東京大学本郷キャンパス建築ガイド|赤門・内田ゴシックから安藤忠雄・隈研吾まで

東京大学本郷キャンパスに建つ安田講堂の正面外観

東京大学本郷キャンパスには、江戸時代の加賀藩邸から、2026年現在進行中のダイバーシティ&インクルージョン棟新築と工学部13号館改修まで、約200年の建築史が重なっています。正門―安田講堂、総合図書館―工学部1号館、農正門―農学部3号館には、門・道路・広場と主要建築を軸線上に配置するキャンパス計画が残っています。

1 加賀藩前田家の上屋敷――赤門・育徳園・地下遺構

赤門――1827年の御守殿門

赤門の正式名称は「旧加賀屋敷御守殿門」です。1827年、加賀藩主前田斉泰が、第11代将軍徳川家斉の娘・溶姫を正室に迎えるため、溶姫の住まいである御守殿とともに建てました。赤門は、1877年創立の東京大学より50年前に建てられました。

中央の薬医門、左右の番所、海鼠塀が一体となった門構えです。1931年に旧国宝保存法による国宝に指定され、文化財保護法のもとでは国の重要文化財として扱われています。1903年、1925年、1959年、1989年に修繕が行われ、瓦、屋根、塗装などが更新されました。

東京大学本郷キャンパスの赤門
東京大学赤門、2004年。撮影:Tomgally/Wikimedia Commons/Public Domain。

赤門は2021年2月から通行を停止し、2025年11月に耐震改修へ着工しました。瓦を土で固定する土葺から、釘などで固定する空葺へ変更して屋根を軽量化します。2026年10月現在、本郷通り側から工事中の赤門周辺を見られます。門には工事用の覆いと足場が設置されています。工事完了は2027年9月頃の予定です。門の構造や修理の経過は赤門の歴史と建築に詳しく掲載しています。

1905年頃の東京帝国大学赤門
1905年頃の東京帝国大学赤門。Wikimedia Commons/Public Domain。

三四郎池――加賀藩邸の育徳園心字池

三四郎池の正式名称は「育徳園心字池」です。前田家上屋敷の庭園に由来し、池と周辺の斜面、築山、高低差に大名庭園の地形が残っています。「三四郎池」という呼称は、夏目漱石の小説『三四郎』によって広まりました。

本郷キャンパスの道路や広場の一部も、加賀藩邸時代の地割や地形を受け継いでいます。御殿下グラウンド、山上会館周辺、法学部4号館・文学部3号館周辺などでは、施設整備に先立つ発掘調査で、加賀藩邸の庭園、長屋、御殿、石垣、井戸などが確認されてきました。

東京大学本郷キャンパスの三四郎池(育徳園心字池)
三四郎池(育徳園心字池)。撮影:Daderot/Wikimedia Commons/CC0 1.0。

D&I棟建設地点の発掘――縄文時代から江戸時代

弥生門南東のダイバーシティ&インクルージョン棟A棟建設地点では、2025年から2026年に発掘調査が行われました。江戸時代の加賀藩邸に伴う地下室、井戸、ゴミ穴のほか、縄文時代の落とし穴も確認されています。

縄文時代の落とし穴の一つは長さ約2.2メートル、幅約0.8メートル、深さ約1.1メートル。狩猟用とみられ、東京大学埋蔵文化財調査室は2026年7月31日にA棟地点の調査終了を公表しました。

B棟地点では2024年の調査で800基以上の遺構が検出されました。加賀藩邸北辺の下級藩士「御歩組」の長屋に伴う地下室・井戸・ごみ穴、17世紀代の遺構150基以上、暗闇坂方向へ続く長さ4.8メートル以上・幅1.35メートルの砂利敷き坂道、弥生時代中期の竪穴建物1軒が確認されています。

懐徳館庭園――1910年の前田侯爵家の庭

懐徳館庭園の主要部は前田侯爵家時代の庭です。前田利為が庭師・伊藤彦右衛門に作庭を依頼し、1910年に完成しました。

赤門と育徳園は加賀藩邸、懐徳館庭園は明治以降の前田侯爵家に由来します。本郷の古地図には、加賀藩邸から大学へ移る過程の地割が残っています。

2 明治から大正前期――震災前の大学建築

1876年11月、東京医学校が旧加賀藩邸内の本郷へ移転しました。翌1877年4月、東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学が成立し、東京医学校は医学部となりました。法・理・文の3学部は当初神田にあり、1884~85年に本郷へ移転しています。

