1925年、書店の店頭には、子どもも大人も読める分厚い大衆雑誌『キング』が積まれていました。小説、講談、落語、教養記事、実用情報を一冊に詰め込み、「一家に一冊」と呼びかけた雑誌です。創刊号は当時としては破格の規模で発行され、大規模な新聞広告や店頭宣伝も行われました。
その六年後、同じ「キング」の名を刻んだレコードが発売されます。出したのは蓄音器メーカーでも外資系企業でもなく、『キング』を生んだ大日本雄弁会講談社、現在の講談社でした。
なぜ出版社がレコード会社をつくれたのでしょうか。答えは、出版とレコードがどちらも「作品を企画し、専門家を集め、複製し、宣伝し、全国の顧客へ届ける産業」だったからです。ただし、出版の仕組みをそのまま音楽へ移せば成功したわけではありません。録音技術、プレス工場、歌手や作家との契約、放送、専門店という別の力も必要でした。
この記事では、雑誌『キング』から講談社レコード部、戦時統制、戦後の独立、歌謡・童謡・民謡、さらにアニメ・特撮・声優音楽までを、日本のメディア産業の一つの流れとしてたどります。
この記事は「レコード会社6社で読む昭和音楽史」のキングレコード編です。6社の創業基盤・録音技術・専属制度・戦時対応を横断比較する親ハブ記事とは役割を分け、本記事では講談社と雑誌『キング』、出版流通の発想、録音・製造体制、童謡・流行歌・戦後歌謡への展開を詳しく追います。
30秒で分かる結論――キングレコードをつくったのは「編集と販売」の力だった
キングレコードの歴史は、三つの転換で理解できます。
- 雑誌ブランドからレコードブランドへ――講談社は大衆雑誌で得た企画力、宣伝力、読者理解を音盤へ広げました。
- 出版社内の一部門から独立会社へ――録音・製造を外部へ委託する段階から、自社で録音、プレス、販売を行う体制へ進み、戦後は会社として独立しました。
- 歌謡・童謡からアニメ・声優を含む総合コンテンツへ――音楽商品だけでなく、映像、イベント、キャラクター、配信まで扱うようになりました。
| 年 | 出来事 | 意味 |
|---|---|---|
| 1925年 | 講談社が大衆雑誌『キング』を創刊 | 全国的な読者基盤と強いブランドを形成 |
| 1931年 | 講談社内のキングレコード部から第1回新譜 | 出版から音楽産業へ参入 |
| 1935~36年 | 独テレフンケンと提携し、自社録音・プレス・販売体制へ | 編集会社から音楽製造会社へ前進 |
| 1944~47年 | 戦時再編、戦後の株式会社化、キング音響への改称 | 講談社内事業から独立へ移る過渡期 |
| 1951年 | キングレコード株式会社を設立 | 現在につながる法人の出発点 |
| 1981年 | スターチャイルドレコード発足 | アニメ・声優分野の長期的な柱を形成 |
| 2016年 | KING AMUSEMENT CREATIVE発足 | スターチャイルド終了後の再編 |
現在のキングレコードは、公式会社情報で事業内容を「音楽・映像ソフト及びデジタルコンテンツ等の企画、制作、販売」と説明しています。主な株主には講談社が挙げられています。ただし公式ページは持株比率まで示していないため、「講談社の完全子会社」とまでは断定できません。
雑誌『キング』はなぜ大衆に売れたのか
前提となるのは、レコード部より先に「キング」という名が全国へ浸透していたことです。『キング』は1925年に創刊された総合大衆雑誌でした。印刷博物館の資料によれば、創刊号は50万部を発行し、増刷分を含め62万部を売り切ったとされます。新聞広告、ポスター、ビラ、のぼりなどを組み合わせた大規模な宣伝も特徴でした。

「一家に一冊」を実現した編集
『キング』は一つの専門分野を深掘りする雑誌ではありません。小説、講談、落語、童話、科学、教訓、経済、歌などを組み合わせ、家族の誰かが読みたい内容を一冊に集めました。ここで重要なのは、講談社が単に原稿を印刷したのではなく、異なる読者の関心を読み、企画を束ね、商品として編集したことです。
講談社の公式史は、昭和前期に同社の雑誌が日本の雑誌総部数の大きな割合を占めた時期があったと振り返っています。数字の算出方法には注意が必要ですが、少なくとも講談社が当時の大衆出版を代表する企業だったことは確かです。
全国へ売る仕組み
大量発行には、編集だけでなく、印刷、広告、書店、取次、地方への配送、返品処理までを動かす必要があります。取次とは、出版社と多数の書店を結び、商品をまとめて配る流通業者です。
