小石川区は現在の文京区西部にあたり、小石川、大塚、後楽園、目白台周辺を含みました。坂と谷が多い地形の中に、住宅地、学校、寺社、工場・軍施設が入り混じる山の手の区です。
小石川区の地図は地形と大規模施設を見る
神田川沿いの低地から台地へ向かって坂が連続し、道路も地形に沿って曲がります。大きな施設用地と細かな住宅地が隣接しており、地形が土地利用を分けていたことがよく分かります。
江戸の大名屋敷・寺社から近代施設へ
江戸時代の小石川には大名屋敷や寺院が多くありました。明治以降、その広い敷地は学校、軍施設、工場、公園などへ転用されます。旧武家地が近代国家の施設用地へ変わる典型例が見られる地域です。
東京砲兵工廠が巨大な存在だった
現在の東京ドーム周辺には東京砲兵工廠があり、兵器製造を担う大規模な軍需工場でした。地図では周囲の住宅地とは異なる巨大な区画として確認できます。後年、この跡地が後楽園・東京ドーム一帯へ変わったことを考えると、土地利用の転換の大きさが分かります。
学校が集まり「文教の地」が形成された
明治政府が教育制度を整える中で、小石川・本郷には官立・私立の学校が集まりました。大塚方面にも学校や教育施設が増え、住宅地と学生・教員の生活圏が形成されます。文京区という現在の名称につながる「文教」の性格はこの時代に強まりました。
小石川植物園と緑地の継承
小石川植物園の前身は江戸幕府の小石川御薬園です。東京大学の附属施設となった後も広大な緑地として残り、周辺の住宅地と対照をなします。江戸の公的施設が近代学術施設へ受け継がれた例です。
現在に残る小石川区の骨格
谷筋の道路、坂、大規模な学校・公園、住宅地という配置は現在も確認できます。後楽園周辺の用途は大きく変わりましたが、大きな敷地の輪郭そのものが次の時代の都市開発を規定しました。

