東京の花街と聞いて、どの街を思い浮かべるでしょうか。
銀座の奥に歴史を残す新橋。料亭と政界の記憶が重なる赤坂。石畳の路地が続く神楽坂。浅草寺の門前に広がる浅草。隅田川の桜と料亭文化が結びついた向島。
現在も名を知られるのは、ごく一部です。
昭和初期の資料をたどると、東京には46地域もの花街がありました。
白山神社の近く。西新宿の高層ビル街になる前の十二社池。大塚駅の北側。羽田の穴守稲荷周辺。工場と海に近い芝浦や森ヶ崎。路面電車が郊外へ延びた王子、尾久。新興住宅地だった西小山。荒川沿いの南千住。
現在の景観からは、そこに芸妓、料理屋、待合、置屋が集まっていたとは想像しにくい場所もあります。
なぜ、東京のあちこちに花街が生まれたのでしょうか。
答えは、遊郭があったからではありません。
橋を渡る客。舟で料亭へ向かう客。寺社へ参詣する客。花見や滝見物を楽しむ客。官庁や軍施設で働く客。工場や市場を支える商人。鉄道で郊外へ移り住んだ人々。
人と金が集まる装置の近くに料理屋と宴席の需要が生まれ、その需要へ芸妓を送り出す仕組みが組織されました。
46地域を地図感覚で並べると、花街の歴史だけではなく、江戸から昭和へ東京が拡大した軌跡が見えてきます。
この記事で分かること
- 花街、三業地、二業地、遊郭の違い
- 「東京46花街」という数え方の根拠と限界
- 昭和初期の46地域すべての現在地
- 各地域が成立した主な理由
- 花街が都心から郊外・湾岸へ広がった過程
- 公認遊郭6地域を別枠にする理由
- 現在まで続く東京六花街
- 多くの花街が消えた理由
- 古地図と現在の街で痕跡を探す方法
- まず結論―46花街は東京の都市化を映す地図だった
- 花街とは何か―遊郭とは同じではない
- なぜ「46」なのか―数え方には揺れがある
- 東京46花街・完全一覧
- 都心・商業・政治型―新橋、赤坂、葭町
- 水辺・橋・舟運型―柳橋、向島、深川
- 寺社・門前・景勝地型―神楽坂、湯島、十二社、目黒不動
- 鉄道・郊外市街化型―大塚、池袋、五反田、蒲田
- 湾岸・海浜・工業型―芝浦、大森海岸、森ヶ崎、穴守
- 関東大震災が花街の分布を変えた
- 東京大空襲と戦後復興
- 現在まで続く東京六花街
- 消えた花街には何が残っているのか
- 古地図で46地域を探す方法
- 街歩きで比較したい六つのコース
- 街歩きで守りたいこと
- よくある疑問
- まとめ―46花街をたどると東京の拡大が見える
- 参考文献・資料
まず結論―46花街は東京の都市化を映す地図だった
東京の花街は、同じ理由で成立したわけではありません。
江戸以来の商業地では、商人と芝居・宴席の需要が花街を支えました。水辺では、橋、舟運、桜、料理屋が結びつきました。寺社門前では、参詣、縁日、景勝地への行楽が客を集めました。官庁街や軍施設の周辺では、政治家、官僚、軍人、実業家の接待需要が生まれました。鉄道と路面電車が延びると、大塚、池袋、王子、蒲田など新しい郊外市街地にも花街が形成されました。湾岸や工場地帯では、港、漁業、市場、工場、海水浴、鉱泉など地域固有の需要がありました。
46地域を現在の23区へ置き直すと、次の分布になります。
| 地域帯 | 現在の主な区 | 花街数 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 都心中央部 | 千代田・中央・港 | 12 | 商業、官庁、劇場、橋、舟運 |
| 山手東部 | 新宿・文京・台東 | 11 | 寺社、坂、景勝地、旧市街 |
| 城東部 | 墨田・江東・江戸川 | 4 | 隅田川、運河、橋、工業化 |
| 南部・湾岸 | 品川・大田・目黒・世田谷 | 11 | 海浜、宿場、工場、私鉄郊外 |
| 西部 | 渋谷・中野 | 3 | 坂、郊外行楽、鉄道市街化 |
