北千住はなぜ飲み屋街になったのか|千住宿・遊郭・鉄道・工場・戦後商業・駅西口の歴史

2009年の北千住サンロード宿場町通り

北千住きたせんじゅ駅西口には、大型商業施設の近くに短い間口の店が並ぶ細い横丁があります。焼き鳥、煮込み、刺身、餃子、立ち飲み、角打ち、バーなどが集まり、昼から営業する店もあります。

北千住の飲み屋街は、宿場、市場、鉄道、工場、戦後商業、小規模な街区が重なって形成されました。

1594年に千住大橋が架けられ、1625年に千住宿が開かれました。街道、水運、市場が交わり、旅人、商人、人足、荷物、馬が集まると、宿泊、食事、酒、休息の需要が生まれました。

1896年に北千住駅が開業し、1899年には東武鉄道が北千住から北へ延びました。地下鉄とつくばエクスプレスも加わり、北千住は広域ターミナルになりました。周辺では工業化が進み、敗戦後には生活再建のための小商いが駅前に集まりました。商店街と常設店舗が整う一方、駅西口には小さな店が入る区画と路地が残りました。

北千住の飲食街を形づくった歴史的背景

千住は宿場と河岸から鉄道・工業・商業の拠点へ移り変わりました。時期の異なる七つの要素が、現在の駅西口の飲食街を取り巻く歴史的背景です。

層主な時期飲食街へ与えた影響
橋・街道・宿場1594年以降旅人、商人、人足、馬、荷物を集め、宿泊・食事・酒の需要をつくった
水運・市場江戸期以降河岸と青物市場が商品、運送人、早朝労働を集めた
性産業と女性労働江戸期・大正~昭和前期飯盛旅籠と近代遊廓が存在したが、現在の飲み屋街とは制度・場所・系譜が異なる
鉄道1896年以降東京、埼玉、北関東、茨城を結ぶ巨大な人流をつくった
工業・労働大正~昭和工場、発電所、運輸、商業の勤務者と家族が暮らす生活都市をつくった
戦後商業・小規模街区1945年以降露店・小商いから常設店舗・商店街へ移り、小さな店が入れる区画を残した
現代の複合都市2000年代以降再開発、大学、文化施設、住宅、観光が新しい客層を加えた

千住大橋と千住宿が人を集めた

1594年、徳川家康の命により千住大橋せんじゅおおはしが架けられました。足立区公式資料では、関東郡代となる伊奈忠次いな ただつぐが工事を指揮したとされています。

橋が架かる以前、隅田川を越える交通は舟に頼っていました。橋の完成により、人、馬、荷車、商品が安定して行き来できるようになりました。

1625年、千住宿せんじゅじゅくが開かれました。日光道中にっこうどうちゅうと奥州道中おうしゅうどうちゅうで、日本橋を出て最初の宿場です。

歌川広重が1856年に描いた千住大橋と日光街道の風景
歌川広重『千住の大はし』、1856年。Brooklyn Museum/Wikimedia Commons/Public Domain。

歌川広重の『千住の大はし』には、橋と川、北へ続く道が描かれています。

宿場には旅籠、本陣・脇本陣、問屋場、食事や酒を出す店、商品の売買・保管を担う施設などがありました。1844年の記録では、千住宿の人口は9956人に達し、江戸四宿で最大だったと足立区は説明しています。

文化12年(1815年)12月21日には、千住の飛脚問屋・中屋六右衛門の家で「千住の酒合戦」が開かれました。『新修足立区史』によると、主催したのは隠居の「中六」で、谷文晁、酒井抱一、蜀山人らが判者を務めました。参加者は大きさの異なる杯を使って酒量を競い、その記録が番付に残されました。宿場町に集まった商人と江戸の文人が交わった出来事です(『新修足立区史』)。

街道の道筋は、日本橋から北千住まで日光街道を歩いた記事で現地の史跡とともに確認できます。千住から旅立った松尾芭蕉まつお ばしょうの旅は、『おくのほそ道』を解説した記事で詳しく紹介しています。