旧東京医学校本館――1876年の建物が小石川に現存

旧東京医学校本館は1876年に建てられた木造2階建ての擬洋風建築です。中央に時計塔を置き、左右対称の構成、洋風の窓、和風木造技術を組み合わせています。

旧東京医学校本館を移築した東京大学総合研究博物館小石川分館
旧東京医学校本館(現・東京大学総合研究博物館小石川分館)。撮影:Nesnad/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

1911年に病院地区から赤門近くへ移築され、その際に建物の一部が縮小・改変されました。1965年に本郷で解体され、1969年に小石川植物園へ再移築。1970年に国の重要文化財となり、現在は東京大学総合研究博物館小石川分館として使われています。

正門――1912年、伊東忠太の冠木門

現在の正門は1912年竣工。伊東忠太の設計で、国の登録有形文化財です。外観は冠木門の形式ですが、主要な柱には鉄を使い、その外側を花崗岩で包んでいます。伝統的な門の形を近代材料で組み立てた建築です。

東京大学本郷キャンパス正門
東京大学本郷キャンパス正門、2008年。撮影:aki sato/Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0。

門扉や冠木には瑞雲、旭日、青海波など吉祥文様が使われています。1988年には木製だった扉と冠木がアルミ合金製の複製へ交換されました。

門の中央から銀杏並木を見ると、その延長線上に1925年竣工の安田講堂が立ちます。正門が先に完成し、震災後の復興計画で安田講堂が軸線の焦点として加わりました。

コミュニケーションセンター――1910年の車庫

赤門近くのコミュニケーションセンターは1910年竣工です。大学施設として建てられ、車庫や附属図書館の製本所として使われました。

2005年に改修され、現在は東京大学の情報発信と公式グッズ販売の拠点です。

化学東館――1916年に始まる鉄筋コンクリート校舎

化学東館は1916年に最初の部分が完成し、1922年の第二期工事を経て1923年に竣工しました。赤い外壁、白い御影石、縦長窓の組み合わせが特徴です。

本郷キャンパスで早い時期に鉄筋コンクリートを採用した建物で、関東大震災と戦災を経て現在も使用されています。内部は1984年に改修されました。

3 1923年の関東大震災――復興計画と鉄筋コンクリート

1923年9月1日の関東大震災で、東京帝国大学は建物の総延坪の約3分の1を失いました。震災前にはジョサイア・コンドルらの流れをくむ煉瓦造校舎が並んでいましたが、多くが倒壊・焼失しました。

1892年竣工の旧図書館も焼失し、大量の蔵書が失われました。震災後の復興計画では、耐震・耐火構造への転換とキャンパス全体の再配置が同時に進められました。被害と再建事業の経緯は関東大震災と東京大学本郷キャンパスに詳しく掲載しています。

工学部2号館――震災時に施工中だった内田祥三のRC校舎

工学部2号館は内田祥三が本郷キャンパスで設計した最初の建物で、1924年竣工です。1923年の震災時にはほぼ完成しており、鉄筋コンクリート造の躯体が大きな被害を免れました。

震災後に建設された安田講堂、総合図書館、法文校舎などは鉄筋コンクリート造を基本としました。内田祥三は構造学者の佐野利器のもとで鉄骨・鉄筋コンクリートを研究し、震災後は営繕課長としてキャンパス復興を主導しました。

現在の工学部2号館は、旧館を保存しながら上部・周辺へ新館を増築した複合建築です。2005年の整備では、歴史的な旧館の上に高層部を載せる方法が採用されました。内田祥三資料では旧館の南側半分が現存部分として整理されています。

震災復興計画――軸線・広場・街区を再編

内田の復興計画では、個別校舎の耐震化と同時に、正門から安田講堂へ向かう銀杏並木、総合図書館周辺の広場、法文地区のアーケード、各学部の街区配置が整理されました。

4 内田ゴシック――建物と軸線でつくる「大学都市」

「内田ゴシック」は、内田祥三が本郷・弥生で展開した一連の大学建築を指す通称です。東京大学附属図書館は共通する特徴として、入口のアーチ、スクラッチタイルの壁面、尖塔型の柱を挙げています。鉄筋コンクリート造・鉄骨鉄筋コンクリート造の近代的な躯体に、ゴシック系の意匠を組み合わせた建築群です。