| 北部 | 豊島・北・荒川 | 5 | 鉄道、路面電車、工業、郊外化 |
| 合計 | 46 |
この表は正確な点位置を描いた地図ではありません。しかし、花街が旧東京市の中心だけでなく、南部の海岸・工業地域と鉄道沿線の郊外へ広く分布したことが分かります。
重要なのは、「花街があった場所は昔から歓楽街だった」と考えないことです。駅、工場、寺社、行楽地が先にあり、その客を受け入れるために花街が後から組織された地域もあります。
花街とは何か―遊郭とは同じではない
花街は、芸妓、料理屋、待合、置屋などが集まり、宴席で芸能と接客を提供した地域です。
近代の三業地では、一般に料理屋、待合、置屋の三業が組織されました。地域によっては二つの業種を中心にする二業地もありました。
芸妓は、踊り、唄、三味線、鳴物、会話などで宴席を支えました。所属、出演先、料金、稽古、営業の調整には、検番と呼ばれる組織が関わる地域もありました。
一方、遊郭は、公的に指定された貸座敷と娼妓の営業地域です。
| 比較 | 花街 | 遊郭 |
|---|---|---|
| 中心となる仕事 | 芸妓による芸能・接客、料理、宴席 | 貸座敷と娼妓による性売買 |
| 主な施設 | 料理屋、待合、置屋 | 貸座敷、妓楼 |
| 営業組織 | 三業組合・二業組合、検番など | 貸座敷組合、警察管理など |
| 空間 | 市街地に分散・混在する場合もある | 指定区域へ集約される場合が多い |
制度が違うからといって、花街には性愛や搾取が存在しなかったと美化してはいけません。芸妓の世界にも、幼少期の奉公、借金、年季、厳しい稽古、移動の制約、警察による営業管理がありました。花街と遊郭を区別しながら、働く女性を「粋な文化」の装飾としてだけ扱わないでください。
公認遊郭だった吉原の制度と町割りは、「吉原遊郭跡を歩く」で詳しく紹介しています。
なぜ「46」なのか―数え方には揺れがある
「東京には46の花街があった」という数字は、永遠に固定された公式統計ではありません。
本記事では、昭和初期の東京の花街を記録した松川二郎『全国花街めぐり』、近代東京の花街成立を扱う研究、後年の地域史整理を照合し、46地域を採用します。
一方、研究や資料によって45、46、あるいは別の数になることがあります。調査年、隣接する営業組合の分け方、二業地を含めるか、公認遊郭内の芸妓組織を含めるか、一時的・小規模な営業地を含めるかが違うためです。
本記事の46地域一覧では、花街・三業地として整理された地域を対象とし、次の公認遊郭6地域を別枠にします。
- 新吉原
- 洲崎
- 品川
- 板橋
- 千住柳町
- 新宿二丁目
これらの遊郭にも芸妓はいました。しかし、貸座敷・娼妓の指定区域と、料理屋・待合・置屋を中心とする花街を同じ項目として数えると、制度と都市機能の違いが見えなくなります。
洲崎を46一覧から別枠にする理由は、「洲崎パラダイス跡を歩く」とあわせて読むと理解しやすくなります。
なお、46一覧に「品川海岸」があり、別枠の遊郭に「品川」があります。名称が似ていても、時代・営業組織・対象範囲を同一視しないでください。
東京46花街・完全一覧
以下は、本記事で採用する46地域です。
現在地は、旧町名や営業区域を現在の行政区画へ置き直した目安です。花街は点ではなく、料理屋、待合、置屋が分布する地域だったため、一つの住所へ固定しないでください。成立類型も一地域につき一つだけとは限りません。最も特徴的な条件を短く示しています。
| No. | 花街名 | 現在地の目安 | 主な成立類型・背景 |
|---|---|---|---|
| 1 | 富士見町(九段) | 千代田区富士見・九段周辺 | 官庁・学校・軍施設、都心接待 |
| 2 | 神田(講武所) | 千代田区神田周辺 | 商業・軍施設・学生街 |
