東京の花街はどこにあった?46地域の成立理由を地図で比較

小川一眞が1892年頃に撮影した東京の芸妓105人の集合肖像

昭和初期の資料によると、東京には46地域の花街がありました。

新橋、赤坂、神楽坂、浅草、向島だけでなく、白山、十二社、大塚、穴守、芝浦、森ヶ崎、王子、尾久、西小山、南千住にも、芸妓、料理屋、待合、置屋が集まる地域がありました。

花街は、橋や舟運、寺社参詣、景勝地、官庁・軍施設、工場・市場、鉄道沿線の住宅地など、人と金が集まる場所の近くに成立しました。

料理屋と宴席の需要が生まれ、その需要へ芸妓を送り出す仕組みが組織されました。

まず結論―46花街は東京の都市化を映す地図だった

江戸以来の商業地では、商人と芝居・宴席の需要が花街を支えました。水辺では、橋、舟運、桜、料理屋が結びつきました。寺社門前では、参詣、縁日、景勝地への行楽が客を集めました。官庁街や軍施設の周辺では、政治家、官僚、軍人、実業家の接待需要が生まれました。鉄道と路面電車が延びると、大塚、池袋、王子、蒲田など新しい郊外市街地にも花街が形成されました。湾岸や工場地帯では、港、漁業、市場、工場、海水浴、鉱泉など地域固有の需要がありました。

46地域を現在の23区へ置き直すと、次の分布になります。

地域帯現在の主な区花街数特徴
都心中央部千代田・中央・港12商業、官庁、劇場、橋、舟運
山手東部新宿・文京・台東11寺社、坂、景勝地、旧市街
城東部墨田・江東・江戸川4隅田川、運河、橋、工業化
南部・湾岸品川・大田・目黒・世田谷11海浜、宿場、工場、私鉄郊外
西部渋谷・中野3坂、郊外行楽、鉄道市街化
北部豊島・北・荒川5鉄道、路面電車、工業、郊外化
合計46

この表は46地域を現在の区別にまとめたものです。花街は旧東京市の中心に加え、南部の海岸・工業地域と鉄道沿線の郊外にも分布しました。

駅、工場、寺社、行楽地が先に発達し、その客を受け入れるために花街が組織された地域もありました。

花街とは何か―遊郭とは同じではない

花街かがいは、芸妓、料理屋、待合、置屋などが集まり、宴席で芸能と接客を提供した地域です。

近代の三業地さんぎょうちでは、一般に料理屋、待合、置屋の三業が組織されました。地域によっては二つの業種を中心にする二業地にぎょうちもありました。

芸妓げいぎは、踊り、唄、三味線、鳴物、会話などで宴席を支えました。所属、出演先、料金、稽古、営業の調整には、検番けんばんと呼ばれる組織が関わる地域もありました。

一方、遊郭は、公的に指定された貸座敷と娼妓しょうぎの営業地域です。

比較花街遊郭
中心となる仕事芸妓による芸能・接客、料理、宴席貸座敷と娼妓による性売買
主な施設料理屋、待合、置屋貸座敷、妓楼
営業組織三業組合・二業組合、検番など貸座敷組合、警察管理など
空間市街地に分散・混在する場合もある指定区域へ集約される場合が多い

芸妓の世界にも、幼少期の奉公、借金、年季、厳しい稽古、移動の制約、警察による営業管理がありました。

公認遊郭だった吉原の制度と町割りは、「吉原遊郭跡を歩く」で詳しく紹介しています。

なぜ「46」なのか―数え方には揺れがある

「東京に46の花街があった」という数は、調査年と定義によって変わります。

ここでは、昭和初期の東京の花街を記録した松川二郎まつかわ じろう『全国花街めぐり』、近代東京の花街成立を扱う研究、後年の地域史整理を照合し、46地域を採用します。

研究や資料によって45、46、あるいは別の数になることがあります。調査年、隣接する営業組合の分け方、二業地を含めるか、公認遊郭内の芸妓組織を含めるか、一時的・小規模な営業地を含めるかが異なるためです。

