板橋区徳丸六丁目の北野神社には、幕末から昭和期に奉納された絵馬16面と扁額20面が伝わっています。「徳丸北野神社絵馬・扁額一式」は、嘉永3年(1850)から昭和33年(1958)までの資料群です。村人たちが各地の霊山や寺社を訪ねた記録に加え、近隣の村々と俳句を楽しんだ交流の跡も残されています。
徳丸本村・脇村の鎮守に残る36面
徳丸北野神社は、江戸時代の徳丸本村・脇村の鎮守です。毎年2月の田遊びや5月の獅子舞が知られていますが、祭礼以外にも多くの人々が絵馬や扁額を奉納してきました。現在は絵馬16面と扁額20面が文化財として保存されています。
絵馬は神社に祈願や感謝を伝えるための絵入りの板です。扁額には文字や絵が記され、神社への寄進や催しの記念として奉納されました。年号と奉納者の名前が残る資料は、地域で続いた信仰や人々の交流を具体的に伝えます。
伊勢・榛名・大山・江ノ島への旅
絵馬の中には、徳丸村の講中が各地へ参詣した記念に納めたものがあります。行き先には伊勢神宮、榛名山、相模国の大山、江ノ島、出羽三山、成田山などが見られます。講中とは参詣や祈祷を共同で行う人々の集まりで、旅の費用を積み立てたり、代表者を送り出したりしました。
現在の徳丸から遠く離れた場所の名前が絵馬に残るのは、農村の住民が信仰を通して広い地域とつながっていたためです。参詣先の違いから、伊勢信仰、山岳信仰、成田山の不動明王信仰など、さまざまな祈りが村にあったことをたどれます。
1850年の「四季混雑発句合」
嘉永3年(1850)に俳句の集まりが奉納した扁額「四季混雑発句合(しきこんざつほっくあわせ)」は、区内で唯一確認されている発句会の扁額です。発句の作者は徳丸だけでなく、下赤塚、四葉、志村、小豆沢、十条、板橋、練馬、白子、新倉など広い地域に及びます。
発句は俳句につながる五・七・五の詩で、江戸時代には町人や村人にも親しまれました。徳丸北野神社に納められた扁額は、地域を越えて作品を寄せ合った人々の名前を伝えています。寺社への参詣と同じように、文芸も村々の交流の場になっていました。
明治末年の境内図が描く神社の姿
絵馬の中には、明治末年に徳丸周辺を描いた洋画家・菱坂による神社の境内図もあります。神社の建物や境内の風景は、後の修理や周辺の開発によって変化することがあります。絵に残された景観は、当時の神社の姿を調べる資料です。
1991年の指定と見学
「徳丸北野神社絵馬・扁額一式」は平成3年(1991)3月8日に板橋区指定有形文化財(歴史資料)となりました。奉納年代が100年以上にわたり、参詣先、俳句の作者、地域の風景などが記録されている点に価値があります。
神社の所在地は板橋区徳丸6丁目34番3号です。絵馬や扁額が常時公開されているとは限らないため、資料の拝観については神社や板橋区の文化財担当部署に確認してください。梅樹堂師匠大野時長の碑には同じ神社で営まれた寺子屋の記録が残り、徳丸北野神社の田遊びには農耕儀礼の伝承が続いています。
参考資料
- 板橋区「徳丸北野神社絵馬・扁額一式」文化財解説カード
- 板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』

