圧磨機圧輪記念碑と招魂之碑|板橋火薬製造所の機械と1902年爆発事故

板橋区加賀一丁目の加賀西公園には、陸軍板橋火薬製造所に関わる二つの石碑があります。大正11年(1922)に建立された「圧磨機圧輪記念碑」と、明治35年(1902)の爆発事故で亡くなった人々を追悼する「招魂之碑」です。同じ公園に残る二つの文化財は、近代火薬工業の技術と、製造に携わった人々の歴史を伝えています。

ベルギーから導入された圧磨機

幕末の慶応元年(1865)、幕臣の澤太郎左衛門は西洋の火薬製造技術を学ぶためヨーロッパへ渡り、ベルギーから圧磨機を購入しました。圧磨機は黒色火薬の原料を砕き、混ぜ合わせる機械です。明治9年(1876)に操業を始めた板橋の官営火薬製造所でも利用されました。

圧磨機の運転には石神井川の水力が使われました。江戸時代の加賀藩前田家下屋敷にあった水車など、水を利用する土地の条件が、近代の製造設備に引き継がれました。

1922年に実物の圧輪を記念碑へ

火薬の製造方式が変わると、黒色火薬の製造に使われた圧磨機は役割を終えました。大正11年(1922)、陸軍省は澤の功績をたたえるため、実際に使用されていた圧輪を転用して記念碑を建てました。

碑に使われた円形の機械部品は、単なる飾りとして作られた模型ではなく、工場で使われた実物です。機械そのものの形と材料から、近代工業が導入された時代の設備を知ることができます。圧磨機圧輪記念碑は平成8年(1996)3月8日に板橋区指定記念物(史跡)となりました。

1902年7月24日の無煙火薬爆発事故

明治35年(1902)7月24日、板橋火薬製造所で無煙火薬の爆発事故が発生しました。板橋区の文化財資料では、消火活動の中で技手1名と職工9名の計10名が死亡したと記録されています。

当時の無煙火薬は新しい種類の火薬で、製造や保管には危険が伴いました。火薬工場では生産を担う職工や技術者が働き、事故が起きればその人々が被害を受けました。工場の技術革新の陰で亡くなった人々の記録は、近代産業を考えるうえで欠かせないものです。

1903年に建立された招魂之碑

事故の翌年、明治36年(1903)に「板橋火薬製造所有志一同」が招魂之碑を建立しました。碑の表面には「招魂之碑」の文字が、背面には犠牲者を追悼する銘文が刻まれています。火薬製造所の関係者が、亡くなった同僚を記憶に残すために建てた石碑です。

碑は粘板岩製で、高さは約239センチメートルです。加賀西公園で圧磨機圧輪記念碑とともに見ることができます。事故が起きた1902年と、慰霊碑が建立された1903年は異なる年で、区の案内でも区別して記されています。

加賀西公園で見る近代産業の記録

加賀西公園は板橋区加賀1丁目10番にあります。二つの記念碑に近い加賀公園や旧火薬製造所の史跡には、江戸時代の庭園から工場への転換を伝える遺構が残ります。工場施設の全体像は陸軍板橋火薬製造所跡の歴史で紹介しています。

参考資料