46地域一覧では、花街・三業地として整理された地域を対象とし、次の公認遊郭6地域を別枠にします。

  • 新吉原
  • 洲崎
  • 品川
  • 板橋
  • 千住柳町
  • 新宿二丁目

これらの遊郭にも芸妓はいました。ここでは、貸座敷・娼妓の指定区域と、料理屋・待合・置屋を中心とする花街を分けて数えます。

洲崎を46一覧から別枠にする理由は、「洲崎パラダイス跡を歩く」でも確認できます。

46一覧の「品川海岸」と、別枠の遊郭「品川」は、時代・営業組織・対象範囲が異なります。

東京46花街・完全一覧

以下の46地域を一覧にしました。

現在地は、旧町名や営業区域を現在の行政区画へ置き直した目安です。花街は料理屋、待合、置屋が分布する地域で、境界と成立要因は時期によって変わりました。表には最も特徴的な条件を示しています。

No.花街名現在地の目安主な成立類型・背景
1富士見町(九段)千代田区富士見・九段周辺官庁・学校・軍施設、都心接待
2神田(講武所)千代田区神田周辺商業・軍施設・学生街
3日本橋中央区日本橋周辺江戸以来の商業・問屋・舟運
4葭町中央区日本橋人形町周辺芝居・商業・水運・江戸芸能
5新富町中央区新富周辺新富座など劇場・商業
6新橋中央区銀座八丁目周辺官庁・財界・政治・商業
7新川(霊岸島)中央区新川周辺河岸・廻船・酒問屋・水運
8烏森(新橋南地)港区新橋駅烏森口周辺鉄道駅・商業・飲食
9芝神明港区芝大門周辺芝大神宮門前・増上寺・商業
10芝浦港区芝浦周辺港湾・運河・工業・埋立地
11麻布港区西麻布・六本木周辺軍施設・邸宅・都心接待
12赤坂港区赤坂周辺官庁・政界・軍施設・料亭
13牛込神楽坂新宿区神楽坂周辺寺社・外濠・坂・商業
14四谷荒木町(津之守)新宿区荒木町周辺池・滝・景勝地・料亭
15四谷大木戸新宿区四谷四丁目・新宿一丁目周辺甲州街道・市街地境界・飲食
16十二社新宿区西新宿四丁目周辺池・滝・熊野神社・郊外行楽
17白山文京区白山周辺白山神社・住宅地・市電
18駒込神明文京区本駒込周辺神社門前・郊外住宅地
19湯島天神文京区湯島周辺天神門前・上野・商業
20根岸台東区根岸周辺文人・別邸・駅・飲食
21下谷本郷(池之端)台東区池之端周辺不忍池・上野・料亭・行楽
22浅草台東区浅草周辺浅草寺・芝居・観光・興行
23柳橋台東区柳橋周辺神田川・隅田川・舟運・料亭
24向島墨田区向島周辺隅田川・桜・寺社・料亭
25深川仲町江東区門前仲町・富岡周辺富岡八幡宮・水運・商業
26城東(天神裏・亀戸)江東区亀戸周辺亀戸天神・鉄道・工業
27平井江戸川区平井周辺鉄道駅・工場・郊外市街化
28西小山品川区小山・目黒区原町周辺私鉄駅・新興住宅地
29五反田品川区東五反田周辺鉄道駅・工場・商業
30品川海岸品川区北品川・南品川周辺海岸・宿場周辺・料理屋
31大井品川区大井周辺鉄道・海岸・工場・住宅
32大森海岸品川区南大井・大田区大森北周辺海浜行楽・料亭・鉄道
33大森新地大田区大森北周辺駅・商業・海岸部市街化
34森ヶ崎大田区大森南周辺鉱泉・海浜行楽・工業
35穴守大田区羽田周辺穴守稲荷・海浜・参詣・行楽
36蒲田大田区蒲田周辺鉄道・工場・映画産業・商業
37下目黒(目黒不動)目黒区下目黒周辺目黒不動門前・行楽
38玉川世田谷区玉川周辺多摩川・行楽・私鉄郊外
39円山町渋谷区円山町周辺花街・坂・渋谷駅・娯楽
40中野新橋中野区弥生町周辺神田川・郊外住宅地・料亭
41新井薬師中野区新井周辺寺院参詣・私鉄・郊外行楽
42池袋豊島区池袋周辺鉄道ターミナル・郊外市街化
43大塚豊島区北大塚・南大塚周辺鉄道・市電・三業地計画
44王子北区王子周辺王子稲荷・飛鳥山・工業・鉄道
45尾久荒川区東尾久・西尾久周辺工業・温泉・路面電車
46南千住荒川区南千住周辺宿場周辺・鉄道・工業・市場