| 3 | 日本橋 | 中央区日本橋周辺 | 江戸以来の商業・問屋・舟運 |
| 4 | 葭町 | 中央区日本橋人形町周辺 | 芝居・商業・水運・江戸芸能 |
| 5 | 新富町 | 中央区新富周辺 | 新富座など劇場・商業 |
| 6 | 新橋 | 中央区銀座八丁目周辺 | 官庁・財界・政治・商業 |
| 7 | 新川(霊岸島) | 中央区新川周辺 | 河岸・廻船・酒問屋・水運 |
| 8 | 烏森(新橋南地) | 港区新橋駅烏森口周辺 | 鉄道駅・商業・飲食 |
| 9 | 芝神明 | 港区芝大門周辺 | 芝大神宮門前・増上寺・商業 |
| 10 | 芝浦 | 港区芝浦周辺 | 港湾・運河・工業・埋立地 |
| 11 | 麻布 | 港区西麻布・六本木周辺 | 軍施設・邸宅・都心接待 |
| 12 | 赤坂 | 港区赤坂周辺 | 官庁・政界・軍施設・料亭 |
| 13 | 牛込神楽坂 | 新宿区神楽坂周辺 | 寺社・外濠・坂・商業 |
| 14 | 四谷荒木町(津之守) | 新宿区荒木町周辺 | 池・滝・景勝地・料亭 |
| 15 | 四谷大木戸 | 新宿区四谷四丁目・新宿一丁目周辺 | 甲州街道・市街地境界・飲食 |
| 16 | 十二社 | 新宿区西新宿四丁目周辺 | 池・滝・熊野神社・郊外行楽 |
| 17 | 白山 | 文京区白山周辺 | 白山神社・住宅地・市電 |
| 18 | 駒込神明 | 文京区本駒込周辺 | 神社門前・郊外住宅地 |
| 19 | 湯島天神 | 文京区湯島周辺 | 天神門前・上野・商業 |
| 20 | 根岸 | 台東区根岸周辺 | 文人・別邸・駅・飲食 |
| 21 | 下谷本郷(池之端) | 台東区池之端周辺 | 不忍池・上野・料亭・行楽 |
| 22 | 浅草 | 台東区浅草周辺 | 浅草寺・芝居・観光・興行 |
| 23 | 柳橋 | 台東区柳橋周辺 | 神田川・隅田川・舟運・料亭 |
| 24 | 向島 | 墨田区向島周辺 | 隅田川・桜・寺社・料亭 |
| 25 | 深川仲町 | 江東区門前仲町・富岡周辺 | 富岡八幡宮・水運・商業 |
| 26 | 城東(天神裏・亀戸) | 江東区亀戸周辺 | 亀戸天神・鉄道・工業 |
| 27 | 平井 | 江戸川区平井周辺 | 鉄道駅・工場・郊外市街化 |
| 28 | 西小山 | 品川区小山・目黒区原町周辺 | 私鉄駅・新興住宅地 |
| 29 | 五反田 | 品川区東五反田周辺 | 鉄道駅・工場・商業 |
| 30 | 品川海岸 | 品川区北品川・南品川周辺 | 海岸・宿場周辺・料理屋 |
| 31 | 大井 | 品川区大井周辺 | 鉄道・海岸・工場・住宅 |
| 32 | 大森海岸 | 品川区南大井・大田区大森北周辺 | 海浜行楽・料亭・鉄道 |
| 33 | 大森新地 | 大田区大森北周辺 | 駅・商業・海岸部市街化 |
| 34 | 森ヶ崎 | 大田区大森南周辺 | 鉱泉・海浜行楽・工業 |
| 35 | 穴守 | 大田区羽田周辺 | 穴守稲荷・海浜・参詣・行楽 |
| 36 | 蒲田 | 大田区蒲田周辺 | 鉄道・工場・映画産業・商業 |
| 37 | 下目黒(目黒不動) | 目黒区下目黒周辺 | 目黒不動門前・行楽 |
| 38 | 玉川 | 世田谷区玉川周辺 | 多摩川・行楽・私鉄郊外 |
| 39 | 円山町 | 渋谷区円山町周辺 | 花街・坂・渋谷駅・娯楽 |
| 40 | 中野新橋 | 中野区弥生町周辺 | 神田川・郊外住宅地・料亭 |
| 41 | 新井薬師 | 中野区新井周辺 | 寺院参詣・私鉄・郊外行楽 |
| 42 | 池袋 | 豊島区池袋周辺 | 鉄道ターミナル・郊外市街化 |
| 43 | 大塚 | 豊島区北大塚・南大塚周辺 | 鉄道・市電・三業地計画 |
