菅直人政権は2010年6月8日に発足し、2011年9月2日まで452日続きました。鳩山由紀夫内閣の副総理・財務相だった菅直人が首相となり、発足時には鳩山内閣から多くの閣僚を引き継ぎました。その後、2010年9月と2011年1月に二度の内閣改造を行い、途中辞任や震災後の担当新設も含めると、菅本人を含む36人が国務大臣を務めました。
政権前半は財政・社会保障改革、2010年参院選後のねじれ国会、尖閣諸島中国漁船衝突事件が大きな課題でした。2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を境に、政府の仕事は救命・避難、原発事故対応、復旧復興、原子力損害賠償、エネルギー政策へ大きく変わります。
- まず分かる|菅直人政権で大臣を務めた36人
- 菅内閣はどんなチームだった?鳩山政権から誰が残ったか
- 発足時から政権を支えた閣僚
- 2010年9月の第1次改造で加わった閣僚
- 2011年1月の第2次改造と震災後に加わった閣僚
- 途中交代・改造で誰が変わった?
- 参院選敗北とねじれ国会
- 尖閣諸島中国漁船衝突事件で各大臣は何を担当した?
- 東日本大震災が起きたとき、誰が何を担当していた?
- 福島第一原発事故と菅・枝野・海江田・細野
- 復興基本法と復興担当相
- 社会保障と税の一体改革はどこまで進んだ?
- 再生可能エネルギー特措法は何を残した?
- 452日を後から答え合わせする
- 36人の閣僚は野田政権でどうなった?
- 菅政権の主要な出来事を時系列で見る
- 主な一次資料
まず分かる|菅直人政権で大臣を務めた36人
| 人物 | 主な役職 | 注目点 |
|---|---|---|
| 菅直人 | 内閣総理大臣 | 財政改革から震災・原発事故対応へ |
| 原口一博 | 総務相 | 鳩山内閣から留任、地域主権改革 |
| 千葉景子 | 法務相 | 鳩山内閣から留任、2010年9月退任 |
| 岡田克也 | 外相 | 発足時留任、9月に党幹事長へ |
| 野田佳彦 | 財務相 | 財政運営を担い、次の首相へ |
| 川端達夫 | 文科相 | 教育・科学技術を担当 |
| 長妻昭 | 厚労相 | 年金・子ども手当を継続 |
| 山田正彦 | 農水相 | 口蹄疫対応と農政 |
| 直嶋正行 | 経産相 | 産業・エネルギー政策 |
| 前原誠司 | 国交相→外相 | 尖閣問題、外交、途中辞任 |
| 小沢鋭仁 | 環境相 | 温暖化対策を継続 |
| 北澤俊美 | 防衛相 | 全期間在任、震災時の自衛隊運用 |
| 仙谷由人 | 官房長官・法相兼務 | 政権前半の官邸調整役 |
| 中井洽 | 国家公安委員長等 | 警察・拉致・防災 |
| 亀井静香 | 金融・郵政改革担当 | 発足3日後に辞任 |
| 荒井聰 | 国家戦略・経済財政担当 | 成長戦略・財政運営 |
| 蓮舫 | 行政刷新担当等 | 事業仕分け・行政改革 |
| 玄葉光一郎 | 国家戦略・公務員制度改革等 | 党政策責任者も兼ねた |
| 自見庄三郎 | 金融・郵政改革担当 | 亀井辞任後の後任 |
| 片山善博 | 総務相 | 元鳥取県知事、地域主権改革 |
| 柳田稔 | 法務相 | 国会答弁をめぐる発言で辞任 |
| 高木義明 | 文科相 | 震災時の学校・科学技術行政 |
| 細川律夫 | 厚労相 | 震災時の医療・雇用・社会保障 |
| 鹿野道彦 | 農水相 | 震災後の農林水産業復旧 |
| 大畠章宏 | 経産相→国交相 | 産業から震災インフラ復旧へ |
| 馬淵澄夫 | 国交相 | 海上保安庁を含む国交行政 |
| 松本龍 | 環境・防災→復興担当 | 初代復興担当相、短期間で辞任 |
| 岡崎トミ子 | 国家公安・消費者等 | 警察・消費者行政 |
| 海江田万里 | 経済財政→経産相 | 福島第一原発事故対応の中心 |
| 江田五月 | 法務相・環境相兼務 | 第2次改造で入閣 |
| 枝野幸男 | 官房長官 | 震災・原発事故の政府発信を担当 |
| 松本剛明 | 外相 | 震災2日前に就任、国際支援受入れ |
| 中野寛成 | 国家公安委員長等 | 震災時の警察・防災行政 |
| 与謝野馨 | 経済財政・社会保障と税担当 | 元自民党の財政政策通を起用 |
| 細野豪志 | 原発事故収束・賠償担当 | 震災後に原発対応の専任閣僚へ |
| 平野達男 | 防災・復興担当 | 松本龍辞任後に復興を担当 |
菅内閣はどんなチームだった?鳩山政権から誰が残ったか
菅内閣は、前の鳩山由紀夫政権から岡田克也、原口一博、千葉景子、川端達夫、長妻昭、直嶋正行、前原誠司、北澤俊美らを留任させました。一方、菅が財務相から首相へ移ったため野田佳彦が財務相となり、仙谷由人が官房長官、蓮舫が行政刷新担当相として入閣しました。
発足直後は新成長戦略、財政運営戦略、社会保障改革が中心課題でした。2010年7月の参院選で与党が参議院の過半数を失うと、衆議院では多数を持ちながら参議院では野党の協力が必要な「ねじれ国会」となります。その後の二度の改造と東日本大震災によって、政権の顔ぶれと優先課題は大きく変化しました。
発足時から政権を支えた閣僚
菅直人|内閣総理大臣