建物ごとの意匠、震災復興計画、軸線構成は、東京大学の内田ゴシック建築完全ガイドで詳しく整理しています。

1937年の東京帝国大学本郷キャンパスと農学部の建物鳥瞰図
『東京帝國大學本部構内及農學部建物鳥瞰圖』1937年。東京大学農学生命科学図書館所蔵。

安田講堂・列品館・総合図書館・法文1号館――共通意匠の使い分け

四棟は同じ意匠語彙を使いながら、安田講堂は塔、工学部列品館は連続アーチのポーチ、総合図書館は中央書庫、法文1号館はアーケードを構成の中心にしています。

配置では、安田講堂が正門―銀杏並木の主軸上に立ち、総合図書館と工学部1号館がそれと直交する第二の軸をつくります。法文1号館のアーケードはその横断動線に組み込まれています。

安田講堂――1925年、正門軸の焦点

安田講堂は1925年竣工。正式名称は東京大学大講堂です。安田善次郎の寄付を受け、内田祥三と岸田日出刀が設計しました。1996年、国の登録有形文化財の第1号として登録されています。

東京大学の文化財解説では、内田祥三がケンブリッジ大学の門塔に着想を得たとされています。外観は暗赤色タイル貼りで、塔を正門軸の終点に置きます。内部はロマネスク風を基調とし、舞台付近の天井などにアール・デコの要素も取り入れています。

東京帝国大学大講堂の第一・二階平面図
東京帝国大学大講堂(現在の安田講堂)の第一・二階平面図。東京大学総合図書館所蔵/Public Domain。

1968~69年の東大紛争後にも修復が行われました。現在の講堂は式典・講演・学術行事などに使われています。建設経緯と2014年の改修については安田講堂の建築史で詳しく紹介しています。

工学部列品館――1925年、連続アーチとスクラッチタイル

工学部列品館も1925年竣工で、国の登録有形文化財です。建設当初は工学系の学術資料を収蔵・展示する博物館として使われ、伊東忠太や関野貞が中国・朝鮮半島で行った建築調査資料なども収蔵されました。現在は研究室・事務室などに使われています。

東京大学の文化財解説では、列品館を内田ゴシック最初期の建物と位置づけています。平面はロの字型で、連続アーチのポーチ、先端に装飾を載せた柱型、縦長窓を組み合わせ、四隅を入隅として外壁面に凹凸をつけています。

総合図書館――1928年、ロックフェラー寄付で再建

現在の総合図書館本館は1928年竣工です。震災で旧図書館と大量の蔵書を失った東京帝国大学に対し、ジョン・D・ロックフェラーJr.が400万円を寄付し、新図書館の建設資金となりました。

東京大学本郷キャンパスの総合図書館本館の外観
東京大学総合図書館本館。撮影:末広橋/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

総合図書館は鉄骨鉄筋コンクリート造、地下1階・地上3階で、中央部のみ5階です。内部には7層の書庫を収めています。外壁は淡褐色のスクラッチタイル貼りで、正面入口にゴシック風アーチ、壁面に尖塔型の柱を配置しています。内部中央には赤い絨毯を敷いた大階段があります。現在の蔵書は約130万冊で、大階段や歴史的内装の一般見学は公開企画や建物見学の機会に行われます。

東京大学総合図書館の赤絨毯が敷かれた大階段
東京大学総合図書館の大階段。撮影:末広橋/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

2015年9月から2020年8月まで本館の耐震改修が行われました。2020年10月に本館4階へアジア研究図書館が開館し、同年11月に新図書館計画全体がグランドオープンしました。

1925年10月の東京帝国大学図書館立面設計図
1925年10月、内田祥三による東京帝国大学図書館の立面設計図。東京大学総合図書館所蔵/Public Domain。

5 法文・工学・医学・理学――内田ゴシックがつくった街区

法文1号館・2号館、法学部3号館――アーケードと第二の軸線

法学部3号館は1927年、法文1号館の西側部分は1929年、1号館全体は1935年、法文2号館は1938年に竣工しました。いずれも震災復興計画の一環で、法文1・2号館と法学部3号館は国の登録有形文化財です。

