板橋区大門にある赤塚諏訪神社は、室町時代の赤塚城主・千葉自胤(ちばよりたね)に関わる創建伝承を持つ神社です。稲作の一年を所作と唱え言で表す「田遊び」が伝承され、徳丸北野神社の行事とともに国の重要無形民俗文化財「板橋の田遊び」に指定されています。
赤塚城主・千葉自胤と神社の創建伝承
神社の創建は長禄年間(1457~1460)と伝えられています。赤塚郷を領した千葉自胤が信州の諏訪大社から分霊を迎え、赤塚城の鬼門除けとして祀ったとされます。こうした由緒は、室町時代後期の武士による地域支配と、神社への信仰の結び付きを物語ります。
江戸時代には下赤塚村の鎮守として人々の祭礼を支えました。赤塚の村では稲作とともに暮らしが営まれ、神社の年中行事にも豊作と家々の繁栄を願う意味が重ねられました。
田遊びは豊作を先取りして祝う神事
赤塚諏訪神社では毎年2月13日の夜に田遊びが奉納されます。田遊びは、田を耕し種をまき、苗を育てて収穫するまでの農作業を言葉と動作で表し、これから始まる一年の豊作をあらかじめ祝う「予祝」の行事です。
神輿渡御に続き、獅子が舞う「槍突き」や、天狗が幣と錫杖を持って地鎮の舞を行う「天狗御鉾の舞」などが演じられます。境内では旧年の災厄を祓い、新年の安全や繁栄を願う「お篝り」も行われます。神社の境内に設けた舞台で、稲作の工程と地域の神事が一体になって受け継がれています。
徳丸北野神社の田遊びとあわせた「板橋の田遊び」は、昭和51年(1976)5月4日に国の重要無形民俗文化財に指定されました。現在も両地域に保存会があり、所作や唱え言、用具が継承されています。
春祭の獅子舞と祭礼用具
赤塚諏訪神社には獅子舞も伝わり、春祭では神社と八幡神社を舞台に奉納されます。田遊びと獅子舞はそれぞれ異なる内容を持つ行事で、用いられる道具も文化財として保存されています。祭りの動作だけでなく、装束や祭具が地域の信仰を伝える資料になっています。
夫婦イチョウ、こぶケヤキ、富士塚
境内には「諏訪神社の夫婦イチョウ」があり、離れた旧参道入口には「諏訪神社のこぶケヤキ」が残っています。こぶケヤキは幹のこぶにちなんで「乳ノ木様」と呼ばれ、乳授けを願う信仰の対象となりました。
境外の浅間神社は明治初期に築かれた富士塚で、江戸から明治にかけて広がった富士信仰に関わります。田遊びの際に神輿が渡御する場所でもあり、農耕の神事と富士講の信仰が同じ地域に重なっていました。
所在地と参考資料
所在地は板橋区大門11-1です。田遊びの実施案内や見学に関する注意事項は年度によって異なる場合があるため、訪問前に区の情報を確認してください。赤塚の寺社や中世の史跡は、赤塚・成増周辺の歴史と文化財で紹介しています。
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