水運とやっちゃ場が食の町を支えた

千住宿せんじゅじゅくは、街道に加えて水運でも栄えました。千住大橋付近の橋戸河岸では、舟で運ばれた米、野菜、魚、陶器などを陸へ上げ、街道や江戸市中へ送りました。

千住河原町には青物市場が発達し、地元では「やっちゃ場やっちゃば」と呼ばれます。足立区公式資料によれば、千住掃部宿市場は1735年に幕府から認められた市場となりました。

市場の仕事は夜明け前から始まり、荷積み、値決め、選別、運送が行われました。この生活時間が、早朝からの食事や休息の需要を生みました。

昭和54年(1979年)9月、足立市場の青果部は、足立トラックターミナルに隣接する北部の市場へ移転しました。近世以来のやっちゃ場が担った青果物流通の拠点は千住から離れ、千住橋戸町の足立市場は水産物専門の中央卸売市場となりました。市場の機能と取扱品は、道路交通と物流施設の整備によって変化しました(財務省広報誌『ファイナンス』2025年9月号)。

旅籠の酒と現在の居酒屋は同じものか

千住宿せんじゅじゅくには旅籠、木賃宿、茶店、料理店があり、旅人へ食事、酒、休息を提供しました。

旅籠は宿泊を中心とし、街道交通の人馬継立や幕府の宿駅制度と結びついていました。現在の飲食店とは営業制度、土地所有、建築、客層が異なります。

飯盛旅籠と飯盛女をどう理解するか

江戸四宿には、飯盛旅籠めしもりはたごと呼ばれる宿がありました。そこで飯盛女めしもりおんなは、食事の給仕だけでなく、性的奉仕を伴う接客を担いました。

足立区立郷土博物館の資料は、1764年の制度・記録として、千住宿全体で150人まで飯盛女を置くことが認められ、36軒の飯盛旅籠があったと説明しています。1824年の記録には、女性たちの名前、年齢、出身地が残ります。

女性たちは、農村の困窮、家族の借金、前借金、移動の制限、病気、暴力、若年死などの危険にさらされました。近世の身分、家族、債務、性別による強い制約のもとにあった女性労働です。

金蔵寺には、千住宿で亡くなった女性を供養する塔があります。

江戸の飯盛旅籠と大正期の遊廓は別である

江戸期の飯盛旅籠と、千住柳町せんじゅやなぎちょうの近代遊廓ゆうかくは、時代、場所、制度が異なります。

足立区立中央図書館のレファレンスが参照する区史資料によれば、千住遊廓は1919年、千住四丁目飛地に設けられました。1928年、この地域は千住柳町と改称されます。

開設時に11軒の妓楼が建てられ、関東大震災後に他地域から移転が進み、56軒が並んだ時期があったとされています。

比較飯盛旅籠千住柳町遊廓
主な時期江戸期1919年以降の大正・昭和
制度宿駅の旅籠に飯盛女を置く近代の警察・公娼制度下の貸座敷営業
主な場所旧街道沿いの千住宿千住四丁目飛地、後の千住柳町
現在の飲み横との関係直接継承は確認できない場所・店舗・経営の直接継承は確認できない

1956年5月24日に売春防止法が公布され、1958年4月1日に全面施行されました。その前後に、旧遊廓の建物は下宿、住宅、別の営業などへ転換しました。

制度と場所の違いは、江戸以来の吉原遊郭と近代の遊廓を比較できる記事でも確認できます。

1896年、北千住駅が開業した

1896年12月25日、現在のJR常磐線じょうばんせんに当たる日本鉄道土浦線の北千住きたせんじゅ駅が開業しました。1899年8月27日、東武鉄道は北千住―久喜間で営業を始め、後に浅草側へ都心ターミナルを整えました。

1962年5月31日には日比谷線ひびやせん北千住―南千住間が開業し、東武伊勢崎線との相互直通運転が始まりました。1969年12月20日には千代田線ちよだせん北千住―大手町間、2005年8月24日にはつくばエクスプレスが開業しました。

現在、北千住駅にはJR常磐線、東武スカイツリーライン、東京メトロ日比谷線・千代田線、つくばエクスプレスの4社5路線が集まります。

2017年の北千住駅西口へ続く商業通りと交通
北千住駅西口へ続く通り、2017年。撮影:663highland/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

