板橋区前野町五丁目の熊野神社は、かつて「西熊野」と呼ばれた旧前野村の鎮守です。前野町には三丁目と五丁目に熊野神社があり、五丁目の神社には江戸時代から受け継がれた絵馬・扁額が伝わっています。「前野町五丁目熊野神社所蔵絵馬・扁額」は平成22年度(2010年度)に板橋区登録有形民俗文化財となりました。
前野村に二つあった熊野神社
江戸時代の前野村には熊野神社が二社あり、五丁目の神社は西熊野、現在の前野町三丁目の神社は東熊野と呼ばれました。西熊野の創建年代は不明ですが、志村の城山にある熊野神社から分霊したという伝承があります。
明治2年(1869)の社寺調査に関する記録では、寛文2年(1662)の検地帳にこの神社が載っていたとされています。少なくとも江戸時代前期には前野の人々が祀っていた神社です。
『新編武蔵風土記稿』と常楽院
文政11年(1828)に成立した地誌『新編武蔵風土記稿』には、前野村の二つの熊野神社が村の鎮守であり、常楽院が管理に関わっていたことが記されています。江戸時代には寺院が神社の祭祀や維持を担う別当寺の仕組みがありました。
現在の前野町四丁目にある常楽院は、弥生時代終末期の「前野町式土器」を保存した寺院としても知られます。神社と寺院の関係は、農村だった前野の宗教施設が互いに関わりながら維持された歴史を伝えています。常楽院と前野町式土器の歴史では寺院に伝わる考古資料を紹介しています。
榛名講と三峯信仰を伝える境内社
境内には榛名神社、三峯神社、猿田彦神社などが祀られています。榛名神社は明治28年(1895)に榛名講の人々が奉納したものと伝えられます。榛名講は群馬県の榛名山を信仰する人々の集まりで、参詣や祈祷を通じて地域の人々を結んでいました。
三峯神社は、大正5年(1916)頃に現在の前野町五丁目十番付近にあった「一夜塚」から移されたと伝えられています。前野の人々は、村の鎮守に祈願するとともに、遠方の霊山への信仰も営んでいました。
絵馬・扁額を残した村人たち
熊野神社に保存された絵馬・扁額は、平成22年度に板橋区の登録有形民俗文化財となりました。絵馬や扁額には、祈願や奉納の記憶が残ります。神社の所蔵品としてまとまって保存されたことで、旧前野村の信仰を調べる資料となっています。
同じ年度には赤塚氷川神社の絵馬・扁額も区の登録文化財になりました。赤塚氷川神社の「祭礼図絵馬」は、明治期の境内や山車の姿を伝えていますが、西熊野の所蔵品とは別の文化財です。
所在地と見学
所在地は板橋区前野町5丁目35番付近です。神社への参拝と所蔵文化財の拝観は異なるため、絵馬・扁額の公開状況については板橋区の文化財担当部署に確認してください。前野町の遺跡・寺社は常盤台・前野・西台周辺の歴史と文化財でも紹介しています。
