牛込区は現在の新宿区東部にあたり、神楽坂、早稲田、市谷などを含みました。坂と谷が多い山の手の地形に、旧武家地、寺社、住宅地、学校、軍施設、花街が入り混じる地域です。
牛込区は坂と谷で街が分かれる
地図では台地上の大きな区画と、谷筋の細かな町割りが対照的です。神田川沿いの低地から市谷方面の台地まで高低差があり、坂道が街の動線をつくっています。現在の牛込でも、地形を意識すると古い道路の意味が見えます。
神楽坂は山の手を代表する繁華街だった
神楽坂は飯田橋側から台地へ上る坂道を中心に商店や料亭が集まり、明治・大正期には花街としても知られました。都心に近い一方で路地や坂が多く、現在まで独特の街路景観が残っています。
早稲田には教育都市が形成された
早稲田大学の前身である東京専門学校が1882年に開校すると、早稲田周辺には学生向けの住宅、商店、出版・文化活動が集まりました。大正期には学生街としての性格が強まり、牛込区の文化的な一面をつくります。
市谷周辺には軍施設が集中した
旧武家地の広い敷地は、明治政府によって軍用地へ転用された場所が多くありました。市谷周辺には陸軍関係施設が集まり、住宅・学校・商業地とは異なる大区画が地図に表れます。現在の防衛省周辺にもその土地利用の連続性があります。
大正から昭和へ、中心は新宿駅方面へ移る
大正期の牛込では神楽坂が有力な繁華街でしたが、震災後から昭和初期にかけて新宿駅周辺が急速に成長します。旧15区の内側にあった牛込と、その外側の淀橋方面の関係が逆転していく過程は、東京の郊外化を理解するうえで重要です。
現在につながる牛込区の特徴
神楽坂の路地、早稲田の学生街、市谷の大規模施設という地域差は現在も残ります。大正地図は、この違いが地形と江戸以来の土地利用から生まれたことを示しています。