花街の境界は時期によって変化し、営業組合の範囲と一般に呼ばれた地域名が一致しない場合があります。

都心・商業・政治型―新橋、赤坂、葭町

江戸以来の問屋、劇場、河岸、商店、官庁、新聞社、鉄道駅が近接し、商談と宴席を必要とする人々が集まったことが基盤です。

新橋

新橋花街の中心は、現在の新橋駅そのものではなく、銀座八丁目周辺にあります。明治政府の官庁街、築地、銀座、新橋駅、新聞社、実業界に近く、政治・財界の宴席を受け入れる格式ある花街として発展しました。

葭町

葭町よしちょうは、現在の日本橋人形町周辺です。江戸の芝居町、商業、河岸、水運と結びつき、芳町とも表記されます。現在の東京六花街では「芳町」の名称が使われています。

赤坂

赤坂は、霞が関、永田町、軍施設、官邸、邸宅地に近く、政界・官界・軍・実業界の接待需要と結びつきました。現在も東京六花街の一つです。

麻布花街を含む街の変化は、西麻布の歴史散歩でもたどれます。

水辺・橋・舟運型―柳橋、向島、深川

東京の花街は、川、堀、橋、海岸沿いにも分布しました。水路は境界であると同時に交通路でした。

柳橋

柳橋は、神田川が隅田川へ合流する場所にあります。船宿から舟を出し、隅田川の料亭や遊興地へ向かう動線が花街を支えました。舟は人、料理、芸妓を運ぶ交通手段でした。

向島

向島むこうじまは、隅田川東岸の桜、牛嶋神社、三囲神社、百花園などの行楽と結びつきました。川沿いの料亭、庭園、花見、舟運が重なり、都心から近い郊外遊興地として発展します。

1954年に花見客へ茶を振る舞う向島の芸者たち
花見客に茶を振る舞う向島の芸者たち、1954年。撮影者不詳/Wikimedia Commons/Public Domain。

1954年の写真には、花見客へ茶を振る舞う向島の芸者が写っています。戦災後に営業と芸能を再建した時期の姿です。

深川仲町

深川仲町は、富岡八幡宮の門前、水運、木場、商業と結びつきました。

芝浦・新川・霊岸島

霊岸島れいがんじまや新川は、廻船、河岸、酒問屋などの商業地でした。芝浦は近代の港湾・工業地域です。同じ水辺型でも、向島の行楽、柳橋の船宿、新川の商業、芝浦の港湾では、客層と成立時期が違います。

寺社・門前・景勝地型―神楽坂、湯島、十二社、目黒不動

寺社へ人が集まると、茶屋、料理屋、土産物店、宿が生まれます。池、滝、桜、眺望があれば、参詣と行楽を組み合わせた遊興地になります。

神楽坂

神楽坂は、毘沙門天善國寺、赤城神社、外濠、坂道、横丁、商店街が重なる地域です。坂の表通りから横道へ入ると、細い路地と段差が続きます。料理屋、待合、置屋が小規模な路地沿いに分布する花街の空間が形成されました。

2009年の神楽坂界隈に残る石畳の細い路地
神楽坂界隈の石畳路地、2009年。撮影:Kamemaru2000/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

現在の神楽坂の石畳は、戦災、道路整備、舗装、建て替えを経ています。坂と細街路の構成は、花街の空間を示す手がかりとして残っています。

坂道、石畳路地、現在の花街は、神楽坂歴史散歩ガイドでも紹介しています。

湯島天神

湯島天神は、参詣、上野・御徒町の商業、池之端の料亭文化と近接しました。江戸・近代の寺社は、信仰に加えて縁日、見世物、飲食、行楽を集める都市の公共空間でした。

十二社

十二社じゅうにそうは、現在の西新宿四丁目、熊野神社周辺です。かつては池と滝があり、江戸近郊の景勝地として茶屋・料理屋が集まりました。近代には花街が発展しましたが、淀橋浄水場、高層ビル、道路整備によって景観は大きく変わりました。

