徳丸東遺跡の歴史|1983年の発掘と方形周溝墓が伝える弥生・古墳時代

板橋区徳丸六丁目の徳丸東遺跡は、昭和58年(1983)の発掘調査で弥生時代後期から古墳時代の住居跡や墓が見つかった遺跡です。区内で初めて方形周溝墓が調査された場所として知られ、徳丸の台地に暮らした古代の人々の集落と埋葬の歴史を伝えています。

共同住宅建設に伴う1983年の発掘

遺跡の所在地は板橋区徳丸6丁目33番付近です。昭和58年、共同住宅の建設に先立って発掘調査が実施されました。縄文時代から平安時代までの遺構や遺物が確認され、特に弥生時代後期から古墳時代前期と古墳時代後期の資料が充実しています。

現代の建物の下に残された古い地層を掘り進めることで、地表から見えなくなった集落の広がりや土地利用を調べられます。出土した土器などの年代を比較すると、同じ台地がどの時代に使われたかが分かります。

方形周溝墓とは

方形周溝墓は、墓の周囲に四角形の溝を巡らせた埋葬施設です。中央部に遺体を葬ったと考えられ、弥生時代後期から古墳時代にかけて関東各地でも造られました。墳丘など地上の部分が削られていても、地下に残った周囲の溝から墓の形を知ることができます。

徳丸東遺跡では方形周溝墓と住居跡が発見されました。墓と暮らしの場所の位置関係は、集落を構成した人々がどこに住み、どの場所を葬送に用いたかを調べる手がかりです。

古墳時代後期の遺構も残る

徳丸東遺跡の発掘では、方形周溝墓が造られた時期より後の古墳時代後期にも人々がこの場所を利用していたことが確認されました。古墳時代は数百年に及ぶため、前期と後期では土器の形や集落の姿も変化しています。

近隣の赤塚や西台でも、弥生時代から古墳時代にかけての住居跡や墓が見つかっています。徳丸東遺跡の発掘成果は、こうした武蔵野台地北側の遺跡を比較する資料です。

徳丸北野神社と遺跡の位置

遺跡の所在地に近い徳丸北野神社には、現在も国指定の「板橋の田遊び」が伝わります。ただし、古代の遺跡と現在の神社の行事は時代が大きく離れ、直接のつながりを示すものではありません。それぞれを通して、同じ徳丸の土地で異なる時代の人々が暮らしたことを知ることができます。

徳丸・高島平周辺の歴史と文化財では、江戸時代の村や徳丸ケ原への変化もまとめています。発掘地点は住宅地に含まれるため、遺構を常時見学できる史跡公園ではありません。

参考資料

  • 板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』「徳丸東遺跡」