日本から狂犬病が消えるまで|1950年代、7年で感染を断った犬の登録・予防注射・野犬対策

狂犬病ウイルスの電子顕微鏡像

1950年、日本では867頭の犬に狂犬病が確認され、人にも死亡者が出ていました。ところが犬の発生は1951年319頭、1954年98頭、1956年6頭へと急減し、1957年の広島県の猫を最後に、国内の動物で狂犬病は確認されなくなります。

この7年間、ワクチン接種に加えて、全国の犬を登録して行政が把握し、当時は原則として年2回の予防注射を行い、放浪犬を捕獲し、発生地では犬の移動を制限しました。国外から入る犬には検疫をかけます。狂犬病ウイルスが犬の間を回り続ける経路を、制度として一つずつ塞いでいきました。

その背景には明治以来の防疫経験と、戦争で一度崩れた犬の管理体制がありました。日本の狂犬病撲滅は、感染症対策が獣医学、行政、法律、都市の犬管理を一体化した歴史でもあります。

狂犬病はなぜ恐れられたのか

狂犬病は、狂犬病ウイルスを持つ哺乳類の唾液から感染する人獣共通感染症です。多くは咬傷を通じて感染し、ウイルスは末梢神経から中枢神経へ進みます。発症すると有効な治療法は極めて限られ、現在も致死率はほぼ100%です。

潜伏期間は一般に1~3か月ですが、咬まれた場所や傷の深さ、侵入したウイルス量などで変わります。発熱や倦怠感の後、興奮、錯乱、嚥下困難、水を飲もうとすると筋肉がけいれんする恐水症状などが現れます。発症前に適切な暴露後予防ばくろごよぼうを受ければ、発症を防ぐことができます。

日本で感染源の中心だったのは犬でした。防疫の中心は、犬の集団に免疫を広げ、感染犬が次の犬へウイルスを渡せない状態を作ることでした。

ワクチンが感染症の歴史をどう変えたかは、「ワクチンの歴史|天然痘からmRNAまで」でも紹介しています。

日本の狂犬病対策は明治から始まっていた

1950年の狂犬病予防法には、明治以来の防疫経験が引き継がれていました。1896年の獣疫予防法では狂犬病が監視対象となり、20世紀に入ると犬用ワクチンの研究も進みました。1920年代には犬への集団接種と放浪犬の捕獲が大規模に行われています。

1924年には全国で3,205頭の犬に狂犬病が確認され、人の死亡は235人に達しました。翌年以降、数十万頭規模の犬への予防接種と、年間十数万~数十万頭規模の放浪犬捕獲が続けられ、1930年代には発生が大きく減っていきます。

この時期までに、日本は「犬に免疫をつける」「自由に歩き回る犬を減らす」という二つの基本手段を経験していました。1950年代の急速な減少は、その蓄積を全国一律の法律と行政制度へ組み直した結果でした。

いったん消えかけた狂犬病が戦争で戻った

1930年代後半には犬の狂犬病はごく少数まで減り、1943年には全国で1頭にまで低下しました。ところが1944年には700頭を超える規模へ急増します。戦後も流行は続き、1949年614頭、1950年867頭に達しました。

戦時・戦後の社会混乱で、犬の登録、予防注射、捕獲などを安定して続ける防疫体制が弱まり、放浪犬も増えました。狂犬病は、病原体そのものに変化がなくても、社会の管理システムが崩れると再び広がる感染症でした。

1950年7月30日の参議院審議では、その年すでに狂犬病犬580頭、咬傷被害1,198人、死亡31人が報告されていました。とくに関東での流行が深刻化するなか、同年8月に狂犬病予防法が公布されます。

1950年の狂犬病予防法が犬社会を変えた

狂犬病予防法は、犬を飼う人に登録を義務づけ、犬に鑑札を付ける仕組みを全国化しました。当時の予防注射は6か月ごと、原則として年2回です。接種後には注射済票を付けました。