| 44 | 王子 | 北区王子周辺 | 王子稲荷・飛鳥山・工業・鉄道 |
| 45 | 尾久 | 荒川区東尾久・西尾久周辺 | 工業・温泉・路面電車 |
| 46 | 南千住 | 荒川区南千住周辺 | 宿場周辺・鉄道・工業・市場 |
一覧は、46の点を正確な住所へ固定するためのものではありません。花街の境界は変化し、営業組合の範囲と一般に呼ばれた地域名が一致しない場合があります。個別記事を作成するときは、警視庁統計、営業名鑑、火災保険特殊地図、住宅地図、区史を使い、年代別に範囲を確定してください。
都心・商業・政治型―新橋、赤坂、葭町
都心部の花街は、政治家や財界人だけのために生まれたわけではありません。
江戸以来の問屋、劇場、河岸、商店、官庁、新聞社、鉄道駅が近接し、商談と宴席を必要とする人々が集まったことが基盤です。
新橋
新橋花街の中心は、現在の新橋駅そのものではなく、銀座八丁目周辺にあります。明治政府の官庁街、築地、銀座、新橋駅、新聞社、実業界に近く、政治・財界の宴席を受け入れる格式ある花街として発展しました。
葭町
葭町は、現在の日本橋人形町周辺です。江戸の芝居町、商業、河岸、水運と結びつき、芳町とも表記されます。現在の東京六花街では「芳町」の名称が使われています。


二人の芸妓の肖像は、1902年に小川一眞が撮影したものです。衣装や姿勢の違いを、花街の格付け、収入、性格の証拠として読み込まないでください。写真館で制作された肖像は、本人と地域が外部へ示そうとしたイメージを含みます。
赤坂
赤坂は、霞が関、永田町、軍施設、官邸、邸宅地に近く、政界・官界・軍・実業界の接待需要と結びつきました。現在も東京六花街の一つですが、古い料亭数や芸者数を現在値として転用しないでください。
麻布花街を含む街の変化は、西麻布の歴史散歩でもたどれます。
水辺・橋・舟運型―柳橋、向島、深川
東京の花街を地図で見ると、川、堀、橋、海岸沿いに多いことが分かります。水は境界であると同時に、交通路でした。
柳橋
柳橋は、神田川が隅田川へ合流する場所にあります。船宿から舟を出し、隅田川の料亭や遊興地へ向かう動線が花街を支えました。江戸・明治の東京で、舟は単なる景観ではなく、人と料理と芸妓を運ぶ交通でした。
向島
向島は、隅田川東岸の桜、牛嶋神社、三囲神社、百花園などの行楽と結びつきました。川沿いの料亭、庭園、花見、舟運が重なり、都心から近い郊外遊興地として発展します。

1954年の写真には、花見客へ茶を振る舞う向島の芸者が写っています。戦後すぐに花街文化が完全に消えたのではなく、戦災から営業と芸能を再建したことが分かります。ただし、写真一枚から当時の全料亭・全芸者の状況を一般化しないでください。
深川仲町
深川仲町は、富岡八幡宮の門前、水運、木場、商業と結びつきました。深川芸者は「辰巳芸者」として語られますが、後世の固定的な女性像を全員へ当てはめないでください。
芝浦・新川・霊岸島
霊岸島や新川は、廻船、河岸、酒問屋などの商業地でした。芝浦は近代の港湾・工業地域です。同じ水辺型でも、向島の行楽、柳橋の船宿、新川の商業、芝浦の港湾では、客層と成立時期が違います。
寺社・門前・景勝地型―神楽坂、湯島、十二社、目黒不動
寺社へ人が集まると、茶屋、料理屋、土産物店、宿が生まれます。池、滝、桜、眺望があれば、参詣と行楽を組み合わせた遊興地になります。
神楽坂
神楽坂は、毘沙門天善國寺、赤城神社、外濠、坂道、横丁、商店街が重なる地域です。坂の表通りから横道へ入ると、細い路地と段差が続きます。料理屋、待合、置屋が小規模な路地沿いに分布する花街の空間が形成されました。

神楽坂の石畳は、すべてが江戸時代からそのまま残ったものではありません。戦災、道路整備、舗装、建て替えを経ています。それでも、坂と細街路の構成は、現在も花街の空間を体感する手がかりになります。