この経験はレコード事業にも役立ちました。新商品を定期的に企画する、目録を作る、広告で期待を高める、販売店へ送り、売れ行きを見て次の企画を修正する。この循環は雑誌と音盤でよく似ています。
ただし、出版流通とレコード流通は同じではありません。レコードには再生機が必要で、割れやすい盤を扱い、試聴や専門知識を備えた販売店も重要でした。出版社の販売網は参入の足場にはなっても、レコード専門店やメーカー主導の特約店制度を不要にしたわけではありません。
1931年、講談社にキングレコード部が生まれた
講談社は1930年に「キングレコード」という名称を掲げて事業へ入り、公式沿革では1931年1月の第1回新譜発売を創業としています。雑誌『キング』で知られた名前を音盤にも用いることは、未知の商品に既存ブランドの信用を与える方法でした。
最初から工場を持っていたわけではない
経営史研究によれば、初期の講談社はレコードの企画・編集・宣伝を自社で行い、録音・製造・販売は日本ポリドールへ委託していました。ここに出版社らしい参入の仕方が見えます。まず内容と市場を設計し、高度な設備を必要とする工程は専門企業へ任せたのです。
しかし、レコード産業では企画だけでは競争力を保てません。録音方式、マイク、スタジオ、原盤、プレス品質は商品の音に直結します。講談社は1935年にドイツのテレフンケンと技術提携・原盤契約を結び、翌年には自社録音・プレス・販売の一貫体制を整えました。尾久の工場にはドイツ製のプレス機を導入し、音羽のスタジオでは技術指導を受けています。
この時期の録音・複製技術の全体像は、関連記事「蓄音機を発明したのは誰?エジソン・ベルリナーと日本のレコード史」で詳しく解説しています。
先発三社との違い
日本コロムビアの源流は、外国人商人が日本で蓄音器とレコードの製造を始めた事業です。日本ビクターは米国ビクターの日本法人として出発し、日本ポリドールもドイツ系技術と結びつきました。これに対しキングは、邦楽を中心に企画する国内出版社が後から参入した会社でした。
後発でも参入できた背景には、電気録音技術の普及で技術差が少しずつ縮まり、流行歌、民謡、話芸など、日本語の音源への需要が広がったことがあります。出版で培った読者理解は、この邦楽市場で生きました。
家庭へ歌と物語を届ける
戦前のレコードは歌だけではありません。童謡、民謡、流行歌、浪曲、講談、落語など、家庭で繰り返し聴ける多様な音の出版物でした。雑誌が物語や知識を紙で届けたのに対し、レコードは歌手の声、楽器の音、話芸の間をそのまま届けます。
SPレコードの材質や再生方法、家庭用蓄音機の見方は、「蓄音機の仕組みと歴史|SPレコード・種類・博物館での見方」をご覧ください。
ラジオ放送の普及はレコードの競争相手であると同時に宣伝媒体でもありました。放送で知った歌を盤で買い、家で繰り返し聴く。レコード会社は作家、歌手、楽団、放送局、販売店を結ぶ調整役になっていきます。
戦時統制で文化産業はどう変わったか
1930年代後半から戦時期に入ると、出版もレコードも、紙、シェラック、金属、電力などの資材配分と内容統制の影響を受けました。ここでいう統制とは、国が生産量、原材料、企業活動、表現内容を強く管理することです。
企業再編と戦時歌謡
経営史研究では、戦前の主要六社体制は1942年まで続き、同年、国家施策の影響下で大日本蓄音器が講談社に買収されたと整理されています。1944年には講談社のレコード事業と録音機事業がまとめられ、大日本録音工業社と称しました。
音盤の内容にも戦争は入り込みます。軍歌や国策に沿う歌が大量に作られ、講談社自身も業界大手として軍の要請に沿う出版物を広めた経験を、現在の公式史で「苦い経験」と記しています。一方で、人々が日常の不安から離れるための娯楽や抒情的な歌も途絶えたわけではありません。
したがって、戦時期のキングを「統制の被害を受けただけの企業」と描くことも、「戦争協力だけを目的とした企業」と描くことも正確ではありません。企業は国家の制度に組み込まれつつ、軍事的内容と日常的娯楽の双方を生産する文化産業でした。
1948年の一枚と1951年の独立――戦後の再出発
敗戦後、人々は食料や住まいの不足に直面しましたが、歌や映画、ラジオへの需要も急速に戻りました。経営史研究では、講談社・キング系の設備は戦災被害が比較的少なく、1945年に生産を再開した企業群の一つとされています。