鉄道は東京中心部、埼玉、千葉、茨城、北関東の生活圏を結び、終業後、乗換え、待ち合わせなどで駅前に滞在する人を増やしました。

商業の中心も移動しました。財務省広報誌『ファイナンス』によると、1968年まで千住の最高路線価地点は国道4号沿いでしたが、1969年は千住二丁目の日光街道の駅側、1970年は駅前の矢島薬局前へ移りました。1960年代には緑屋や丸愛、1969年にはダイエー、1970年には長崎屋が進出し、商業地の重心が旧街道側から駅前側へ移っていきました(「路線価でひもとく街の歴史」)。

駅の外へ出る地域住民、勤務者、買い物客、学生、来街者を受け止める商業地が駅西口に形成されました。東武の路線形成については、東武が北千住から北関東へ伸びた歴史を、東京圏の私鉄史の中で解説しています。

工場とお化け煙突が働く街をつくった

大正から昭和にかけて、東京東部では工業化が進みました。平坦な土地、川と運河、鉄道、都心への近さを背景に、千住周辺には工場、倉庫、運輸施設が増えました。

1926年、千住火力発電所せんじゅかりょくはつでんしょが建設されました。4本の煙突は見る場所によって1本から4本に見え、「お化け煙突おばけえんとつ」と呼ばれました。

1955年に旧西新井橋から見た千住火力発電所のお化け煙突
旧西新井橋から見た千住火力発電所「お化け煙突」、1955年。『荒川放水路史』/Wikimedia Commons/Public Domain。

千住火力発電所は東京と周辺工業地の電力需要を支えました。1963年に運転を終え、1964年に煙突は解体されました。

工業化により、工場、発電所、運輸・倉庫、設備・修理、商業に従事する人と家族が暮らしました。早番、夜勤、交替勤務、残業、平日休みなどの生活時間は、昼夜の食事や飲酒の需要を支えました。

戦災と敗戦後の商業をどう考えるか

1945年、東京は空襲と敗戦によって深刻な物資不足に陥りました。千住でも住宅、商店、工場、生活基盤が被害を受け、駅前や人通りの多い場所に食料、衣料、日用品、修理、飲食、中古品などの小商いが集まりました。

露店や仮設店が生まれ、統制価格を外れた取引も行われました。戦後の市場を説明する言葉には、次の違いがあります。

闇市

配給・価格統制を外れた非公式取引を含む市場です。

露店

道路や空地で営業する店です。許可を受けた店や統制外の品を扱う店など、取扱品と取引の形態には違いがありました。

仮設市場

簡易な建物や共同施設に店を集めた市場です。

復興商店街

恒久的な建物、道路、土地関係、商店会を整えた地域商業です。

北千住では、戦後の小商いと飲食需要が駅前商業の再建に関係し、その後、店舗化、建て替え、商店会形成、業態転換が進みました。市場名、統括組織、境界、現在の店舗までの系譜を一括して確認できる公的資料は限られます。

資料が比較的多い地域との違いは、新宿・上野・池袋・渋谷の闇市を写真と資料で比較した記事で確認できます。

戦後商業から現在の飲み屋街へ

現在の北千住きたせんじゅ駅西口には、大型商業施設と、旧日光街道へ向かう通り、宿場町通り、本町商店街、細い路地、ときわ通りの飲み横が隣り合います。それぞれ成立時期や店舗構成は異なります。

2009年の北千住本町センター通り商店街
本町センター通り商店街、2009年。撮影:Kamemaru2000/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

本町センター通りには、生活用品を扱う商店と飲食店が短い間口で隣接しています。

足立区は、ときわ通りの「飲み横」を、戦後の風情を残し、4~5坪ほどの店が新旧入り混じる通りと紹介しています。2004年5月29日放送のテレビ東京『出没!アド街ック天国』にも、ときわ通りの老舗酒場や串揚げ店「天七」が登場しました。少なくとも2000年代初めには、飲み横が飲食店の集積地として広く知られていました(放送記録)。

ときわ通りにある「千住の永見」について、地域紙『足立朝日』は2012年、前身の永見酒店が戦後まもなく居酒屋に転じ、家族経営を続けてきた歩みを伝えています。店主夫妻の引退時には店内の常連客が拍手で送り出しました。酒販店から大衆酒場へ変わった個店の歴史を伝える記録です(『足立朝日』2012年10月5日号)。