菅直人は民主党創設者の一人で、鳩山内閣では副総理・国家戦略担当相、のちに財務相を務めました。2010年6月に第94代内閣総理大臣となり、財政健全化と社会保障改革を前面に出しました。
2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故後は、緊急災害対策本部と原子力災害対策本部のトップとして危機対応を担いました。復興基本法、原子力損害賠償支援制度、再生可能エネルギー特措法などを進め、2011年8月に退陣を表明しました。
原口一博|総務相

原口一博は鳩山内閣から総務相に留任しました。総務相は地方自治、地方財政、通信・放送、行政制度などを担当します。地域主権改革や通信行政を引き続き進め、2010年9月の改造で退任しました。
千葉景子|法務相

千葉景子は弁護士出身で、法務相として民事・刑事法制、検察、出入国在留管理、人権行政を担当しました。2010年参院選では落選しましたが、9月の改造まで法務相を続けました。
岡田克也|外相

岡田克也は鳩山内閣から外相に留任し、日米関係やアジア外交を担当しました。2010年9月の民主党代表選後、内閣を離れて民主党幹事長となり、外相には前原誠司が就きました。
野田佳彦|財務相

野田佳彦は鳩山内閣で財務副大臣を務め、菅の首相就任に伴って財務相へ昇格しました。国の予算、税制、国債、為替を含む財政運営を担当し、震災後は復旧・復興の補正予算にも関わりました。
菅退陣後の民主党代表選で勝利し、2011年9月2日に次の首相となります。菅政権で進めた社会保障・税一体改革は野田政権で法制化へ進みました。
川端達夫|文部科学相

川端達夫は文科相として教育、科学技術、文化・スポーツ行政を担当し、鳩山政権で始まった高校教育の負担軽減制度などを引き継ぎました。2010年9月の改造で退任しました。
長妻昭|厚生労働相

長妻昭は厚労相として年金記録問題、子ども手当、医療・雇用政策を担当しました。鳩山内閣から続いた社会保障政策を担い、2010年9月の改造で細川律夫に交代しました。
山田正彦|農林水産相

山田正彦は鳩山政権末期の口蹄疫対応で農水副大臣として現場対応に関わり、菅内閣で農水相となりました。農業者戸別所得補償の本格実施に向けた準備と口蹄疫収束対応を担い、9月に退任しました。
直嶋正行|経済産業相

