大塚はなぜ花街とホテル街の記憶が重なるのか|大塚三業地・都電・駅前旅館・戦後飲食街の歴史

2025年夜の大塚駅南口と駅前の街並み

夜の大塚おおつか駅では、山手線の高架下を都電が横切り、駅前から飲食店、住宅、ホテル、小さな商店が続きます。南口から少し歩くと、「大塚三業通り」という名も残っています。

大正から昭和にかけて、この一帯には芸妓置屋、料亭・料理屋、待合が集まる花街がありました。戦後には駅前旅館や飲食街が発達し、1950年代の広告資料には、二人連れの休憩利用を受け入れる「連れ込み旅館」も確認されます。

花街、駅前旅館、連れ込み旅館、現在のホテルは同じものではありません。ただし、山手線と都電が人を運び、飲食、宴席、宿泊、住宅、小規模商業が徒歩圏に集まったため、異なる時代の記憶が同じ駅前に重なりました。

大塚駅と都電がつくった街

大塚駅は1903年4月1日、日本鉄道豊島線の駅として開業しました。現在の山手線にあたる路線で、池袋、巣鴨、大塚の各駅が同日に開業しています。駅の開業後、周辺では宅地化が進み、通勤者、商人、買い物客を相手にする飲食店や商店、旅館が増えました。

開業当時の駅周辺は主に巣鴨村・巣鴨町の範囲でした。歴史的な「大塚」の中心は現在の文京区側にあり、1969年に北大塚・南大塚の町名が成立します。駅名が先に定着し、のちに地域名として広がった面があります。

1911年8月20日には、王子電気軌道おうじでんききどうが飛鳥山上―大塚間を開業しました。地元で「王電おうでん」と呼ばれた路線は、その後、王子、早稲田、三ノ輪橋方面を結び、大塚を山手線と路面電車の乗換地点にしました。

2003年の大塚駅を通る山手線と都電荒川線
大塚駅の山手線と都電荒川線、2003年。撮影:Ippukucho/Wikimedia Commons/CC BY 3.0。

写真は2003年の大塚駅です。山手線の高架下を都電が通る交通構造は、現在も大塚を特徴づけています。

大塚三業地の成立

駅前商業は花街より先に育ちました。大正期には宅地化と通勤人口の増加が進み、食堂、酒場、菓子店、衣料店、旅館、映画館が駅周辺に集まります。1916年には、天祖神社前に豊島区で最初期の映画館とされるオヤマ館が開館しました。

大塚三業地おおつかさんぎょうちの開始年は資料によって表現が異なります。大塚三業組合は1919年を起源とし、区史系資料では1922年に現在の南大塚一丁目付近が指定を受け、1924年に待合営業が許可されて三業がそろったと整理されています。

意味
1919年頃組合が伝える花街形成の起源
1922年料理屋・芸妓置屋を中心とする指定区域の成立
1924年待合営業が認められ、三業がそろう

三業とは、芸妓が所属する置屋、料理と宴席を提供する料亭・料理屋、料理を取り寄せて芸妓を呼ぶ待合の三つです。花街には、三味線の師匠、髪結い、着物や帯を扱う人、料理人、仲居、酒や食材の商人、宴席を調整する見番など、多くの仕事が集まりました。

花街と遊郭は制度が異なります。芸妓は舞踊、唄、三味線、会話、宴席進行などを担い、公娼制度下の娼妓とは区別されました。ただし、当時の労働条件や置屋との関係には、現在とは異なる制約がありました。

東京の別の花街との比較には、坂道と料亭街が残る神楽坂の花街史も参考になります。

震災後の繁栄と戦災

1923年の関東大震災後、都心部から人口、商業、娯楽が郊外へ広がりました。大塚は山手線と路面電車で都心に接続でき、駅前には映画館、商店、飲食店が集まっていたため、花街も成長しました。昭和初期の大塚は、のちに巨大化する池袋より先に繁華街として知られていました。

最盛期の芸妓数について、大塚三業組合は700人と伝えます。一方、別資料には200人超、400人などの数字もあります。年、区域、登録数と実働数の数え方が異なるため、単一の確定値としては扱えません。

戦時下には料理、酒、衣料、燃料が統制され、宴席や芸能も影響を受けました。1945年の空襲では、住宅、商店、花街の建物が焼失し、住民や従業者が離散します。戦後の復興には、建物の再建、食材や酒の確保、営業許可、働き手と客の確保が必要でした。