法文1号館では、震災前の法文科大学や旧図書館に使われた尖頭アーチ、クロケットなどのモチーフを新しい鉄筋コンクリート校舎へ引用しています。南北に続く1階アーケードは、三廊式教会を思わせる連続アーチで構成され、建物を横断する歩行動線を内部に通しています。

東京大学法文1号館下に連続するアーチのアーケード
東京大学法文1号館下のアーケード。撮影:Tokyo538/Wikimedia Commons/CC0 1.0。

法学部3号館は1976年に屋上、法文1号館は1996年に中庭側、法学部3号館は2011年に中庭側へ増築されました。2011年の増築部にはコールテン鋼が使われています。

工学部1号館――1935年、辰野金吾の工科大学本館跡

工学部1号館は1935年竣工です。この場所には辰野金吾設計の工科大学本館があり、関東大震災で被害を受けた後、その跡地に内田祥三の新校舎が建てられました。

東京大学本郷キャンパスの工学部1号館
東京大学工学部1号館。撮影:Wiiii/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

総合図書館の正面と向き合う位置にあり、図書館―工学部1号館の軸をつくります。

医学部地区――南研究棟・東研究棟・1号館・本館

南研究棟は1925年完成です。内田祥三資料では「東京帝国大学医学部附属医院耳鼻咽喉及整形外科病室」と記録され、共同設計者に岸田日出刀の名があります。東京大学医学部附属病院の広報資料は、南研究棟を岸田が全面的に計画した建物と説明し、オランダのアムステルダム派との類似を指摘しています。関東大震災の時点では建設途中で、外壁には震災前の計画を引き継ぐ赤レンガが使われました。

竣工当初は耳鼻咽喉科と整形外科の医局として使われ、1934年には北側に精神科病室が入りました。1936年には玄関ポーチ上へ南講堂を増築。2019年までの改修で、1階に健康と医学の博物館とアントレプレナーラボ、3階に鉄門臨床講堂が整備されています。正面には1925年の竣工時に植えられたプラタナスが残っています。

東研究棟は1928年完成です。内田祥三資料では当初の名称を「東京帝国大学医学部附属医院精神科病室」とし、設計者を内田祥三としています。

医学部1号館は1931年2月竣工です。医学系研究科・医学部の公式沿革と内田祥三資料の双方で1931年の建物として記録されています。隣接する医学部教育研究棟は2002年に第1期、2005年に第2期が竣工しました。

現在の管理・研究棟は、内田祥三資料では1934年の「医学部附属医院事務室薬局及外来患者診療所」として整理されています。一方、東京大学構内遺跡調査研究年報は1931年3月着工、1938年竣工と記録しています。アーケード入口上部には、北側に「医学の診断、治療、予防」、南側に「長崎時代」を主題とするテラコッタ製レリーフが埋め込まれています。

医学部2号館(本館)は医学系研究科・医学部の公式沿革で1936年11月竣工です。内田祥三資料では1938年、東京帝国大学医学部第二号館新営工事写真帳には1934年4月から1938年11月までの工事が記録されており、資料によって建設年の扱いが異なります。小講堂は片流れの階段教室で、かつて使われた机と座席の一部は現在インターメディアテクへ移設されています。病院地区の各棟の設計と用途の変遷は東京大学医学部の近代建築に掲載しています。

理学部2号館――1934年、生物学科の本拠

理学部2号館は1934年竣工、内田祥三設計です。竣工時には動物学・植物学の教室が入り、地質学、鉱物学、地理学の教室も置かれました。現在は生物学科・生物科学専攻が使用しています。東京大学は2025年の広報で、関東大震災後の耐震性を重視して建てられ、現在の耐震基準も満たすと説明しています。

一方、竣工から90年以上を経て、外壁の損傷、漏水、窓の開閉不良、床や天井の変形、電気・給排水設備の老朽化が進んでいます。外壁の一部では安全確保のため防護網が設置され、東京大学基金では建物の保存・活用と研究環境改善のための支援事業が進められています。