直嶋正行は経産相として産業、通商、中小企業、資源・エネルギー政策を担当しました。リーマン・ショック後の景気回復と成長戦略を所管し、2010年9月の改造で退任しました。
前原誠司|国土交通相から外相へ

前原誠司は発足時に国交相を続け、2010年9月の改造で外相へ移りました。外相就任直前に尖閣諸島中国漁船衝突事件が発生し、その後の日中関係や日米外交を担いました。
2011年3月、外国人からの政治献金問題を受けて外相を辞任しました。枝野幸男が一時的に外相職務を代行し、3月9日に松本剛明が後任となりました。
小沢鋭仁|環境相

小沢鋭仁は鳩山内閣から環境相に留任し、温室効果ガス削減や地球温暖化対策を担当しました。2010年9月の改造で松本龍に交代しました。
北澤俊美|防衛相

北澤俊美は鳩山政権から菅政権の全期間にわたり防衛相を務めました。防衛政策、自衛隊運用、日米安全保障協力を担当し、東日本大震災では大規模な自衛隊災害派遣を指揮する立場にありました。
仙谷由人|内閣官房長官

仙谷由人は官房長官として首相を補佐し、各省庁の調整と政府広報を担いました。尖閣諸島中国漁船衝突事件では官邸側の調整役となり、柳田稔法相の辞任後は法相も兼務しました。2011年1月の第2次改造で官房長官を退きました。
中井洽|国家公安委員長・拉致問題担当

中井洽は国家公安委員長、拉致問題、防災などを担当しました。警察行政や北朝鮮による拉致問題への政府対応を担い、2010年9月の改造で退任しました。
亀井静香|金融相・郵政改革担当

亀井静香は国民新党代表として金融・郵政改革担当相を続けましたが、郵政改革法案の国会での扱いをめぐり2010年6月11日に辞任しました。発足から3日後の交代で、後任には自見庄三郎が就きました。
荒井聰|国家戦略・経済財政担当相

荒井聰は国家戦略、経済財政、消費者行政などを担当しました。新成長戦略と財政運営戦略を政府全体で調整する役割を担い、2010年9月の改造で退任しました。
蓮舫|行政刷新担当相

蓮舫は事業仕分けで知名度を高め、菅内閣で行政刷新担当相となりました。政府事業の見直し、規制改革、公務員制度など行政改革を担当し、改造後も政権に残りました。
玄葉光一郎|国家戦略・公務員制度改革担当

玄葉光一郎は公務員制度改革や国家戦略などを担当し、民主党の政策調査会長も務めました。政府と党の政策調整を担い、野田政権では外相に就任しました。
自見庄三郎|金融相・郵政改革担当

自見庄三郎は医師出身で、亀井静香の辞任を受け2010年6月11日に金融・郵政改革担当相へ就任しました。中小企業金融円滑化や郵政改革を引き継ぎ、菅政権を通じて担当を続けました。
2010年9月の第1次改造で加わった閣僚
片山善博|総務相

片山善博は自治省出身で鳥取県知事を務めた地方行政の専門家です。鳥取県知事退任後、民間閣僚として総務相に起用され、地域主権改革、地方財政、行政制度を担当しました。
柳田稔|法務相

柳田稔は2010年9月に法務相へ就任しました。国会答弁についての発言が問題となり、11月22日に辞任。後任が決まるまで仙谷由人官房長官が法相を兼務しました。
高木義明|文部科学相

高木義明は文科相として教育、科学技術、文化・スポーツを担当しました。震災後は学校施設の復旧、児童生徒の支援、放射線に関する学校現場への対応などが重要課題となりました。
細川律夫|厚生労働相

細川律夫は長妻昭の後任として厚労相となり、年金、医療、介護、雇用を担当しました。東日本大震災後は被災地の医療・福祉体制、避難者支援、雇用対策などを所管しました。
鹿野道彦|農林水産相

鹿野道彦は過去にも農相を務めた経験者で、農林水産相として農業者戸別所得補償の本格実施や農政を担当しました。震災後は農地・漁港・水産業の復旧、原発事故に伴う食品の放射性物質問題への対応も担いました。
大畠章宏|経産相から国交相へ