戦後の飲食街と駅前旅館

敗戦後の東京では、駅前や人通りの多い場所に露店、小商い、仮設店舗、飲食店が生まれました。大塚でも、駅と都電の利用者を相手に食料、日用品、酒、食事を提供する店が増え、南側では花街が復興しました。

同じ時期、出張、商用、観光、家族訪問、長期滞在に対応する旅館も必要とされました。その一部は、二人連れの短時間利用も受け入れます。1950年代に「御同伴」「休憩」などを広告した旅館は、研究上「連れ込み旅館つれこみりょかん」と呼ばれます。

1963年6月26日の大塚駅周辺の白黒空中写真
大塚駅周辺の白黒空中写真、1963年6月26日。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成/国土地理院/Wikimedia Commons。

1963年の空中写真では、駅、線路、都電、細い街路、密集した建物が近接しています。ただし、空中写真だけでは個々の建物用途は分かりません。旅館名簿、広告、住宅地図、三業名鑑、営業許可などを重ねて検討する必要があります。

戦後の駅前市場の違いは、新宿・上野・池袋・渋谷の闇市を写真と資料で比較した記事で整理しています。

待合、旅館、ホテルの違い

施設主な目的宿泊
待合芸妓を呼ぶ宴席・会合本来の中心ではない
料亭・料理屋料理と宴席原則として中心ではない
置屋芸妓の所属・手配・生活客の宿泊施設ではない
一般旅館旅行・商用などの宿泊主目的
連れ込み旅館二人連れの休憩・宿泊休憩・宿泊
現代ホテル宿泊、観光、商用など主目的

待合と旅館は、客が部屋を使う点では似ていますが、中心機能が異なります。待合は宴席、旅館は宿泊が中心です。連れ込み旅館も花街制度とは別の業態で、同じ旅館が通常宿泊と短時間利用の両方を受け入れた場合もありました。

性社会・文化史研究者の三橋順子が1953~57年の広告を集計したデータでは、大塚で13軒の連れ込み旅館が確認されます。これは広告掲載施設の集計であり、当時存在した全旅館の公式統計ではありません。

2007年の大塚駅北口と駅前の建物
大塚駅北口、2007年。撮影:Nesnad/Wikimedia Commons/CC BY 3.0。

花街が衰退した後、料亭が飲食店になったり、待合や置屋が住宅や別の建物に建て替えられたり、旅館やホテルが新築されたりしました。すべての施設が同じ経路で転換したわけではありません。大塚では、花街とホテル街が同じ駅周辺に立地したため、両者の記憶が重なって見えるのです。

南口の花街、南北に広がる宿泊機能

大塚三業地は、主に駅南側の現在の南大塚一丁目付近に形成されました。「大塚三業通り」という名称も南側に残っています。一方、旅館やホテルは駅の南北や周辺道路に分散しました。現在の北口のホテル街を、そのまま戦前の花街中心地とみなすことはできません。

三業通り周辺には、旧河川や低地の地形を反映した曲がりのある街路が残ります。地域資料では谷端川、八幡川などの呼称に揺れがありますが、低地と水路に沿う道が暗渠化・道路化され、現在の街路に影響したことは読み取れます。旧河川と街路の見方は、東京の消えた川と暗渠を古地図から見つける方法でも紹介しています。

池袋の発展と都電の存続

戦後、池袋は国鉄、私鉄、地下鉄、百貨店、映画館、大規模な駅前開発によって副都心へ成長しました。広域交通と大型商業の中心が池袋へ移ると、大塚の百貨店、大型娯楽、広域集客は相対的に弱まり、花街も接待文化の変化や料亭利用の減少などにより縮小しました。

一方、大塚には山手線の生活駅、都電の乗換地点、小規模飲食店、住宅地、三業通りの名称、旅館・ホテルといった機能が残りました。巨大な副都心とは異なる、歩いて回れる生活圏としての性格が強まりました。

王子電気軌道は1942年に東京市へ統合されました。戦後、多くの都電路線が廃止されるなか、現在の荒川線区間は専用軌道が多く、沿線住民の重要な交通手段だったため残されました。1974年10月1日、27系統と32系統が統合され、「都電荒川線」として一体運行が始まります。