坂道、石畳路地、現在の花街を現地で確かめるなら、神楽坂歴史散歩ガイドもあわせてご覧ください。
湯島天神
湯島天神は、参詣、上野・御徒町の商業、池之端の料亭文化と近接しました。江戸・近代の寺社は、信仰だけでなく、縁日、見世物、飲食、行楽を集める都市の公共空間でもありました。
十二社
十二社は、現在の西新宿四丁目、熊野神社周辺です。かつては池と滝があり、江戸近郊の景勝地として茶屋・料理屋が集まりました。近代には花街が発展しましたが、淀橋浄水場、高層ビル、道路整備によって景観は大きく変わりました。
十二社池と西新宿の花街跡は、西新宿・中野坂上の歴史散歩で現地の変化をたどれます。
白山・駒込神明
白山神社、駒込の神社・寺院、郊外住宅地、市電の交通が小規模な花街を支えました。白山花街と白山神社は本郷〜白山ナイトウォーク、白山・駒込神明・湯島周辺の旧市街は根津・白山の歴史散歩でも確認できます。
下目黒・新井薬師・穴守
目黒不動、新井薬師、穴守稲荷も、参詣と行楽を集めた場所です。穴守は羽田の海浜行楽とも結びつきました。現在の羽田空港だけを見て、当時の花街を現在の空港施設内へ単純に固定しないでください。戦前の海岸線、穴守稲荷の移転、飛行場拡張を古地図で確認する必要があります。
鉄道・郊外市街化型―大塚、池袋、五反田、蒲田
明治末から昭和初期、東京の人口は旧市街の外へ広がりました。鉄道駅の周辺には、商店街、工場、住宅、映画館、飲食店が集まり、新しい宴席需要が生まれます。
大塚
大塚は、山手線と市電の交通結節点として発展しました。駅北側には三業地が形成され、料亭、待合、置屋が集まりました。郊外の新しい花街は、江戸以来の伝統をそのまま移したのではなく、都市人口の移動に合わせて営業組織をつくったものです。
駅北側の痕跡は、大塚の歴史散歩でも紹介しています。
池袋
池袋は、鉄道ターミナル化、駅前商業、住宅地拡大を背景に花街が成立しました。戦後の闇市、現在の歓楽街、ホテル街と、戦前の花街を一つの場所・系譜として扱わないでください。時代ごとの位置を住宅地図で分ける必要があります。
池袋北側の市街地形成は、上池袋の歴史散歩と比較できます。
五反田・西小山
五反田は山手線、工場、商業地の発展と結びつきました。西小山は私鉄沿線の新興住宅地です。有名観光地ではない駅前にも花街があったことは、芸妓を伴う宴席が一部の都心富裕層だけの文化ではなかったことを示します。
蒲田・大森・大井
蒲田、大森、大井は、鉄道、工場、住宅、海岸行楽が重なる南部市街地です。蒲田には映画撮影所もありましたが、撮影所だけを花街成立の原因にせず、工場経営者、商店、鉄道利用者、地域の宴席需要を総合して説明してください。
王子・尾久・南千住
王子、尾久、南千住は、工場、鉄道、路面電車、宿場・市場などが近接しました。王子・尾久・大塚は都電荒川線の歴史散歩、南千住は北千住・南千住の歴史散歩とあわせて読むと、郊外市街化の違いが見えてきます。
湾岸・海浜・工業型―芝浦、大森海岸、森ヶ崎、穴守
東京湾岸の花街は、海辺の景勝地だけでは説明できません。港、工場、漁業、市場、鉱泉、海水浴、参詣、鉄道が地域ごとに異なる組み合わせをつくりました。
大森海岸
大森海岸は、海水浴、海苔、料亭、鉄道によって、都心から出かける行楽地になりました。現在は埋立てと道路整備で海岸線が遠くなっています。花街跡を探すときは、現在の海だけでなく当時の海岸線を古地図で確認してください。
森ヶ崎
森ヶ崎には鉱泉・温泉施設があり、療養と行楽の客を受け入れました。工業地帯の花街と一括りにせず、鉱泉場という集客装置を見ます。
穴守
穴守は、穴守稲荷への参詣、海浜行楽、鉄道が結びついた地域でした。飛行場・空港建設と戦後の接収で街の位置と景観は大きく変わりました。