大畠章宏は2010年9月に経産相となり、2011年1月の第2次改造で国交相へ移りました。震災時は道路、鉄道、港湾、住宅など被災インフラの復旧を担当する国交相として対応に当たりました。
馬淵澄夫|国土交通相

馬淵澄夫は前原誠司の外相転出に伴って国交相となりました。交通・観光・河川・住宅に加え、海上保安庁を所管する立場として尖閣諸島中国漁船衝突事件後の対応にも関わりました。2011年1月の改造で退任しました。
松本龍|環境・防災担当から初代復興担当相へ

松本龍は環境相兼防災担当相として第1次改造で入閣し、東日本大震災では防災担当として初動から復旧対応に関わりました。2011年6月27日に東日本大震災復興対策担当相となります。
被災地訪問時の発言が問題となり、7月5日に復興担当相を辞任しました。後任には平野達男が就きました。
岡崎トミ子|国家公安委員長・消費者担当相など

岡崎トミ子は国家公安委員長、消費者、少子化、男女共同参画などを担当しました。警察行政と生活に近い複数分野を所管し、2011年1月の第2次改造で退任しました。
海江田万里|経済財政担当から経産相へ

海江田万里は2010年9月に経済財政担当相として入閣し、2011年1月に経産相へ移りました。経産省は当時、原子力安全・保安院を所管しており、福島第一原発事故後は東京電力、原子力行政、電力需給への対応で中心的な立場となりました。
2011年4月から原子力経済被害担当も担い、事故による事業者・住民への損害賠償制度の整備に関わりました。
2011年1月の第2次改造と震災後に加わった閣僚
江田五月|法務相・環境相

江田五月は参議院議長などを務めたベテランで、2011年1月に法務相へ就任しました。6月には環境相も兼務し、法務行政に加えて震災後の環境政策も担当しました。
枝野幸男|内閣官房長官

枝野幸男は2011年1月、仙谷由人の後任として官房長官に就任しました。3月11日の震災後は政府の記者会見を繰り返し担当し、避難情報、原発の状況、政府対応を国民へ伝える中心人物となりました。
前原誠司外相辞任後の3月7日から9日までは外相臨時代理も務めました。野田政権では経産相となり、原子力政策に再び関わります。
松本剛明|外相

松本剛明は外務副大臣を経て、2011年3月9日に外相へ就任しました。2日後に東日本大震災が発生し、各国からの救援・支援受入れ、米軍による「トモダチ作戦」を含む国際協力、原発事故に関する対外説明を担当しました。
中野寛成|国家公安委員長等

中野寛成は2011年1月に国家公安委員長などを担当しました。震災後は警察による救助、行方不明者捜索、治安維持、交通規制などを所管する立場にありました。
与謝野馨|経済財政・社会保障と税の一体改革担当

与謝野馨は自民党政権で財政・経済政策を担当した経験を持ち、2011年1月に経済財政、社会保障と税の一体改革担当相として入閣しました。政党をまたいで財政政策の経験者を起用した人事です。
政府・与党は2011年6月30日に社会保障・税一体改革成案をまとめました。消費税率引上げを含む法制化は次の野田政権で進むため、菅政権の到達点は改革案をまとめた段階です。
細野豪志|原発事故収束・原子力損害賠償担当

細野豪志は震災後、政府と東京電力の原発事故対応を調整する役割を担いました。2011年6月27日から原発事故の収束及び再発防止担当、8月10日から原子力損害賠償支援機構担当も務めます。
事故収束工程、情報共有、損害賠償制度の整備などに関わり、野田政権でも環境相・原発事故担当として引き続き原子力政策を担当しました。
平野達男|防災・東日本大震災復興対策担当