旧日光街道側でも商業の再編が進みました。2025年11月、駅西口周辺の四つの商店街は、各組織の運営を維持しながら共通ブランド名を「千住宿商店街」に統一しました。ほんちょう・宿場町通り・サンロード・宿場通りの各ゾーンを一体的に発信する取り組みです。飲み横とは場所や成り立ちが異なる商店街の動きですが、駅西口全体の集客を担っています(足立区・2025年11月20日)。

なぜ駅西口に飲み屋が集中したのか

飲食店は東口にもありますが、飲み屋街のイメージは西口と強く結びついています。

駅西口から旧日光街道の商店街へ向かう歩行者の動線上に、小さな敷地と細い路地が残りました。駅前に買い物や乗換えで人が集まり、4~5坪ほどの区画にも個人経営の飲食店が入りました。戦後に酒販店から居酒屋へ転じた「千住の永見」のような店の歩みに、駅前商業の拡大と新規出店が重なったことで、ときわ通りに新旧の酒場が隣接する現在の景観ができました。

江戸の飯盛旅籠や千住柳町遊廓は、現在の飲み横とは別の場所・制度の歴史です。飲み横の成り立ちを考えるうえでは、近現代の駅西口の商業地と実際の店舗の変遷が直接の手がかりになります。

市場があるから酒と魚が安いのか

現在の足立市場は水産物を専門に扱う東京都中央卸売市場です。仕入れ先が近いことは、鮮魚を扱う飲食店の営業に役立ちます。2005年放送のBS-TBS『吉田類の酒場放浪記』では、駅西口の「千住の永見」が千住市場から毎日仕入れた魚を使って「千住揚げ」を提供していると紹介されました(番組の店舗記録)。

飲食店の価格には食材の仕入れに加え、賃料、人件費、料理やサービスの内容、各店の営業形態が反映されます。魚介類と酒類では流通経路が異なり、飲食店はそれぞれの仕入れ費用を踏まえて価格を設定します。

地下鉄・TX・大学が客層を変えた

鉄道網の拡大は、北千住きたせんじゅを工業地域の駅から広域ターミナルへ変えました。日比谷線は都心の業務・商業地へ、千代田線は大手町、表参道方面と常磐線・小田急方面へ、つくばエクスプレスは秋葉原、埼玉東部、千葉、茨城へつながります。

千住地域には東京藝術大学、東京未来大学、帝京科学大学、東京電機大学などの教育機関が進出しました。2012年には、北千住駅東口の日本たばこ産業社宅跡地に東京電機大学東京千住キャンパスが開設されました。

学生、教職員、研究者、保護者、イベント参加者などの人流が加わり、飲食の選択肢は大衆酒場に加えて、カフェ、クラフトビール、外国料理、個人レストランなどへ広がりました。

西口再開発は飲み屋街を消したのか

北千住駅西口では1980年代から再開発が検討され、2004年に駅前広場、ペデストリアンデッキ、商業・公共・住宅機能を含む再開発が完成しました。マルイとシアター1010が入り、駅前の動線と街の印象が変わりました。

再開発は歩行者と車両の動線を整理し、駅前広場を拡張し、商業・文化施設や住宅を整え、防災性を高めました。大型街区では小さな酒場、個人商店、路地の店を再現しにくい場合があります。

北千住では、再開発された駅前と、その周辺に残る細い街路が近接しています。新しい駅前が人を集め、既存の小区画が小規模な店を受け止めました。

これからの北千住で問われること

千住西地区には古い木造住宅、細い道路、住宅・商店・工場の混在が残り、地震や火災、避難経路、老朽建物、歩行者と車両の競合が課題です。防災やバリアフリーと、小規模商業を継続できる環境の両立が求められています。

古地図と空中写真で見る北千住

北千住の街区は、旧日光街道と河岸を中心とする江戸期の町割から、駅と鉄道を中心とする近現代の市街地へ変わりました。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」では、戦後の航空写真や旧版地図を検索できます。撮影・作成年代をそろえて比較すると、駅西口の道路と建物の変化を追えます。

