板橋区成増に残る成増田中家住宅は、江戸時代に成増村の名主を務めた田中家の主屋です。家に伝わる文書と建物の規模が一致することから、天保12年(1841)に再建された住宅と考えられています。建築当初の場所で保存され、平成31年(2019)3月11日に板橋区登録有形文化財(建造物)となりました。
成増村の名主家と田中家住宅
江戸時代の成増は川越往還に近い農村でした。村の名主は年貢の取りまとめや村の行政、領主側との連絡などを担いました。田中家の住宅は、農家としての暮らしと、村役人が来客を迎える仕事の双方に対応する建物です。
家に伝わる「田中泰彦家文書」は、成増の村政や家の歴史を調べる資料として文化財登録されています。その一つ「田中兵蔵為静一代記」には、天保12年3月に主屋50坪余りを再建したことが記されています。
1841年の再建を示す記録
住宅の建築年代は、文書に記された再建時期と、現存する建物の床面積がほぼ一致することから判断されています。天保12年(1841)は江戸時代後期にあたり、同年には板橋の徳丸ケ原で高島秋帆が西洋式砲術の調練を行いました。地域の農村と幕末の政治・軍事の変化が同時代に存在していたことが分かります。
建物は現在も建築当初の位置に残されています。茅葺屋根の上には鉄板がかぶせられ、室内にも改装が施されていますが、主要な骨組みは受け継がれています。古い民家の保存では、当初の構造と後世の修理の痕跡を合わせて調べます。
食違い四間取りと式台
主屋の平面には、江戸時代後期の民家に見られる「食違い四間取り」の特徴があります。四つの部屋の境界を一列にそろえず、一部をずらして配置する間取りです。部屋の広さやつながり方を使い分け、家族の生活と来客への対応を両立させました。
田中家住宅には、式台を備えた接客空間もあります。式台は来客を迎えるための玄関の造作で、格式ある客を迎える際に使われました。一般の農作業に関わる土間や居間と、村の有力者が来客に対応する空間が同じ家の中に設けられていたことが、名主家の住まいの特色です。
2012年の改修と地域での利用
平成24年(2012)に改修が行われた後、成増田中家住宅は幼稚園児の学習や集会などにも使われるようになりました。住居としての役割を終えた建物を、地域の歴史を伝える施設として利用する取り組みです。文化財としての登録は平成31年(2019)3月11日です。
同じ板橋区内の茅葺民家には、徳丸で現地保存される旧粕谷家住宅と、徳丸から郷土資料館へ移築された旧田中家住宅があります。三つの住宅では建築年代、間取り、保存の方法が異なり、江戸時代の民家の多様性を知ることができます。
所在地と見学
成増田中家住宅は板橋区成増にあります。文化財案内では番地を公開しておらず、一般の住宅地にある歴史的建物です。公開行事や見学の可否を確認し、無断で敷地に入らないようにしてください。成増周辺の寺社や街道の歴史は、赤塚・成増周辺の歴史と文化財で紹介しています。
参考資料
- 板橋区「成増田中家住宅〈有形文化財(建造物)〉」
- 板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』