工学部4号館――1927年、現在はマテリアル工学の研究拠点

工学部4号館は1927年竣工、内田祥三設計です。東京大学建築学専攻の内田祥三資料では現存建築として記録され、平面図などの設計資料も保存されています。現在はマテリアル工学科・マテリアル工学専攻の研究・教育施設として使われ、構造セラミックス、材料組織、ナノ医療材料など複数の研究室が入っています。

工学部6号館――1940年、内田ゴシック後期の校舎

工学部6号館は1940年竣工、内田祥三設計です。内田祥三資料に現存建築として記録される、戦前末期の内田ゴシックです。現在は計数工学科の教務室・教授室、システム情報工学・数理情報工学の研究室などが置かれています。

戦後の施設拡張では屋上増築が行われました。東京大学の文化財解説では、法文1・2号館と工学部6号館の屋階増築に四分の一円形ヴォールトを主要要素とする意匠を採用し、既存の内田ゴシックとの調和を図ったと説明しています。設計は香山寿夫で、1976年に第1期、1981年に一連の増築が完成しました。

6 七徳堂と戦前の小建築――内田祥三が使い分けた意匠

七徳堂――1938年の純日本式武道場

七徳堂は1938年竣工、設計は内田祥三です。鉄筋コンクリート造平屋の武道場で、東京都選定歴史的建造物です。

大きく反った瓦屋根を持つ純日本式御殿造りで、東京都は屋根と鬼瓦に天平風の特徴を挙げています。「七徳堂」の名称は『春秋左氏伝』の「武に七徳あり」に由来します。

2015年に耐震改修が完了し、屋根の葺き替え、構造補強、状態の良い既存瓦の再利用などが行われました。安田講堂や法文校舎がゴシック系の外観を持つ一方、七徳堂には純日本式御殿造りが採用されています。

弓道場・第二食堂・高圧実験室・船型試験水槽

内田祥三資料には、弓道場1935年、現在の学生第二食堂にあたる建物1934年、高圧実験室、船型試験水槽室などが記録されています。

文化財指定と東京大学独自の保存区分

本郷地区では、赤門が国の重要文化財、安田講堂・正門・法文1号館・法文2号館・法学部3号館・工学部1号館・工学部列品館・野球場観覧席等が国の登録有形文化財です。東京都選定歴史的建造物には七徳堂、農学部3号館、広報センターが含まれ、2024年には龍岡門、農正門、弥生門も選定されました。

東京大学の本郷地区キャンパス計画要綱は、法的な文化財指定とは別に学内の保存建造物を設定しています。保存建造物1種は赤門、正門、化学東館、大講堂、列品館、農学部1号館、総合図書館、法文1・2号館、工学部1・6号館、医学部本館、農学部2・3号館、七徳堂など計27点。保存建造物2種にはコミュニケーションセンター、工学部2・4号館、東研究棟などが含まれます。

7 弥生キャンパス――農正門と農学部1・2・3号館の軸線

駒場と弥生の敷地交換

農学部は駒場、弥生地区には旧制第一高等学校が置かれていました。1935年の敷地交換で農学部が弥生へ、第一高等学校が駒場へ移りました。

農学部主要校舎の建設は移転前から進んでいました。東京大学農学部の公式年表では、1号館は1926年8月着工・1930年2月竣工、2号館は1932年8月着工・1936年2月10日竣工、3号館は1941年竣工です。1・2・3号館は内田祥三による震災復興期のキャンパス計画に沿って配置されました。各校舎と木造の弥生講堂の建築史は弥生キャンパス建築ガイドで紹介しています。

農学部1号館――1926年着工、1930年竣工

農学部1号館は1926年8月に着工し、1930年2月に竣工しました。農学部が弥生へ移る前に完成したため、完成直後は地下階、1階、2階の一部を第一高等学校の事務室、教官室、文理科3年教室として使用し、一高分館などと渡り廊下で結ばれていました。

1936年2月10日、2号館の竣工と同時期に1号館の増築も行われました。建物の完成と農学部移転の時期がずれており、第一高等学校から農学部へ段階的に敷地・建物を引き継いだ経過が残っています。

農学部2号館――1932年着工、1936年竣工

農学部2号館は1932年8月着工、1936年2月10日竣工です。東京大学農学部の歴史資料には、1936年3月31日時点の配置図や、1号館・2号館・3号館が並ぶ戦前写真が残されています。