この1948年の盤は、戦前のブランドが戦後の生活へ戻ってきたことを物で示しています。盤面の曲名や演奏者はここでは推測しません。確認できるのは、1948年に発売されたキングレコード盤であることです。
材料不足のなかのSP盤
当時主流のSP盤は、シェラックを含む原料を熱で固めた割れやすい音盤でした。戦後は原料が貴重で、盤の表面と内部で材料を使い分ける製法も採られました。録音現場ではテープ録音が一般化する前で、ろう盤へ音溝を刻み、そこからプレス用の型を作る工程が続いていました。
「独立」は一日で起きたのではない
会社の独立過程は、1946年、1947年、1951年という三段階で見ると分かりやすくなります。研究資料によれば、1946年に大日本録音工業社が講談社からレコード販売業務を引き継いで株式会社化し、1947年にキング音響株式会社へ改称・独立しました。そしてその業務を引き継ぎ、1951年11月にキングレコード株式会社が設立されました。
公式沿革が「創業1931年」「設立1951年」と分けるのはこのためです。1931年は講談社内で事業を始めた年、1951年は現在につながる法人を設立した年です。
独立会社になると、制作だけでなく、営業、工場運営、著作権・原盤管理、海外レーベルとの契約、資金調達を自ら行う必要があります。出版の編集文化は残っても、音楽会社としての専門組織を作らなければ生き残れませんでした。
童謡・民謡・歌謡曲・演歌で築いた長寿ブランド
戦後のキングレコードを一つのスターだけで説明することはできません。長く効いたのは、家庭、学校、地域、放送、映画、レコード店と接続する複数の柱を持ったことです。
日常生活に近い音楽
童謡や子ども向け音源は家庭と学校へ、民謡は地域の祭りや稽古へ、歌謡曲や演歌はラジオ、テレビ、映画、盛り場、カラオケへつながりました。流行の中心が変わっても、生活場面に根を張った音源は再発売や編集盤として残りやすい特徴があります。
日本の唱歌、童謡、流行歌、戦後歌謡のつながりは、「日本近代音楽の歴史|滝廉太郎・古賀政男と歌謡曲の誕生」で整理しています。
「演歌の会社」という印象はどうできたか
演歌市場では、歌手を長期的に育て、地方の放送局や販売店、興行、後にはカラオケとも結ぶ営業が重要でした。若者向けポップスの流行が目まぐるしく変わる一方、演歌・歌謡曲は固定ファンと地域市場を持ち、キングの継続的な商品群として目立ちました。
その結果、「キングレコード=演歌」という印象が強まりました。しかし現在の公式案内を見ると、演歌・民謡に加え、ポップ/ロック、アニメ、ジャズ/クラシック、キッズ、映像などが並びます。演歌は重要な柱ですが、会社全体を一語で表すものではありません。
なぜアニメ・特撮・声優音楽に強くなったのか
子ども向け音源を長く扱ってきた会社にとって、テレビアニメや特撮は突然現れた別世界ではありませんでした。番組の主題歌、劇中音楽、ドラマ音源、キャラクター商品を、放送や映像と連動して届ける新しい市場でした。
音楽だけを売らない仕組み
アニメや特撮では、楽曲単体の魅力だけでなく、物語、登場人物、放送時期、映像ソフト、イベントが相互に価値を高めます。レコード会社の仕事も、歌手を録音するだけでは足りません。制作会社、放送局、出版社、玩具会社、作家、声優、イベント会場、配信サービスとの権利と日程を調整する必要があります。
これは出版の編集と似ています。素材を集め、シリーズとして見せ、発売時期を設計し、読者やファンとの接点を増やすからです。ただし、戦前の雑誌編集と現代のメディアミックスを同一視してはいけません。権利処理、映像制作、ライブ運営、デジタル配信という新しい専門能力が加わっています。
スターチャイルドは1981年から2016年まで
公式沿革では、スターチャイルドレコードは1981年に発足しました。キングレコードの2026年の公式発表は、アニメ・声優専門レーベルとして2016年まで35年間活動したと説明しています。
つまり「スターチャイルド」は、キングレコードの全時代を指すアニメ部門名ではありません。1981年に始まったレーベルであり、2016年の再編で名称としては終了しました。同年、公式沿革には「KING AMUSEMENT CREATIVE」の発足が記録されています。
声優を歌手・出演者・コミュニティの中心へ
アニメ音楽が発展すると、声優は作品内で声を演じるだけでなく、主題歌やキャラクターソングを歌い、ラジオや映像商品に出演し、ライブやファンイベントで作品世界を担う存在になりました。