十二社池と西新宿の花街跡は、西新宿・中野坂上の歴史散歩で現地の変化をたどれます。

白山・駒込神明

白山神社、駒込の神社・寺院、郊外住宅地、市電の交通が小規模な花街を支えました。白山花街と白山神社は本郷〜白山ナイトウォーク、白山・駒込神明・湯島周辺の旧市街は根津・白山の歴史散歩でも確認できます。

下目黒・新井薬師・穴守

目黒不動、新井薬師、穴守稲荷は、参詣と行楽を集めました。穴守は羽田の海浜行楽とも結びつき、戦前の海岸線、穴守稲荷の移転、飛行場拡張によって位置と景観が変化しました。

鉄道・郊外市街化型―大塚、池袋、五反田、蒲田

明治末から昭和初期、東京の人口は旧市街の外へ広がりました。鉄道駅の周辺には、商店街、工場、住宅、映画館、飲食店が集まり、新しい宴席需要が生まれます。

大塚

大塚は、山手線と市電の交通結節点として発展しました。駅北側には三業地が形成され、料亭、待合、置屋が集まりました。郊外の新しい花街は、都市人口の移動に合わせて営業組織をつくったものです。

駅北側の痕跡は、大塚の歴史散歩でも紹介しています。

池袋

池袋は、鉄道ターミナル化、駅前商業、住宅地拡大を背景に花街が成立しました。戦前の花街、戦後の闇市、現在の歓楽街・ホテル街は、時代ごとに位置と系譜が異なります。

池袋北側の市街地形成は、上池袋の歴史散歩と比較できます。

五反田・西小山

五反田は山手線、工場、商業地の発展と結びつきました。西小山は私鉄沿線の新興住宅地です。駅前にも花街が形成され、芸妓を伴う宴席は都心以外にも広がりました。

蒲田・大森・大井

蒲田、大森、大井は、鉄道、工場、住宅、海岸行楽が重なる南部市街地です。蒲田では映画撮影所に加え、工場経営者、商店、鉄道利用者、地域の宴席需要が花街を支えました。

王子・尾久・南千住

王子、尾久おぐ、南千住は、工場、鉄道、路面電車、宿場・市場などが近接しました。王子・尾久・大塚は都電荒川線の歴史散歩、南千住は北千住・南千住の歴史散歩とあわせて読むと、郊外市街化の違いを比較できます。

湾岸・海浜・工業型―芝浦、大森海岸、森ヶ崎、穴守

東京湾岸の花街は、港、工場、漁業、市場、鉱泉、海水浴、参詣、鉄道など、地域ごとに異なる需要を背景に成立しました。

大森海岸

大森海岸は、海水浴、海苔、料亭、鉄道によって、都心から出かける行楽地になりました。現在は埋立てと道路整備で海岸線が遠くなっています。当時の海岸線は古地図で確認できます。