農正門――1号館・2号館・3号館を一つの構図にまとめる

農正門は1937年竣工で、旧制第一高等学校時代の門の位置を引き継いでいます。2003年には扉材を更新し、木曽ヒノキの古材が使われました。

門から見ると右に1号館、左に2号館、正面奥に3号館が配置されます。東京都はこの配置をヴィスタを重視した構成として評価しています。本郷正門―安田講堂と同様に、弥生でも門の正面に主要建築を置いて視線を収束させています。

農学部3号館――1941年、RC造4階・地下1階

農学部3号館は1941年竣工、内田祥三設計の鉄筋コンクリート造で、地上4階・地下1階です。東京都選定歴史的建造物に指定され、東京都は震災復興計画で採用された擬ゴシック様式を踏襲する建物として位置づけています。

現在は学生サービスセンター、事務室、国際交流室、農学部生協などが入り、農学部の中心施設として使われています。東京大学農学部の概要資料では建築年度に1941年と1998年を併記しており、後年の整備を経ながら使用が続いています。

東京大学弥生キャンパスの農学部3号館
東京大学農学部3号館。撮影:BLKCRAYON/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

野球場観覧席・ダッグアウト・フェンス――1937年のスポーツ施設

弥生キャンパスの野球場には1937年竣工の観覧席、ダッグアウト、フェンスが残り、国の登録有形文化財です。

8 戦後建築――高層化と歴史的景観への応答

工学部11号館――1968年、高層化の初期例

工学部11号館は1968年竣工、設計は工学部教授の吉武泰水、実務担当は下山真司です。地上9階で、大教室と研究室という規模の異なる空間をまとめるため、外形は左右非対称に構成されています。

外装には淡褐色のタイルを使い、周囲の戦前校舎の色調とつないでいます。1968年の完成後、建築学科の構造系講座が工学部1号館から11号館へ移りました。

丹下健三――旧理学部5号館と本部管理棟

丹下健三は東京大学工学部を卒業後、母校の教授を務めました。本郷では、現在の第2本部棟にあたる旧理学部5号館と、本部棟を設計しています。

旧理学部5号館では、数学・地質・鉱物の3教室が1977年に入居し、6月4日に完成披露会が行われました。東京大学理学部ニュースによると、地上7階・地下1階、軒高26.8メートル、塔屋最高部30.5メートル。四隅に淡色の八角柱を置き、大きなガラス窓と濃色の水平壁面を交互に重ね、外装全体をチョコレート色を基調にまとめています。設計は丹下健三都市建築設計事務所、東京大学施設部が施工・監理を担当しました。

同じ1977年の記事には、旧理学部5号館の正面で大学本部建物の地下部と地表部まで工事が進み、その時点では工事が中断していたことも記されています。本部管理棟はその後工事が再開され、東京大学文書館の記録では1979年8月15日に竣工しました。

TANGE建築都市設計の作品資料は、この本部棟プロジェクトを延床面積16,412.90平方メートル、地上12階・地下2階として掲載しています。竣工写真には、濃色の水平帯と連続する窓面を、建物両端の明色の塔状部分が挟む外観が写っています。本部棟と第2本部棟は龍岡門側で隣接して配置されています。二棟の設計と建設過程は東京大学の丹下健三建築で扱っています。

山上会館――1986年、前川國男建築設計事務所

山上会館は東京大学創立100周年記念事業として1986年7月に開館しました。設計は前川國男建築設計事務所。鉄骨鉄筋コンクリート造、地上3階・地下1階、延床面積3,062.19平方メートルです。館内には大会議室、小会議室、談話ホール、食堂などをまとめ、学会・国際会議・懇親会を一棟で行える構成としています。

外壁にはタイルをコンクリートと一体化する打込みタイルを用い、2階大会議室にはかまぼこ型のヴォールト天井があります。2017年10月からのリノベーションでは、この外壁とヴォールト天井を残し、前川國男がデザインした椅子や机も補修して再使用しました。

改修では大会議室を270平方メートルから360平方メートルへ拡張し、定員を99席から約120席へ増やしました。高窓の新設、音響映像設備の更新、天井・設備機器の耐震化、エレベーター増設などを行い、2018年10月11日にリニューアルオープンしています。