2007年の都電荒川線大塚駅前停留場
都電荒川線大塚駅前停留場、2007年。撮影:東京特許許可局/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

沿線全体の歴史は、都電荒川線の全停留場と沿線史を紹介した記事も参考になります。

現在の大塚

2009年に大塚駅南北自由通路が開通し、2017年には南口にTRAMパル大塚、2021年には北口にironowa hiro baが整備されました。駅前は明るく歩きやすい公共空間になりましたが、その周囲には都電、三業通り、細い街路、小規模飲食店が残っています。

現在の大塚には、ビジネスホテル、観光ホテル、簡易宿泊、短時間利用型ホテルなど多様な宿泊施設があります。2018年に開業したOMO5東京大塚は、宿泊客を都電や地域の飲食店へ案内する地域型ホテルです。戦後旅館との直接の連続を示すものではありませんが、駅前で地域外の人を迎える機能は受け継がれています。

「大塚三業通り」は現在も商店街名として使われています。現代の飲食店、物販店、サービス業、住宅が並ぶ通りですが、その名称が花街の歴史を伝えています。

大塚を歩く

大塚駅から大塚駅前停留場、TRAMパル大塚、天祖神社、大塚三業通り、旧流路周辺を歩き、北口のironowa hiro baへ回ると、駅、都電、花街、宿泊、商業、地形の重なりを確認できます。

現役の住宅、店、ホテルの敷地には入らず、外観だけで待合跡や旅館跡と断定しないことが大切です。大塚三業通りを歩いた記録は、大塚三業通りと旧花街を実際に歩いたイベント記事、周辺の回遊には東池袋・大塚・千石・巣鴨を夜に歩いた記事東京の歴史散歩コース集も参考になります。

まとめ

大塚の花街とホテル街は、同じ制度が形を変えて続いたものではありません。1903年の大塚駅、1911年の王子電気軌道、1920年代の三業地、戦災と復興、1950年代の駅前旅館、池袋の副都心化、都電の存続、駅前再整備が、同じ徒歩圏に積み重なりました。

両者に共通するのは、外から来た人を迎え、食事や滞在の場を提供する機能です。そこで働いた人、提供されたサービス、法制度、建物は時代ごとに異なります。大塚では、異なる都市機能が近い場所に現れたため、花街とホテル街の記憶が重なって見えます。

参考文献・資料

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  2. 豊島区「としま案内人『大塚物語る』ガイドツアー」
  3. 豊島区「大塚・巣鴨・駒込」
  4. 豊島区「大塚駅前広場(TRAMパル大塚)」
  5. 豊島区「大塚駅北口駅前広場について(ironowa hiro ba)」
  6. 豊島区「豊島区の商店会」
  7. 豊島区「大塚三業通り商店街」
  8. 豊島区「都電沿線めぐり」
  9. 豊島区「拡大図A・都電荒川線」
  10. 豊島区「図録(1993年度)―映画館と大塚」
  11. JR東日本「大塚駅」
  12. JR東日本「池袋駅・大塚駅・巣鴨駅開業120周年記念」
  13. 東京都交通局「都電荒川線のあゆみ」
  14. 東京都交通局「都電荒川線」
  15. 東京都交通局「東京さくらトラム(都電荒川線)50周年」
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  17. 国立国会図書館サーチ『料理待合芸妓屋三業名鑑―大正12年度』
  18. 『豊島区史 通史編2』参照情報「大塚三業」
  19. 大塚三業組合「大塚三業の歴史」
  20. 大塚三業組合「三業地に関わる用語の紹介」
  21. JapanKnowledge「大塚―駅名と地域史」
  22. nippon.com「大塚駅の歴史」
  23. 三橋順子「1950年代東京の『連れ込み旅館』について」
  24. 三橋順子「坂の途中・渋谷の『性なる場』の変遷」
  25. 三橋順子「東京『連れ込み旅館』広告データベース(1953~1957年)」
  26. 三橋順子「都電と『連れ込み旅館』」
  27. 星野リゾート「OMO5東京大塚 施設概要」
  28. OMO5東京大塚「アクセス」
  29. ゆる歴史散歩会「大塚ナイトウォーク。かつて栄えた大塚三業地の面影を巡ります」
  30. Wikimedia Commons「Otsuka Station south entrance 2025-09-24」
  31. Wikimedia Commons「Ōtsuka Station.19630626」
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