東京大学医学部の近代建築|南研究棟・東研究棟・医学部本館を歩く

東京大学本郷キャンパスの医学部地区には、関東大震災の前後から昭和初期にかけて建てられた病院・研究教育施設が残ります。南研究棟は1925年、東研究棟は1928年、医学部1号館は1931年、医学部2号館(本館)は医学部の公式沿革で1936年竣工と記録されています。

設計に携わった内田祥三と岸田日出刀は、講堂や校舎と共通する構造技術を使いながら、診療科ごとの用途に応じて異なる外観を採用しました。赤煉瓦の南研究棟と、震災後の復興計画に沿った研究棟・本館を比較できます。

キャンパスの建築史全体は東京大学本郷キャンパス建築ガイド、内田祥三の設計思想は内田ゴシック建築完全ガイドに掲載しています。

医学部地区の成り立ち――東京医学校から東京帝国大学医学部へ

1877年、東京医学校は東京開成学校と統合して東京大学となり、医学部が設置されました。1886年に帝国大学医科大学、1897年には東京帝国大学医科大学となり、1919年に学部制のもとで医学部へ移行しました。

本郷の医学部地区には、医学教育のための講義室と研究室、病院の診療棟や病室が隣接して配置されました。病院と医学部で共用する地域には、時期の異なる建築が並びます。

関東大震災と医療施設――1923年をまたぐ建設

1923年9月1日の関東大震災では東京帝国大学の煉瓦造校舎などが大きな被害を受け、営繕課長・内田祥三を中心に復興計画が進みました。医学部附属病院の南研究棟は、その震災時に建設途中だった施設です。

1923年の地震後、本郷構内では多くの建物が火災で焼失しましたが、病院地区は延焼を免れました。建設途中だった南研究棟の外装には、震災前の計画に従って赤煉瓦が使われました。その後のキャンパス復興では、耐震性を重視した鉄筋コンクリート造とスクラッチタイル仕上げの校舎が広がります。

南研究棟――1925年の耳鼻咽喉科・整形外科病室

南研究棟は1925年に完成しました。東京大学建築学専攻が保管する内田祥三資料には、当初の名称を「東京帝国大学医学部附属医院耳鼻咽喉及整形外科病室」と記録し、共同設計者として岸田日出刀を挙げています。

東大病院の広報資料では、岸田が全面的に計画した建物と説明し、オランダのアムステルダム派の建築との類似を指摘しています。外観では、赤煉瓦の壁面と窓まわりの凹凸、曲面と直線を組み合わせた造形が特徴です。

竣工当初は耳鼻咽喉科と整形外科の医局として使われ、1934年には北側に精神科病室が入り、当時の北側の窓には鉄格子が設けられていました。1936年には玄関ポーチ上に南講堂が増築され、1965年には産婦人科、その後は老年科の医局が入りました。玄関前には竣工時に植えられたプラタナスが残り、病院では「ヒポクラテスの木」とも呼ばれています。

南研究棟の改修――病棟から講堂・博物館機能へ

南研究棟では2019年までの改修によって、1階に健康と医学の博物館やアントレプレナーラボ、3階に鉄門臨床講堂が整備されました。

東研究棟――1928年の精神科病室

東研究棟は1928年の建築です。内田祥三資料では当初の名称を「東京帝国大学医学部附属医院精神科病室」とし、設計者を内田祥三と記録しています。東大病院が2005年に発行した『東大病院だより』も、南研究棟を1925年、東研究棟を1928年の建物として整理しています。

東大病院の2005年の建物年表には、東研究棟と同じ1928年に第1研究棟、翌1929年に内科研究棟が完成したと記されています。南研究棟の竣工から4年の間に、精神科を含む診療・研究の施設が複数増えました。

医学部1号館――1931年、研究・教育施設の整備

医学部の公式沿革では、医学部1号館は1931年2月に竣工しています。内田祥三資料でも同時期の建物として記録されています。医学教育と研究を行う施設として使用され、現在は東京大学文書館の本郷本館などが入る建物です。

2000年代以降には周辺で医学部教育研究棟の整備も進み、2002年と2005年に新しい施設の工事が完成しました。同じ地区で、戦前からの校舎と新しい研究施設が並んでいます。

医学部2号館・本館――1936年の完成と資料の年代差

東京大学医学部の公式沿革では、現在の医学部2号館(本館)は1936年11月竣工です。東京大学総合研究博物館の資料も、1936年竣工の医学部本館小講堂を紹介しています。

一方、内田祥三資料には医学部2号館を1938年の建築として整理した一覧があり、新営工事の写真帳には1934年4月から1938年11月までの工事期間が記録されています。資料間に年代の違いがあるため、建物の完成年と関連工事の期間を区別して扱う必要があります。

本館小講堂は片流れの階段教室で、かつて使われた机と座席の一部は東京大学総合研究博物館の展示施設インターメディアテクへ移されました。室内の家具は歴史的な医学教育空間を知る資料になっています。

管理・研究棟とアーケード――医学教育を表したテラコッタ

現在の医学部附属病院の管理・研究棟は、内田祥三資料では1934年の「事務室・薬局・外来患者診療所」として整理されています。これに対し、構内遺跡調査研究年報には1931年着工・1938年竣工という別の記録があります。

建物のアーケード入口上部には、医学の診断・治療・予防や長崎時代の医療史を主題とするテラコッタのレリーフが配置されています。大学建築の装飾として、医療の専門領域に関わる図像を用いた例です。

近代医学部建築の年表

年 建物 当初の役割・記録
1925 南研究棟 耳鼻咽喉科・整形外科の病室
1928 東研究棟 精神科病室
1931 医学部1号館 医学部研究教育棟
1934~38 管理・研究棟の工事記録 事務・薬局・外来診療
1936 医学部2号館(本館) 医学部公式沿革の竣工年
2019まで 南研究棟の改修 博物館・講堂機能

医学部地区を見て歩く

南研究棟の赤煉瓦外壁と窓の形、東研究棟の外観を比べてから、医学部1号館と2号館を確認します。竣工年が異なる建物を順に見ていくと、大学病院で必要とされた病室・診療施設・講義室・研究室が段階的に整備された様子をたどれます。

病院建物の内部は診療・研究・教育のために利用されています。外観を観察する際も、病院や大学の立入制限、診療動線、掲示された案内に従ってください。

参考資料