この一帯には富山藩の御殿があり、明治期には東京医学校の教場として使われた後、1893年に高台へ移築されて「山上御殿」と呼ばれました。山上御殿は1923年の関東大震災で焼失し、震災後の山上会議所を経て現在の山上会館が建てられました。「御殿下グラウンド」の名称は、山上御殿の下側に位置したことに由来します。山上会館を含む戦後の建築家と施設の変遷は東京大学の戦後建築ガイドに掲載しています。

文学部3号館・法学部4号館――1987年、大谷幸夫

文学部3号館と法学部4号館は1987年竣工で、大谷幸夫が設計に携わりました。文学部3号館は鉄筋コンクリート造、地上8階・地下2階、建築面積374平方メートル、延床面積3,547平方メートルです。1987年9月に竣工披露が行われ、地下には現在も文学部図書室の総合受付を担う図書室が入っています。

法学部4号館は1987年3月に、法学部3号館南面と総合図書館の間に完成しました。同年、外国法文献センターが2階へ、法制史資料室が地下1階へ移転しました。現在は法科大学院の自習室などにも使われています。

二棟は総合図書館前広場の東西に配置され、広場を囲む構成をつくっています。大谷は広場の床面も設計し、1986年のスケッチを「広場の曼荼羅」と名づけました。広場中央の九輪の池と左右のクスノキを手掛かりに、戦没した東京大学の先輩・同輩を迎える場として構想したことを、東京大学広報誌『淡青』が紹介しています。

法学部4号館では近年も外壁・内装の部分改修が行われています。全面改修については2026年9月16日時点で翌年度の実施が見送られ、東京大学法学部は今後数年内に改修工事が行われる可能性を案内しています。

法学政治学系総合教育棟――2004年、槇文彦の法科大学院棟

法学政治学系総合教育棟は2004年完成。設計は槇文彦+槇総合計画事務所です。法科大学院創設に合わせて正門脇に建設され、現在も法学部で「ガラス棟」と呼ばれています。

槇総合計画事務所の作品資料では、鉄骨造・一部鉄筋コンクリート造、地下1階・地上4階、建築面積713平方メートル、延床面積2,905平方メートル。将来の用途変更を想定し、固定要素を絞った可変性の高い内部構成としています。既存のクス並木とゴシック建築群に合わせて建物のヴォリュームを抑え、外周は半透過性のスクリーン状ファサードで包んでいます。

法科大学院の授業は主に2~4階の教室で行われます。1912年の正門、戦前の法文校舎、2004年のガラス棟が正門周辺に並んでいます。法学政治学研究科は法科大学院創立20周年の寄付事業で、完成から20年を経た総合教育棟の補修・設備更新を支援対象にしています。

御殿下記念館――1989年、グラウンド地下の総合体育施設

御殿下記念館は東京大学創立100周年記念事業として整備され、1989年1月に竣工しました。御殿下グラウンドの地下にジムナジアム、プール、トレーニング施設などを収める総合運動施設です。

9 2000年以降の建築――地下化・改修・木質化・情報化

福武ホール――2008年、安藤忠雄の「考える壁」

情報学環・福武ホールは福武總一郎の寄付をもとに建設され、2008年3月26日に竣工しました。設計は安藤忠雄建築研究所。地上2階・地下2階、延床面積4,047.29平方メートルで、施設の約3分の2を地下に収めています。地下2階には定員180名の福武ラーニングシアターと、16名用スタジオ3室などを配置しています。

東京大学本郷キャンパスの情報学環・福武ホール
情報学環・福武ホール。撮影:Guwashi999/Wikimedia Commons/CC BY 2.0。

敷地は奥行き約15メートル、長さ約100メートルの細長い形状です。安藤忠雄は本郷通り側のクス並木を遮らない高さに地上部を抑え、長い正面のプロポーションには三十三間堂を参照しました。キャンパス内ストリート側には約100メートルの「考える壁」を置き、その背後に地下空間を展開しています。

安藤は「考える壁」を、地下空間と既存キャンパスをつなぐ「間」として計画しました。地上に現れる壁と低層部、地下2階のシアター・スタジオ・ラボ、1階のコモンズやカフェが縦方向に連続しています。槇文彦・安藤忠雄・隈研吾の作品比較は東京大学の現代建築に掲載しています。