平野達男は農林水産省出身で岩手県選出の参議院議員でした。松本龍の辞任を受け、2011年7月5日に防災・東日本大震災復興対策担当相となりました。被災自治体との調整や復興施策を担当し、野田政権でも復興担当を続けました。
途中交代・改造で誰が変わった?
| 日付 | 主な人事 | 意味 |
|---|---|---|
| 2010年6月11日 | 亀井静香辞任、自見庄三郎が後任 | 郵政改革法案をめぐる連立調整 |
| 2010年9月17日 | 第1次改造 | 総務・法務・文科・厚労・農水・経産・国交など大幅交代 |
| 2010年11月22日 | 柳田稔法相辞任、仙谷由人が兼務 | 国会答弁をめぐる発言問題 |
| 2011年1月14日 | 第2次改造 | 枝野官房長官、与謝野経済財政担当など |
| 2011年3月 | 前原誠司外相辞任、松本剛明が後任 | 震災直前の外交トップ交代 |
| 2011年6月27日 | 松本龍が復興担当、細野豪志が原発事故担当 | 震災・原発事故に専任ポストを配置 |
| 2011年7月5日 | 松本龍辞任、平野達男が後任 | 復興担当を引き継ぎ |
参院選敗北とねじれ国会
菅内閣発足から約1か月後の2010年7月参院選で、民主党は議席を減らし、与党は参議院の過半数を失いました。その後は衆議院で法案を可決できても、参議院では野党の協力が必要になる場面が増えます。
この「ねじれ国会」は予算関連法、社会保障改革、震災後の復興関連法を進める政治的な制約となりました。菅政権末期には特例公債法などの成立が退陣時期とも結び付きました。
尖閣諸島中国漁船衝突事件で各大臣は何を担当した?
2010年9月7日、尖閣諸島周辺の日本領海で中国漁船と海上保安庁の巡視船が衝突しました。船長は公務執行妨害容疑で逮捕・送致され、9月24日に那覇地方検察庁が釈放を発表しました。
事件は国交相だった前原誠司と後任の馬淵澄夫、外務、法務、官邸にまたがる問題でした。船長釈放をめぐっては後年さまざまな政治証言があり、当時の外交文書と司法手続きでは、逮捕・送致から那覇地検による釈放決定までの経緯を確認できます。
東日本大震災が起きたとき、誰が何を担当していた?
2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震が発生しました。マグニチュード9.0の巨大地震と津波は東北地方を中心に甚大な被害をもたらし、福島第一原発事故も同時進行しました。
菅直人首相は政府全体を統括し、枝野幸男官房長官は情報発信と省庁調整、北澤俊美防衛相は自衛隊、海江田万里経産相は原子力・電力行政、大畠章宏国交相は交通・インフラ、細川律夫厚労相は医療・福祉・雇用、鹿野道彦農水相は農林水産業、松本龍防災担当相は災害対応を担当しました。各閣僚が所管分野ごとの対応を担いました。
福島第一原発事故と菅・枝野・海江田・細野
福島第一原発では地震と津波の後に電源喪失が起き、炉心損傷、水素爆発、放射性物質の放出へ進みました。政府は避難指示を拡大し、東京電力と事故収束対応を進めました。
事故対応には、菅首相、枝野官房長官、海江田経産相、細野原発事故担当、原子力安全・保安院、原子力安全委員会、東京電力、自治体など複数の組織と担当者が関わりました。後に政府事故調や国会事故調が、事故原因と危機管理・規制体制を検証しています。
復興基本法と復興担当相
2011年6月24日に東日本大震災復興基本法が成立しました。復興の基本理念や政府の推進体制を定める法律で、6月27日に松本龍が東日本大震災復興対策担当相となりました。
松本は7月5日に辞任し、平野達男が後任となります。復興庁は次の野田政権下の2012年2月に発足しました。菅政権では復興基本法が成立し、復興担当体制が整えられました。
社会保障と税の一体改革はどこまで進んだ?
菅政権は少子高齢化で増える社会保障費と財政再建を一体で扱う改革を進めました。2011年1月の第2次改造では、財政政策に長い経験を持つ与謝野馨を担当相に起用しました。
2011年6月30日に政府・与党は社会保障・税一体改革成案を決定しました。消費税率引上げを含む法律は菅政権では成立せず、次の野田政権で法制化されます。菅政権は制度改革の方向と成案をまとめた段階に位置づけられます。