登録されていない犬、鑑札や注射済票のない犬、予防注射を受けていない犬は、狂犬病予防員が抑留よくりゅうできました。犬の輸出入にも検疫が義務づけられます。

発生地域では措置がさらに強まりました。獣医師は患畜を直ちに届け出て、犬の隔離、一斉検診、臨時予防注射、口輪や係留、犬の移動制限、犬の展覧会などの停止が可能になりました。必要に応じて最長72時間の交通遮断も法律に盛り込まれています。

同年の厚生省通達は、対象となる犬を確実に把握し、「常時すべての犬に免疫を与える」ことを目標に掲げました。集合注射には保健所職員が立ち会い、開業獣医師が接種する運用も示されました。犬の登録簿、鑑札、注射、捕獲が一つの行政網としてつながります。

犬867頭から6頭へ、最後まで残ったのは未登録犬と放浪犬だった

狂犬病の犬人の発生・死亡
1950年867頭54人
1951年319頭12人
1952年232頭4人
1953年176頭3人
1954年98頭1人
1955年23頭0人
1956年6頭1人
1957年0頭0人

犬の発生は1950年の867頭から、6年後には6頭まで減りました。近年の研究では、最後まで流行が残った東京、神奈川、千葉、埼玉の1947~56年の記録から、犬1,567例、人161例が分析されています。

登録犬の予防接種率は1951年以降70%を超え、東京では80%を超える時期もありました。一方で流行末期の東京では、狂犬病犬の46.1%が未登録犬、32.1%が放浪犬でした。神奈川県でも未登録犬41.1%、放浪犬29.6%を占めています。

東京では1950年以降、年間およそ4万~8万頭の放浪犬が捕獲されました。ワクチン接種と犬の個体管理が進むにつれて、1頭の感染犬から次に広がる感染数を表す実効再生産数は1を下回り、流行を維持できなくなっていきました。

1954年、野犬対策をさらに強めた

1954年にも98頭の犬で狂犬病が確認され、根絶にはなお対策が必要でした。法改正では、自治体が飼えなくなった犬を引き取る制度を設け、捨て犬が放浪犬になる入口を減らしました。捕獲のための限定的な立入権も整えられます。

緊急時には係留されていない犬を薬殺する制度もありました。厚生省は薬殺を最終的な防疫手段として位置づけ、事前の住民周知や安全確保を求めています。当時の撲滅政策は、大量の予防注射と大規模な犬の個体管理を同時に進める厳格なものでした。

1956年、最後の犬と「記録から消えていた」最後の患者

狂犬病が最後まで残ったのは関東でした。1956年には神奈川県横浜市周辺で最後の小流行が起きています。全国統計の狂犬病犬は6頭ですが、神奈川県の資料では7頭です。1頭が1955年末に発病・死亡し、確定診断が1956年1月11日になったため、集計年の扱いに差が生じました。

人の国内最終例にも、長く埋もれていた記録があります。古い厚生省資料やWHO資料では1954年が最後とされていましたが、後年の公文書・新聞調査から、1956年2月21日に川崎市で死亡した44歳の患者が確認されました。

患者は約3年前に狂犬病犬に咬まれ、当時定められていた暴露後予防注射を18回受け終えていました。その後1956年に発症して死亡します。現在の厚生労働省も、人の国内発生は1956年を最後としています。

1957年、広島の一匹の猫が最後になった

国内の動物で最後に確認された狂犬病は、1957年の猫でした。4月16日、広島県高田郡向原町、現在の安芸高田市で、飼い猫が家族の11歳の少年と8歳の少女を咬みました。

飼い主は猫を約4km離れた場所に放しましたが、2日後に保健所へ届け出ます。保健所は捜索隊を組織して猫を発見し、検査の結果、狂犬病陽性が確認されました。厚生省は周辺で犬の登録、予防注射、野犬捕獲を徹底するよう広島県に求めました。

この猫を最後に、日本国内の動物で狂犬病は確認されていません。1950年に867頭だった犬の流行は7年間で姿を消しました。

なぜ日本は7年間で感染を止められたのか

撲滅は、犬への予防注射、登録、鑑札、係留、放浪犬捕獲、発生地での移動制限、一斉検診、輸入検疫を重ねることで実現しました。登録によって飼い犬を行政が把握し、高率の予防接種で犬集団に免疫を広げ、管理網から外れた放浪犬を減らしました。

