。当地の人々が武州、または甲州の御嶽山から分霊を勧請したと伝わります。社殿の右側に安置された狼型狛犬は嘉永7年の作で、当時の神社の世話役を務めた宝田氏と木下氏らを中心に奉納されました。石工は下新倉(現在の埼玉県和光市)の石田栄蔵です。




なぜオオカミが神社を守るのか
御嶽信仰では、オオカミは山の神の眷属として神聖視され、「大口の真神」とも呼ばれました。御嶽山の神札に記された「御神狗」は山犬を意味し、火難・盗難・病難を避ける信仰と結びつきました。狼型狛犬は、こうした山岳信仰を石に刻んだものです。
江戸の暮らしに広まった御嶽講
江戸時代には、御嶽山へ参拝する人々が御嶽講を組織しました。御師と呼ばれる宗教者が武蔵・相模・甲斐などを巡り、神札を配って信仰を伝えました。家内安全や五穀豊穣を願う信仰は、農村の暮らしに根づいていきました。
桜川敬神講――上板橋と桜川の町会に受け継がれる信仰
桜川の御嶽講は「桜川敬神講」と呼ばれ、明治時代から地域の人々が活動を受け継いでいます。2026年の現地配布資料には、講元1人、副講元4人、会計1人と、講員20数人による組織と記されています。副講元は上板橋一~三丁目と桜川の各町会から1人ずつ選ばれます。町会員の有志が講に参加し、町会の枠組みを通じて運営されています。
講員は神社の清掃や祭礼の準備に携わり、神職はときわ台天祖神社から来て祭祀を務めています。かつて板橋区内の徳丸、赤塚、蓮沼などにも武州御嶽講がありました。桜川では、社殿を持つ神社を中心に町会の人々が祭礼を続けています。
武蔵御嶽神社への参拝と御師の宿坊
桜川敬神講の大きな行事が、青梅市御岳山に鎮座する武蔵御嶽神社への参拝です。2026年5月15日の行程では、桜川を午前7時に出発し、バスとケーブルカーを乗り継いで山上へ向かいます。神社での祈祷の後は、御師の宿坊で昼食をとる日帰りの行程です。以前は宿泊を伴う登拝でしたが、交通の発達によって日帰りで参拝できるようになりました。
御師は講の参拝者を宿坊で迎え、担当する地域を巡って御札を届けてきました。宿坊では参拝者同士が農作業や地域の情報を交換することもありました。
3月8日のオビシャと地域の祭礼
毎年3月8日に行われるオビシャ(毘射祭)は、弓で的を射て豊作を占う農村の行事に由来します。桜川では、大根やゴボウで鶴と亀を作り、松竹梅と組み合わせた蓬莱山の盆景を神前に供えます。大盛りの飯を盛った膳も供えられ、強飯式の面影を伝えています。
一度途絶えていたオビシャは、1977~1978年頃、桜川御嶽神社敬神講の人々によって復活しました。かつての祭礼を再現する手がかりとなったのは、上板橋の木下家に残されていた一枚の写真です。復活の経緯と盆景の制作は、板橋史談会の記録にも残されています。
桜川敬神講の2026年の年間予定には、元日の歳旦祭、3月8日のオビシャ、5月15日の武蔵御嶽神社参拝、9月18日の例祭、11月23日の新嘗祭、6月と12月の大祓が並びます。講員は祭礼の準備に加え、神社の清掃や注連縄を綯う作業も担っています。
石工・石田栄蔵の仕事と文化財登録
1854年の狛犬には、近隣の下新倉の石工である石田栄蔵の名が伝わります。現在の行政区画では埼玉県和光市に当たる場所と、板橋の村々との職人の往来をうかがわせます。狛犬は1987年2月27日、板橋区登録有形民俗文化財(信仰)となりました。板橋区は区内の狼型狛犬三対のうち、当社のこの一対を登録文化財として紹介しています。
城北中央公園周辺の歴史との関係
御嶽神社から近い城北中央公園には、旧石器時代の茂呂遺跡や古代の栗原遺跡が残っています。寺社の信仰と公園の成立を含めた地域の歴史は、城北中央公園の歴史でも紹介しています。
2026年の「いたばし文化財ふれあいウィーク」では、御嶽神社の狛犬が公開対象となりました。神社の境内には、江戸時代から受け継がれてきた石造文化財が保存されています。

参考資料
- 板橋区「御嶽神社のご案内」
- 板橋区「いたばし文化財ふれあいウィーク2026」
- 現地配布解説シート『御嶽神社の足あと』(2026年)
- 板橋史談会「桜川の御嶽神社に伝わる『オビシャ』」
- ときわ台天祖神社「御嶽神社のこと」
- 武蔵御嶽神社