再生可能エネルギー特措法は何を残した?
原発事故後、菅政権は再生可能エネルギーの普及を重要政策に位置づけました。2011年8月26日、電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法が成立しました。
この法律を基礎に、太陽光、風力などの電気を一定価格で買い取る固定価格買取制度(FIT)が2012年7月に始まります。法律成立は菅政権、制度施行は野田政権と時期を分けると政策の流れが明確です。
452日を後から答え合わせする
| 政策・課題 | 菅政権での到達点 | その後 |
|---|---|---|
| 社会保障・税一体改革 | 2011年6月に成案 | 野田政権で消費税率引上げ法を成立 |
| 東日本大震災復興 | 復興基本法、復興担当体制 | 野田政権で復興庁発足 |
| 原子力損害賠償 | 支援制度を整備 | 後に廃炉支援まで制度を拡張 |
| 再生可能エネルギー | 特措法成立 | 2012年にFIT開始、その後制度改正 |
| 原子力政策 | 福島事故を受け政策再検討 | 規制体制再編、再稼働政策などへ |
| TPP | 参加をめぐる検討を進めた | 後継政権で交渉参加へ進展 |
| 尖閣問題 | 2010年漁船衝突事件に対応 | 日中関係の継続的争点に |
36人の閣僚は野田政権でどうなった?
菅政権の財務相だった野田佳彦が次の首相となりました。玄葉光一郎は外相、平野達男は復興担当、自見庄三郎は金融・郵政担当、細野豪志は環境・原発事故担当へ進み、菅政権で震災対応を担った人物の一部が次政権でも継続しました。
一方、枝野幸男は野田内閣発足時には閣外でしたが、鉢呂吉雄経産相の辞任後に経産相として再登板します。菅政権から野田政権への移行を見ると、震災復興、原発、社会保障・税改革が人事とともに引き継がれたことが分かります。
菅政権の主要な出来事を時系列で見る
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 2010年6月8日 | 菅内閣発足 |
| 2010年6月11日 | 亀井静香辞任、自見庄三郎が後任 |
| 2010年7月 | 参院選で与党が参議院過半数を失う |
| 2010年9月7日 | 尖閣諸島中国漁船衝突事件 |
| 2010年9月17日 | 第1次改造内閣発足 |
| 2010年11月22日 | 柳田稔法相辞任 |
| 2011年1月14日 | 第2次改造内閣発足 |
| 2011年3月9日 | 松本剛明外相就任 |
| 2011年3月11日 | 東日本大震災、福島第一原発事故 |
| 2011年6月24日 | 東日本大震災復興基本法成立 |
| 2011年6月27日 | 松本龍が復興担当、細野豪志が原発事故担当 |
| 2011年7月5日 | 松本龍辞任、平野達男が復興担当 |
| 2011年8月26日 | 再生可能エネルギー特措法成立、菅が退陣を表明 |
| 2011年9月2日 | 菅内閣総辞職、野田内閣発足 |
次の政権は、菅内閣の財務相だった野田佳彦が率いた野田佳彦政権です。39人の閣僚と3回の内閣改造、消費税率引上げ法、復興庁、原発再稼働、尖閣国有化までまとめています。
政権シリーズ:小泉純一郎|第1次安倍晋三|福田康夫|麻生太郎|鳩山由紀夫|菅直人(現在の記事)|野田佳彦|第2次~第4次安倍晋三|菅義偉|岸田文雄|石破茂|高市内閣
前後の政権:前:鳩山由紀夫政権|次:野田佳彦政権|政権紹介シリーズ一覧へ戻る
震災・復興の制度史:災害が法律を変えた|日本の自然災害と防災制度の歴史
主な一次資料
- 首相官邸「第94代 菅直人」
- 東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会
- 復興庁「東日本大震災復興基本法」
- 内閣官房「社会保障・税一体改革」
- 資源エネルギー庁「固定価格買取制度」
- 外務省「外交青書2011」
- 警察庁「東日本大震災への対応」
菅直人は鳩山内閣の副総理・財務相から首相へ移りました。政権交代直後のチームと政策の出発点は鳩山由紀夫政権の19人の閣僚で確認できます。首相の流れ全体は近現代日本の歴代首相でも整理しています。