日本には、狂犬病ウイルスがキツネやアライグマなどの野生動物集団へ定着しなかったこと、島国で陸上国境から感染犬が流入しにくいことも有利に働きました。国内の主要な感染環だった犬から犬への伝播を断つと、ウイルスが地域内で存続する場所がほぼなくなりました。

甲府盆地の地方病では、患者治療、検便、ミヤイリガイ対策、水路のコンクリート化、農業の変化を重ねて寄生虫の感染環を断ちました。感染源も対策も異なりますが、複数の遮断策を長期間組み合わせた点は共通しています。詳しくは「山梨県はどうやって『地方病』を終息させたのか」で紹介しています。

日本では消えたが、世界では今も狂犬病が続いている

WHOは、狂犬病による死者を世界で年間約5万9千人と推計しています。犬が人の狂犬病感染の最大99%に関わり、犬由来の死亡の95%超はアジアとアフリカに集中します。現在も犬への集団予防接種を高率で維持することが基本戦略です。

バリ島では現在も犬の狂犬病対策が続く

日本人旅行者にも身近なインドネシア・バリ島では、2008年に狂犬病が確認されて以降、犬などへの集団予防接種が続いています。バリ州政府は2025年にも島を狂犬病のレッドゾーンとして扱い、無料接種や犬の不妊・去勢を進めました。

2025年1月1日から7月20日までには、犬・猫・サルなど狂犬病を媒介し得る動物による咬傷などが34,845件報告され、23,705人が抗狂犬病ワクチンを受け、狂犬病による死亡は12人でした。34,845件は、狂犬病を媒介し得る動物との接触件数として集計された数字です。

アメリカとヨーロッパは「食べるワクチン」を野生動物に配る

アメリカでは動物の狂犬病報告の90%超が野生動物で、コウモリ、アライグマ、スカンク、キツネが主な宿主です。犬の流行を抑えた後、防疫の主戦場が野生動物へ移りました。

野生動物向けの経口狂犬病ワクチン餌
野生動物向けの経口狂犬病ワクチン餌。エストニアで航空散布されたもの。撮影:Hannu、パブリックドメイン/Wikimedia Commons

米国農務省はアライグマなどに免疫を付けるため、狂犬病ワクチンを仕込んだ餌を毎年数百万個単位で散布しています。農村部では固定翼機やヘリコプター、都市部では車両や人の手で配布します。動物が餌を噛むとワクチンが口の中に入り、免疫ができます。

狂犬病ワクチン入り餌を食べるアライグマ
フロリダ州で経口狂犬病ワクチン入り餌を食べるアライグマ。撮影:Betsy Haley/USDA-APHIS Wildlife Services/CC BY 2.0/Wikimedia Commons

ヨーロッパでも1978年からキツネへの経口ワクチンが始まり、航空機から餌を散布する方法が広がりました。スイスでは1996年を最後にコウモリ以外の動物で狂犬病が確認されなくなり、1999年に陸生動物の狂犬病清浄国となっています。一方、東ヨーロッパの一部では現在も陸生動物の発生が続きます。

台湾では52年ぶりに野生のイタチアナグマから見つかった

台湾では1961年以降、動物の狂犬病が確認されない状態が続いていました。2013年、野生のイタチアナグマから狂犬病ウイルスが発見されます。約52年間の空白を経た再発見でした。

台湾当局は犬・猫への接種率を高める一方、交通事故で死んだ野生動物や異常行動を示す動物を集めて検査する監視を強化しました。イタチアナグマ向けの経口ワクチン餌も研究されています。長期間発生が見えない地域でも、野生動物の監視が清浄状態を支えます。

南米では吸血コウモリが牛へ狂犬病を運ぶ

中南米では犬由来の人の狂犬病が大幅に減る一方、吸血蝙蝠きゅうけつこうもりが家畜へウイルスを運ぶ問題が残っています。ブラジルではナミチスイコウモリが牛などの血を吸い、家畜の狂犬病を維持する主要な媒介動物です。