森ヶ崎

森ヶ崎もりがさきには鉱泉・温泉施設があり、療養と行楽の客を受け入れました。鉱泉場が花街の集客基盤でした。

穴守

穴守あなもりは、穴守稲荷への参詣、海浜行楽、鉄道が結びついた地域でした。飛行場・空港建設と戦後の接収で街の位置と景観は大きく変わりました。

芝浦

芝浦では、埋立て、港湾、工場、倉庫、交通によって都市活動が集中し、接待と宴席の需要が生まれました。

関東大震災が花街の分布を変えた

1923年の関東大震災は、東京東部の花街かがい、遊郭、商業地に大きな被害を与えました。

料理屋、待合、置屋、芸妓の住居が焼失すると、営業は別の場所へ移るか、仮店舗で再開する必要がありました。同時に、震災後の人口は西部・南部へ移動しました。

渋谷、新宿、池袋、大塚、五反田、蒲田などの駅周辺が成長し、都心の宴席需要だけでなく、郊外の商人、工場経営者、地域団体を相手にする花街が発展します。

営業者と芸妓の移動、新興市街地への人口移動、道路・区画整理、鉄道と百貨店の成長、郊外住宅地の拡大が、花街の分布を組み替えました。

東京大空襲と戦後復興

1945年の空襲では、浅草、柳橋、向島、深川など多くの花街かがいが焼失しました。

戦後、焼け跡で料理屋・置屋が再開した地域もあれば、住宅、飲食店、旅館、バー、事務所へ転換した地域もあります。

花街の芸妓営業と赤線の売春営業は異なる制度でした。花街の衰退には、次の要因が重なりました。

  • 空襲による建物・顧客基盤の喪失
  • 料亭接待の変化
  • 企業の交際費・宴会文化の変化
  • キャバレー、クラブ、バーなど新業態との競合
  • 地価上昇と再開発
  • 後継者、芸妓、地方の不足
  • 置屋、料亭、検番のネットワーク縮小
  • 女性の職業選択の変化
  • 道路拡幅と町名・街区の再編

現在まで続く東京六花街

現在、東京六花街として一般に挙げられるのは、次の六地域です。

  • 新橋
  • 赤坂
  • 芳町
  • 神楽坂
  • 浅草
  • 向島

花街を機能させるには、芸者衆、置屋、料亭・料理屋、演奏家、師匠、着付けなどの専門職、見番・組合、宴席を依頼する客、新人を育てる仕組み、地域の祭礼・公演・観光との関係が必要です。

建物が建て替わっても、芸者衆、料亭、組合、稽古、公演が続けば、花街文化は形を変えて継承されます。東京六花街も、戦災、再開発、客層の変化、公演活動、観光対応を経て現在の形になりました。

消えた花街には何が残っているのか

廃業した花街かがいでは、建築、路地、組合施設、通り名、寺社や駅などに痕跡が残る場合があります。

路地と街区

待合、置屋、小料理屋が小さな区画へ集まった地域では、細い路地、袋小路、階段が残る場合があります。花街跡かどうかは、住宅地図や営業名簿と照合します。

検番・組合の建物

見番、検番、三業組合の事務所が残る地域があります。現在の用途、建築年代、移築の有無は資料で確認します。

料亭・旅館建築

大広間、玄関、庭、離れを持つ建物が、住宅、事務所、飲食店として残る場合があります。旧料亭・旧待合の確認には、建築台帳、住宅地図、地域史を用います。

通り名・商店会名

三業通り、見番横丁などの名称が残ることがあります。通称は範囲が曖昧な場合があるため、成立年代とあわせて確認します。

寺社・池・川・駅

建物が失われても、花街を成立させた集客装置は残る場合があります。神楽坂の坂、十二社の熊野神社、目黒不動、向島の隅田川、大塚駅、王子の飛鳥山などです。

花街の痕跡には、建物だけでなく、客を集めた地形と施設も含まれます。

古地図で46地域を探す方法

46地域の範囲は、次の資料を年代順に重ねて確認します。

  1. 明治・大正期の地形図
  2. 東京市・各区の市街図
  3. 火災保険特殊地図
  4. 商工名鑑・料理屋・待合・置屋名簿
  5. 警視庁統計・三業組合資料
  6. 戦前・戦後の住宅地図
  7. 航空写真
  8. 現在の地図