芝浦
芝浦は、埋立て、港湾、工場、倉庫、交通によって新しい都市活動が集中しました。花街は「風情のある古い町」にだけ存在したのではありません。近代産業がつくった新しい街にも、接待と宴席の需要が生まれました。
関東大震災が花街の分布を変えた
1923年の関東大震災は、東京東部の花街、遊郭、商業地に大きな被害を与えました。
料理屋、待合、置屋、芸妓の住居が焼失すると、営業は別の場所へ移るか、仮店舗で再開する必要があります。同時に、震災後の人口は西部・南部へ移動しました。
渋谷、新宿、池袋、大塚、五反田、蒲田などの駅周辺が成長し、都心の宴席需要だけでなく、郊外の商人、工場経営者、地域団体を相手にする花街が発展します。
震災は古い花街を消しただけではありません。営業者と芸妓の移動、新興市街地への客の移動、道路・区画整理、鉄道と百貨店の成長、郊外住宅地の拡大を通じて、花街の分布を組み替えました。
東京大空襲と戦後復興
1945年の空襲では、浅草、柳橋、向島、深川など多くの花街が焼失しました。
戦後、焼け跡で料理屋・置屋が再開した地域もあれば、住宅、飲食店、旅館、バー、事務所へ転換した地域もあります。
花街の消滅を、1958年の売春防止法だけで説明してはいけません。花街の芸妓営業と赤線の売春営業は同じ制度ではありません。花街の衰退には、次の要因が重なりました。
- 空襲による建物・顧客基盤の喪失
- 料亭接待の変化
- 企業の交際費・宴会文化の変化
- キャバレー、クラブ、バーなど新業態との競合
- 地価上昇と再開発
- 後継者、芸妓、地方の不足
- 置屋、料亭、検番のネットワーク縮小
- 女性の職業選択の変化
- 道路拡幅と町名・街区の再編
一つの法律、一つの災害だけで46地域が消えたわけではありません。
現在まで続く東京六花街
現在、東京六花街として一般に挙げられるのは、次の六地域です。
- 新橋
- 赤坂
- 芳町
- 神楽坂
- 浅草
- 向島
「続いている」とは、古い建物が残っているだけではありません。
花街を機能させるには、芸者衆、置屋、料亭・料理屋、演奏家、師匠、着付けなどの専門職、見番・組合、宴席を依頼する客、新人を育てる仕組み、地域の祭礼・公演・観光との関係が必要です。
路地や料亭建築だけが残っても、芸能と営業のネットワークが失われれば、現役の花街とは言いにくくなります。逆に、建物が建て替わっても、芸者衆、料亭、組合、稽古、公演が続けば、花街文化は形を変えて継承されます。
東京六花街を「江戸時代から何も変わらず残った街」と説明しないでください。戦災、再開発、客層の変化、公演活動、観光対応を経て、現在の形へ再構成されています。
消えた花街には何が残っているのか
廃業した花街を歩いても、「ここが花街」と書かれた建物が残っているとは限りません。
見るべき痕跡は建築だけではありません。
路地と街区
待合、置屋、小料理屋が小さな区画へ集まった地域では、細い路地、袋小路、階段が残る場合があります。ただし、細い路地があるだけで花街跡とは断定できません。
検番・組合の建物
見番、検番、三業組合の事務所が残る地域があります。現在の用途、建築年代、移築の有無を確認せず、「当時の建物」と断定しないでください。
料亭・旅館建築
大広間、玄関、庭、離れを持つ建物が、住宅、事務所、飲食店として残る場合があります。外観だけで旧料亭・旧待合と判断せず、建築台帳、住宅地図、地域史を確認してください。
通り名・商店会名
三業通り、見番横丁などの名称が残ることがあります。通称は範囲が曖昧な場合があるため、成立年代を確認します。
寺社・池・川・駅
建物が失われても、花街を成立させた集客装置は残る場合があります。神楽坂の坂、十二社の熊野神社、目黒不動、向島の隅田川、大塚駅、王子の飛鳥山などです。