この仕組みは、一人の声優や一作品の成功だけで成立したものではありません。企画、音楽制作、宣伝、映像、イベント運営、物販、ファンクラブ、配信が継続的に結びつくことで市場になります。現在のKING AMUSEMENT CREATIVEも、公式情報でアニメ・声優・アニソンアーティストを中心に扱うレーベルとして紹介されています。
現在は複数レーベルと事業分野が並ぶ
2026年時点の公式案内では、KING AMUSEMENT CREATIVE/SONIC BLADE、EVIL LINE RECORDS、HEROIC LINEのほか、J-POP/J-ROCK、演歌、民謡、ジャズ&クラシック、キッズ、映像制作などが確認できます。音楽配信やBlu-ray、キャラクター企画、イベントも含め、レコード盤だけを売る会社ではなくなりました。
日本コロムビア・日本ビクターとの違い
同じレコード会社でも、どこから産業へ入ったかが違います。比較しやすいよう、情報を二つの表に分けます。
| 会社 | 創業・事業開始 | 出発点 | 外国との関係 |
|---|---|---|---|
| 日本コロムビア | 1907年の事業を源流とする | 蓄音器・レコードの国内製造 | 外国人創業者、後に英米資本・技術と接続 |
| 日本ビクター | 1927年設立 | 米国ビクターの日本法人 | 米国企業の資本・録音技術 |
| キングレコード | 1931年創業、1951年設立 | 出版社内のレコード部 | 初期は日本ポリドールへ委託、後に独テレフンケンと提携 |
| 会社 | 初期の強み | 戦後の主軸 | 後年の展開 |
|---|---|---|---|
| 日本コロムビア | 製造設備、録音技術、販売網 | 歌謡、洋楽、機器を含む総合展開 | 音楽・映像・デジタルへ |
| 日本ビクター | 外資系技術と音響機器 | レコードと家電・音響 | テレビ、映像、VHSなど |
| キングレコード | 企画・編集・宣伝と邦楽市場 | 歌謡、童謡、民謡、演歌など | アニメ、声優、映像、イベント、配信へ |
三社はいずれもレコードを扱いましたが、出発点は異なります。日本コロムビアは外国人商人と製造業、日本ビクターは米国企業の日本法人、キングレコードは出版社の一部門でした。この違いが、技術、販売、企画、後年の事業展開に影響しました。
日本コロムビアの詳細は、公開済みの「日本コロムビアの歴史|日本初のレコード会社はなぜアメリカ人が創業したのか」をご覧ください。日本ビクターについては、確認できる公開済みの専用記事がなかったため、推測URLへのリンクは付けていません。
出版社のDNAは本当に残ったのか――キングレコードから見る日本メディア史
「出版社のDNA」という表現は便利ですが、万能な説明ではありません。キングレコードが長く続いた理由を出版経験だけに帰すと、録音技師、工場労働者、作詞家、作曲家、演奏家、歌手、営業担当、販売店、放送局の仕事が見えなくなります。
残ったもの
- 市場の関心を読み、企画を立てる編集的な発想
- 新譜をシリーズとして見せるカタログ設計
- 広告、店頭、媒体を組み合わせる宣伝
- 読者やファンとの長期的な関係づくり
- 作品を複数の形式へ展開する考え方
江戸の版元も、題材を選び、職人を組織し、商品を流通させました。出版社の歴史をより長い時間軸で考えるには、「浮世絵と新版画を動かした版元たち」も参考になります。
新たに必要になったもの
一方、音楽産業には録音・音響技術、原盤と著作隣接権、プレス工場、演奏家との契約、放送との連携が必要です。さらに映像時代には撮影・編集・ディスク製造、配信時代にはデータ管理、プラットフォーム対応、SNS宣伝が加わりました。
レコードから放送、テレビ、映像ソフト、配信へ進んだ技術変化は、「日本の産業技術史|明治からデジタル時代まで」でも確認できます。
キングレコードの歴史は、媒体が変わっても「作品を企画し、複製し、ファンへ届ける」という編集産業の核が残り、その周囲に新しい技術と権利ビジネスが積み重なった歴史です。紙の読者は音盤の顧客へ、放送の聴取者へ、アニメの視聴者へ、ライブ会場の参加者へ、配信サービスのユーザーへと変わりました。
よくある質問
キングレコードは講談社の会社ですか
キングレコードは講談社内のレコード部から生まれ、現在の公式会社情報でも講談社を「主な株主」としています。ただし持株比率が公式ページに示されていないため、公開情報だけで完全子会社かどうかを断定するのは避けるべきです。
雑誌『キング』とキングレコードは関係がありますか