ブラジルの公的な防疫マニュアルには、捕獲した吸血コウモリの背中へワルファリンを含む抗凝固剤ペーストを塗って放し、巣へ戻った後の毛づくろいを利用して対象群へ作用させる方法があります。牛に残った咬み傷の周囲へ薬剤を塗り、同じ傷へ戻る吸血コウモリを狙う方法も使われます。対象は吸血性の種類に限定されます。

海外で犬やサルに咬まれたとき

WHOは、狂犬病のおそれがある動物に咬まれたり引っかかれたりした場合、傷を石けんと大量の水で15分以上洗浄し、速やかに医療機関で暴露後予防の必要性を評価することを推奨しています。重度の暴露では、ワクチンに加えて狂犬病免疫グロブリンやモノクローナル抗体が必要になる場合があります。

事前に狂犬病ワクチンを受けている人も、実際に暴露した後には追加の対応が必要です。流行地域では犬だけでなく、サルやコウモリなど哺乳類との接触も医療評価の対象になります。

1957年以後も、日本の防疫は続いている

1957年以後、防疫の重心は国内伝播の遮断から、予防接種の維持と水際防疫へ移りました。現在も犬の登録と年1回の狂犬病予防注射が法律で義務づけられています。

厚生労働省の2024年度統計では、登録犬は約604.9万頭、予防注射を受けた犬は約428.2万頭で、登録犬に対する注射率は70.8%でした。この比率は登録犬を分母にした数字で、日本にいるすべての犬を分母にした接種率とは異なります。

海外から犬や猫を入れる場合も、動物検疫所が狂犬病の侵入防止を担います。非清浄地域からの犬では、マイクロチップ、複数回の予防接種、抗体検査、輸出国政府機関の証明などが求められ、条件を満たさない場合は最長180日間の係留検査けいりゅうけんさとなることがあります。

1970年、2006年、2020年には、海外で感染して日本で発症した人の狂犬病が確認されています。いずれも国外で感染し、日本で発症した輸入症例です。国内での二次感染は確認されていません。世界に狂犬病が存在する限り、日本の防疫にも水際対策と監視が残ります。

日本の狂犬病対策の重要年表

出来事
1896年獣疫予防法で狂犬病が法的な監視対象となる
1924年犬3,205頭、人235人死亡の大流行
1943年犬の発生が全国1頭まで減少
1944年戦時下で犬の発生が700頭超へ再増加
1950年犬867頭。狂犬病予防法を制定
1951年犬319頭。登録・定期注射・捕獲を全国で継続
1954年犬98頭。法改正で野犬化防止と捕獲を強化
1955年犬23頭
1956年犬6頭。現在確認される国内最後の人の発生
1957年広島県の猫を最後に国内動物の発生が途絶える
1970年海外感染による輸入症例
2006年海外感染による輸入症例2人
2020年海外感染による輸入症例

よくある質問

日本の狂犬病はいつなくなったのですか?

人の国内発生は1956年、動物では1957年の広島県の猫が最後です。それ以後、日本国内の動物で狂犬病は確認されていません。

なぜ短期間で狂犬病を撲滅できたのですか?

犬への高率な予防接種に、登録、鑑札、係留、放浪犬の捕獲、発生地域での移動制限、輸入検疫を組み合わせました。狂犬病ウイルスが国内の主要な宿主だった犬の間で広がり続ける感染環を断ったことが大きな要因です。

日本に狂犬病の患者はもう出ていないのですか?

国内で感染した人は1956年が最後です。1970年、2006年、2020年には海外で感染し、日本で発症した輸入症例が確認されています。

海外旅行ではどの地域で狂犬病に注意が必要ですか?

犬由来の狂犬病は現在もアジアとアフリカを中心に流行し、インド、インドネシア、フィリピン、タイ、ネパールなど日本人が訪れる国でも犬の発生があります。南北アメリカやヨーロッパでは、コウモリ、アライグマ、キツネなど野生動物由来の狂犬病も対策対象です。

参考文献・参考資料