「花街の建物」だけでなく、「なぜ客が来たのか」を示す地形と施設を見ることが重要です。
古地図で46地域を探す方法
46地域の範囲を確認するときは、一枚の地図だけで結論を出さないでください。
次の資料を年代順に重ねます。
- 明治・大正期の地形図
- 東京市・各区の市街図
- 火災保険特殊地図
- 商工名鑑・料理屋・待合・置屋名簿
- 警視庁統計・三業組合資料
- 戦前・戦後の住宅地図
- 航空写真
- 現在の地図
検索語は、花街名、旧町名、三業、二業、見番・検番、待合、置屋、料理屋、芸妓屋、組合です。現在の駅名だけで探すと、旧町名の資料を見落とします。
古地図を現在地と重ねる手順は、古地図まるわかりガイドでも解説しています。
本記事の46一覧は個別調査の入口です。各地域の記事を制作するときは、次を調べてください。
- いつ営業組合が成立したか
- 最盛期はいつか
- 料理屋、待合、置屋、芸妓の数
- どの町丁目に分布したか
- 誰が客だったか
- 何が集客装置だったか
- 震災・空襲後にどこへ移ったか
- いつ、なぜ衰退したか
- 現在何が残るか
街歩きで比較したい六つのコース
東京46花街を一度に歩くことはできません。形成類型の違いが分かるよう、次の組み合わせで比較してください。
神楽坂と十二社
同じ新宿区でも、神楽坂は外濠・寺社・商業・坂の花街、十二社は池・滝・郊外行楽の花街です。
白山と大塚
白山は神社・旧市街、大塚は鉄道・市電・新興三業地です。
柳橋と向島
両方とも隅田川と舟運に関係しますが、柳橋は橋・船宿、向島は桜・寺社・郊外料亭の性格が強くなります。
赤坂と新橋
政治・財界型として似ていますが、官庁、銀座、鉄道駅、料亭街の位置関係が異なります。
大森海岸と穴守
海浜行楽型でも、大森は海水浴・鉄道・料亭、穴守は参詣・海浜・私鉄の組み合わせです。
大塚・王子・尾久
鉄道・市電・工業・住宅地の拡大とともに形成された北部郊外型を比較できます。
ほかの地域も歩き比べるなら、東京歴史散歩おすすめコース集をご覧ください。
街歩きで守りたいこと
旧花街は、歴史展示のためのテーマパークではありません。現在は住宅、事務所、飲食店、学校、寺社、ホテルなどとして使われています。
- 住宅や営業中の店舗をのぞき込まない
- 人物、玄関、窓、店内を無断撮影しない
- 現在の料亭や芸者衆へ、取材目的を隠して接触しない
- 旧料亭と断定できない建物をSNSで特定しない
- 地域住民を「花街の人」と決めつけない
- 芸妓と娼妓を混同しない
- 花街を売春街の言い換えにしない
- 一方で女性の労働や管理を美化しない
- 夜間に一人で細い路地へ入り込まない
- 寺社、墓地、文化施設では静かに見学する
街を歩く目的は、珍しい建物や人を見ることではありません。川、坂、寺社、駅、工場跡、街区を読み、なぜ宴席と芸能の地域がそこに成立したのかを理解することです。
よくある疑問
東京には本当に46の花街があったのですか?
本記事では、昭和初期の記録と後年の研究をもとに46地域を採用しています。ただし、調査年、二業地の扱い、隣接地域の分け方、公認遊郭内の芸妓組織を含めるかによって、45や別の数になる資料もあります。46は、時期と定義を明示して使う数字です。
花街と遊郭は同じですか?
同じではありません。花街は芸妓、料理屋、待合、置屋を中心とする宴席・芸能の地域です。遊郭は貸座敷と娼妓を公的に指定・管理した地域です。実際の都市では近接・混在する場合がありますが、制度を区別する必要があります。
なぜ吉原や洲崎が46一覧に入っていないのですか?
本記事では、公認遊郭6地域を別枠にしているためです。吉原や洲崎にも芸妓はいましたが、貸座敷・娼妓を中心とする遊郭の制度と、三業地を中心とする花街を同じ一覧へ入れない方針です。
現在も残る東京の花街はどこですか?