江戸期

千住大橋、日光道中、千住宿の町割、問屋場、本陣、河岸、やっちゃ場が記されています。飯盛旅籠の位置は、宿場絵図と史料の照合が必要です。

明治期

日本鉄道の線路、北千住駅、旧街道、市場、住宅地が記されています。

大正・昭和前期

東武鉄道、工場、千住火力発電所、千住柳町遊廓の位置から、遊廓と駅西口飲み横の距離と街区の違いを確認できます。

戦災地図・戦後空中写真

焼失区域、駅前の空地、住宅、商店、道路の変化が分かります。闇市の境界が資料にない部分は推定にとどまります。

高度経済成長期

都電、バス、工場、商店街、住宅、駅施設の変化が記録されています。

2000年代以降

西口再開発、ペデストリアンデッキ、大学、東口整備、つくばエクスプレスの開業による変化を確認できます。

地図資料の読み方は、東京の古地図を現在地と重ねて読む方法で詳しく解説しています。

地図で歩く北千住

駅西口、旧日光街道、千住大橋、市場、千住柳町、工業史の痕跡を歩いてたどれます。

1.北千住駅西口

4社5路線とバスが集まる交通拠点です。再開発された駅前広場と小規模街区が隣接しています。

2.宿場町通り

旧日光街道の道筋が商店街の中に残ります。

3.千住宿本陣跡周辺

本陣、問屋場、見番横丁などの説明板と道筋があります。

4.金蔵寺

飯盛女の供養塔があります。

5.千住大橋

現在の主橋は1927年竣工で、1594年に架けられた木橋とは異なります。

6.やっちゃ場跡・足立市場周辺

旧青物市場と現在の水産市場の違いを確認できます。市場関係施設の見学範囲は施設の案内に従います。

7.飲み横・ときわ通り周辺

小さな間口と路地が残り、新旧の飲食店が集まります。

8.千住柳町

近代遊廓があった地域で、現在は住宅・生活の場です。

9.お化け煙突のモニュメント

煙突は現存せず、モニュメントや地域資料が発電所の歴史を伝えています。

現地を歩く際は、北千住から千住大橋・南千住まで千住宿を歩いたイベント記事と、東京の歴史散歩コース集も参考になります。

参考文献・資料

  1. 足立区「千住宿ってどんなところ?」
  2. 足立区「日光道中と千住宿」
  3. 足立区「千住宿開宿400年」
  4. 足立区「江戸四宿最大の人口を誇った千住宿」
  5. 足立区立郷土博物館「千住歴史大全」
  6. 足立区立郷土博物館「千住宿の仕事」
  7. 足立区「千住大橋」
  8. 足立区「千住の史跡」
  9. 足立区「鉄道と千住」
  10. JR東日本「北千住駅」
  11. 東武鉄道「北千住駅」
  12. 東京メトロ「北千住駅」
  13. 東京メトロ「東京メトロの歴史」
  14. 首都圏新都市鉄道「会社沿革」
  15. 足立区「千住の産業」
  16. 足立区「千住火力発電所」
  17. 足立区立郷土博物館「お化け煙突」
  18. 国立国会図書館レファレンス協同データベース・足立区立中央図書館「千住柳町にあった遊郭について」
  19. e-Gov法令検索「売春防止法」
  20. 足立区「ととのう、千住。」
  21. 足立区「穴場な街NO.1 千住」
  22. 足立区「北千住駅西口地区第一種市街地再開発事業」
  23. 足立区「北千住駅東口周辺地区」
  24. 足立区「千住西地区の防災まちづくり」
  25. 足立区「千住宿商店街が誕生」
  26. 千住宿商店街「千住宿商店街について」
  27. Wikimedia Commons「Kitasenju sunroad shopping street adachi」
  28. Wikimedia Commons「100 views edo 103」
  29. Wikimedia Commons「170824 Kita-Senju Tokyo Japan02n」
  30. Wikimedia Commons「Honcho center shopping street senju adachi」
  31. Wikimedia Commons「Nishi arai bashi old」
  32. 足立区『新修足立区史 上巻・千住の酒合戦』
  33. 財務省広報誌『ファイナンス』2025年9月号「路線価でひもとく街の歴史」
  34. テレビ東京『出没!アド街ック天国』2004年5月29日放送「ときわ通り」
  35. 足立朝日 2012年10月5日号「千住名物酒場『千住の永見』」
  36. BS-TBS『吉田類の酒場放浪記』2005年1月5日放送「北千住『永見』」