関係があります。講談社の看板大衆誌『キング』で広がったブランド名が、講談社のレコード事業にも用いられました。雑誌の内容をそのままレコード化したという意味ではなく、既に知られた「キング」の名を新事業へ広げたと考えるのが適切です。
キングレコードはいつ設立されましたか
公式表記は「創業1931年1月、設立1951年11月」です。1931年は講談社内のキングレコード部から第1回新譜を発売した年、1951年はキングレコード株式会社を設立した年です。
なぜ演歌に強いのですか
歌謡曲、民謡、地域の音楽、放送、販売店、興行との長期的な関係を築き、固定ファンのいる市場へ継続的に商品を届けたためです。ただし、演歌だけを扱う会社ではありません。
なぜアニメや声優音楽に強いのですか
子ども向け音源や映像作品を扱ってきた経験に加え、主題歌、劇中音楽、映像ソフト、ラジオ、イベント、キャラクター企画を連動させる組織を育てたからです。成功は一作品ではなく、長期的な制作・宣伝・権利管理の仕組みに支えられています。
スターチャイルドは現在もありますか
レーベルとしては1981年に発足し、2016年に終了しました。キングレコードは同年にKING AMUSEMENT CREATIVEを発足させています。2026年にはスターチャイルド45周年企画が行われていますが、これは旧レーベルの歴史を振り返る企画であり、現行組織としての復活を意味しません。
キングレコードとKING AMUSEMENT CREATIVEの関係は何ですか
KING AMUSEMENT CREATIVEはキングレコード内のアニメーション・声優・アニソン分野を中心とするレーベルです。別会社ではありません。
現在の主要レーベル・分野は何ですか
公式案内では、KING AMUSEMENT CREATIVE/SONIC BLADE、EVIL LINE RECORDS、HEROIC LINE、J-POP/J-ROCK、演歌、民謡、ジャズ&クラシック、キッズ、映像制作などが確認できます。組織や名称は変わる可能性があるため、最新情報は公式サイトで確認してください。
まとめ――雑誌から音盤、そしてファンの体験へ
キングレコードの歴史を一本の線で結ぶと、次のようになります。
雑誌『キング』 → 講談社レコード部 → 自社録音・製造 → 戦時統制 → 戦後再出発 → 独立会社 → 童謡・民謡・歌謡曲・演歌 → アニメ・特撮 → 声優・映像・イベント・配信
出版社がレコード会社をつくれたのは、講談社がすでに「人々が何を求めているかを読み、作品を企画し、大量に複製し、宣伝し、全国へ届ける」会社だったからです。
しかし、それだけでは足りませんでした。キングレコードは録音技術を海外提携から学び、工場とスタジオを整え、作家や歌手、販売店、放送局と関係を築き、戦争と戦後復興をくぐり抜けました。後にはアニメ、声優、映像、イベント、配信という新しい専門領域を組み込みます。
残ったのは、特定の媒体ではありません。紙でも音盤でも映像でも、作品を編集し、ファンへ届く形にする力でした。それが、出版社から生まれたレコード会社が長く生き残った最大の理由です。
キングレコードの歩みを日本音楽史のなかで読み直すには、日本近代音楽の歴史、代表曲と作り手を追う日本の名曲でたどる近現代史、媒体と流通を扱う日本の音楽メディア史、戦前各社を比較する戦前のレコード会社戦争、戦時期の制作環境を扱う戦争と日本の歌、アニメ音楽とレコード会社の接点をたどる日本アニメの歴史が参考になります。
参考文献・参考サイト
- キングレコード株式会社「会社概要・沿革」
- キングレコード株式会社「キングレコードについて」
- 講談社「歴史」
- 印刷博物館『キング』第1巻・第1号(創刊号)
- 国立国会図書館リサーチ・ナビ「日本のレコード業界の歴史」
- 大久保いづみ・平野創「技術導入と経営成果の差異」『成城・経済研究』第244号、2024年
- 日本オーディオ協会『JAS Journal』「輝かしきキングレコード録音史 菊田俊雄さん(その1)」2018年
- キングレコード「スターチャイルドレコード」45周年関連記事
- キングレコード オフィシャルサイト
- Wikimedia Commons「King magazine」
- Wikimedia Commons「King record, 1948」
調査・事実確認:2026年7月19日。企業公式資料、公的機関、博物館、学術論文を相互照合しました。