検索語は、花街名、旧町名、三業、二業、見番・検番、待合、置屋、料理屋、芸妓屋、組合です。現在の駅名だけで探すと、旧町名の資料を見落とします。

古地図を現在地と重ねる手順は、古地図まるわかりガイドでも解説しています。

街歩きで比較したい六つのコース

形成類型は、次の六つの組み合わせで比較できます。

神楽坂と十二社

同じ新宿区でも、神楽坂は外濠・寺社・商業・坂の花街、十二社は池・滝・郊外行楽の花街です。

白山と大塚

白山は神社・旧市街、大塚は鉄道・市電・新興三業地です。

柳橋と向島

両方とも隅田川と舟運に関係しますが、柳橋は橋・船宿、向島は桜・寺社・郊外料亭の性格が強くなります。

赤坂と新橋

政治・財界型として似ていますが、官庁、銀座、鉄道駅、料亭街の位置関係が異なります。

大森海岸と穴守

海浜行楽型でも、大森は海水浴・鉄道・料亭、穴守は参詣・海浜・私鉄の組み合わせです。

大塚・王子・尾久

鉄道・市電・工業・住宅地の拡大とともに形成された北部郊外型を比較できます。

ほかの地域も歩き比べるなら、東京歴史散歩おすすめコース集をご覧ください。

街歩きで守りたいこと

旧花街の多くは、現在は住宅、事務所、飲食店、学校、寺社、ホテルなどとして使われています。

  • 住宅や営業中の店舗をのぞき込まない
  • 人物、玄関、窓、店内を無断撮影しない
  • 現在の料亭や芸者衆へ、取材目的を隠して接触しない
  • 旧料亭と断定できない建物をSNSで特定しない
  • 地域住民を「花街の人」と決めつけない
  • 芸妓と娼妓を混同しない
  • 花街を売春街の言い換えにしない
  • 一方で女性の労働や管理を美化しない
  • 夜間に一人で細い路地へ入り込まない
  • 寺社、墓地、文化施設では静かに見学する

よくある疑問

東京には本当に46の花街があったのですか?

本記事では、昭和初期の記録と後年の研究をもとに46地域を採用しています。ただし、調査年、二業地の扱い、隣接地域の分け方、公認遊郭内の芸妓組織を含めるかによって、45や別の数になる資料もあります。46は、時期と定義を明示して使う数字です。

花街と遊郭は同じですか?

同じではありません。花街は芸妓、料理屋、待合、置屋を中心とする宴席・芸能の地域です。遊郭は貸座敷と娼妓を公的に指定・管理した地域です。実際の都市では近接・混在する場合がありますが、制度を区別する必要があります。

なぜ吉原や洲崎が46一覧に入っていないのですか?

本記事では、公認遊郭6地域を別枠にしているためです。吉原や洲崎にも芸妓はいましたが、貸座敷・娼妓を中心とする遊郭の制度と、三業地を中心とする花街を同じ一覧へ入れない方針です。

現在も残る東京の花街はどこですか?

一般に東京六花街として、新橋、赤坂、芳町、神楽坂、浅草、向島が挙げられます。ただし、営業規模、芸者衆、料亭数は変化します。古い統計を現在値として掲載しないでください。

花街は売春防止法で消えたのですか?

売春防止法だけが原因ではありません。花街と赤線は同じ制度ではありません。空襲、再開発、企業接待の変化、料亭需要の減少、地価、後継者不足、芸妓・置屋・検番のネットワーク縮小など、複数の要因があります。

旧花街の建物は残っていますか?

地域によって異なります。旧料亭、見番、石畳、路地、通り名が残る場合がありますが、外観だけで用途や年代を断定できません。住宅地図、建築資料、区史を確認してください。

花街の場所を地図で正確に特定できますか?

一つの点ではなく、年代ごとの営業区域として調べる必要があります。料理屋、待合、置屋の分布は変化します。旧町名、組合区域、住宅地図、営業名簿を重ねてください。

参考文献・資料

  1. 西村亮彦・内藤廣・中井祐「近代東京における花街の成立」『景観・デザイン研究講演集』No.4、2008年
  2. 久保有朋「近代花街の成立経緯に関する研究―全国55地区の花街を対象として―」『都市計画報告集』21巻4号、2023年
  3. 国立国会図書館典拠データ「花街」
  4. 松川二郎『全国花街めぐり』誠文堂、1929年
  5. 加藤政洋「都市空間の史層、花街の近代」『10+1』No.43
  6. 新潟大学都市計画研究室「全国花街リスト」
  7. 三橋順子「昭和初期(1930年代)に存在した東京の46花街」
  8. 赤坂芸者衆「花街について」
  9. 東京発・伝統WA感動「大江戸寄席と花街のおどり」
  10. 中村英慈・久保有朋・岡崎篤行「花街を構成する建築物に関する分布の変遷―東京・赤坂を対象として―」
  11. 久保有朋・岡崎篤行「花街建築の分布に関する大正から現在までの変遷―東京・向嶋を対象として―」
  12. 加藤政洋『花街―遊興空間の近代』
  13. 三浦展『花街の引力―東京の三業地、赤線跡を歩く』
  14. 新宿自治創造研究所『新宿のまちの魅力―地域資源と集積のプロセス―』
  15. 小川一真『東京の著名芸妓』集合肖像
  16. 小川一真「新橋芸妓・清香」
  17. 小川一真「葭町芸妓・幾代」
  18. 「Geishas of Mukōjima」
  19. Kamemaru2000「Kagurazaka path 2009」