一般に東京六花街として、新橋、赤坂、芳町、神楽坂、浅草、向島が挙げられます。ただし、営業規模、芸者衆、料亭数は変化します。古い統計を現在値として掲載しないでください。
花街は売春防止法で消えたのですか?
売春防止法だけが原因ではありません。花街と赤線は同じ制度ではありません。空襲、再開発、企業接待の変化、料亭需要の減少、地価、後継者不足、芸妓・置屋・検番のネットワーク縮小など、複数の要因があります。
旧花街の建物は残っていますか?
地域によって異なります。旧料亭、見番、石畳、路地、通り名が残る場合がありますが、外観だけで用途や年代を断定できません。住宅地図、建築資料、区史を確認してください。
花街の場所を地図で正確に特定できますか?
一つの点ではなく、年代ごとの営業区域として調べる必要があります。料理屋、待合、置屋の分布は変化します。旧町名、組合区域、住宅地図、営業名簿を重ねてください。
まとめ―46花街をたどると東京の拡大が見える
東京の花街は、遊郭の周囲だけに生まれたのではありません。
日本橋と葭町には、商業、芝居、水運がありました。新橋と赤坂には、官庁、政治、財界がありました。柳橋と向島には、橋、舟、川、桜がありました。神楽坂、湯島、十二社、目黒不動には、寺社、坂、池、滝、行楽がありました。大塚、池袋、五反田、蒲田には、鉄道、工場、住宅地の拡大がありました。芝浦、大森海岸、森ヶ崎、穴守には、港、海浜、鉱泉、参詣がありました。王子、尾久、南千住には、路面電車、鉄道、工場、宿場・市場がありました。
花街は、その地域へ人を呼ぶ装置の近くに生まれました。
江戸の中心商業地から、明治の官庁・鉄道都市へ。関東大震災後の西部・南部郊外へ。工場と住宅が増えた北部・湾岸へ。
46地域の分布は、東京がどの方向へ拡大し、どこに仕事と娯楽が生まれたかを示す都市史の地図です。
現在、花街として活動を続ける地域は少数です。多くの場所では、建物も組合も失われました。
それでも、坂を上るとき。川沿いの道を曲がるとき。寺社門前から駅へ歩くとき。工場跡と細い路地が隣り合う場所を見るとき。
「なぜ、ここに客が集まったのか」と考えれば、消えた花街の輪郭が見えてきます。
46地域は、懐かしい夜の名所一覧ではありません。
芸能、飲食、女性労働、交通、産業、信仰、災害、都市計画が交差した、近代東京のもう一つの地図なのです。
参考文献・資料
- 西村亮彦・内藤廣・中井祐「近代東京における花街の成立」『景観・デザイン研究講演集』No.4、2008年
- 久保有朋「近代花街の成立経緯に関する研究―全国55地区の花街を対象として―」『都市計画報告集』21巻4号、2023年
- 国立国会図書館典拠データ「花街」
- 松川二郎『全国花街めぐり』誠文堂、1929年
- 加藤政洋「都市空間の史層、花街の近代」『10+1』No.43
- 新潟大学都市計画研究室「全国花街リスト」
- 三橋順子「昭和初期(1930年代)に存在した東京の46花街」
- 赤坂芸者衆「花街について」
- 東京発・伝統WA感動「大江戸寄席と花街のおどり」
- 中村英慈・久保有朋・岡崎篤行「花街を構成する建築物に関する分布の変遷―東京・赤坂を対象として―」
- 久保有朋・岡崎篤行「花街建築の分布に関する大正から現在までの変遷―東京・向嶋を対象として―」
- 加藤政洋『花街―遊興空間の近代』
- 三浦展『花街の引力―東京の三業地、赤線跡を歩く』
- 新宿自治創造研究所『新宿のまちの魅力―地域資源と集積のプロセス―』
- 小川一眞『東京の著名芸妓』集合肖像
- 小川一眞「新橋芸妓・清香」
- 小川一眞「葭町芸妓・幾代」
- 「Geishas of Mukōjima」
- Kamemaru2000「Kagurazaka path 2009」