伊藤国際学術研究センター――2011年竣工、桜広場の地下に約500人の講堂

伊藤国際学術研究センターは伊藤雅俊・伊藤伸子夫妻の寄付で整備され、香山壽夫が設計しました。2011年12月に竣工し、2012年4月1日に正式オープンしています。社会連携・国際交流の拠点として、国際会議、学会、レセプションなどに使われます。

赤門近くに「桜広場」を設け、その地下2階へ最大489席の伊藤謝恩ホールを配置しています。広場から立ち上がる2本のトップライトが地下講堂へ自然光を導きます。メインビルは4階までをレンガ積み、5階を金属板の屋根階として分節し、内田ゴシックの建物スケールに合わせています。

ダイワユビキタス学術研究館――2014年、隈研吾と坂村健

ダイワユビキタス学術研究館は2014年4月完成。坂村健が建物全体をプロデュースし、隈研吾が意匠設計を担当しました。大和ハウス工業の寄贈による教育研究棟で、隈研吾建築都市設計事務所の作品資料では地上3階・地下2階、延床面積2,709平方メートルです。

東京大学本郷キャンパスのダイワユビキタス学術研究館
ダイワユビキタス学術研究館。撮影:Guilhem Vellut/Wikimedia Commons/CC BY 2.0。

外装は木と土の鱗状パネルを波打たせた構成で、懐徳館側には左官職人・挾土秀平による土壁も使われています。建物中央には膜材で覆った大きな開口を設け、前面の通路と懐徳館庭園側をつなぎ、光と風を通します。

館内にはユビキタス空間物アーカイブ、研究・教育空間、交流スペース、約100人規模のホールなどを配置しています。地下のアーカイブでは建築などの大型「空間物」をデジタル技術で展示し、3階ホールでは構造用合板を角度を変えて天井・壁面に使っています。

総合図書館別館――2017年、地下三層の自動書庫

総合図書館別館は2017年5月に前庭地下へ竣工し、同年7月にライブラリープラザが開館しました。2018年5月から自動書庫が運用されています。

自動書庫は約300万冊収容可能で、地下三層に書架と搬送設備を集約します。地上では1928年の本館正面と前庭を維持し、必要な収蔵量と学習空間を地下へ拡張しました。

弥生講堂・一条ホール――2000年、木質構造を研究対象にする

弥生講堂・一条ホールは農学部設立125周年記念事業として計画され、一条工務店の寄付で2000年3月に竣工しました。設計は香山壽夫建築研究所。木造一部鉄骨造、地上2階、延床面積998.77平方メートルで、一条ホールは固定席278席を含む約300人規模です。

構造用集成材、木質仕上げ、羊毛断熱材など自然材料を積極的に使い、建物そのものを木質材料・環境調和建築の研究対象として位置づけています。2002年には日本建築学会作品選奨に選定されました。

弥生講堂アネックス――2008年、日本最大級の木質HPシェル

弥生講堂アネックスは2008年8月竣工。セイホクギャラリーの屋根に木質HPシェル構造を採用し、竣工時点で国内最大級の木質シェル構造でした。研究棟には国産ヒノキ乾燥材を用いた在来構法を採用し、105ミリ角の柱材を細かく配置して構造と仕上げを兼ねています。

HASEKO-KUMA HALL――2020年、既存講堂とラウンジを隈研吾が改修

工学部11号館の講堂・ラウンジは2019年2月から12月に改修され、2020年1月30日にHASEKO-KUMA HALLとして開設しました。設計は隈研吾と長谷工コーポレーション。工学部11号館1・2階の687.47平方メートルを使い、講堂233平方メートル・128席、ラウンジ1階102平方メートル、2階72平方メートルを配置しています。

講堂とラウンジには76個の木製ボックスを組み込み、工学系研究科の過去・現在の研究成果を展示しています。展示物を固定せず更新していく「生きたミュージアム」として計画され、壁面と天井を連続して使う立体的なプロジェクター設備によって、空間全体を映像展示にも利用できます。既存校舎の内部を「知の巣」と呼ぶ展示・交流空間へ転換した改修です。

10 2026年現在の工事――D&I棟・工学部13号館

ダイバーシティ&インクルージョン棟――2027年3月完成予定

弥生門南東ではダイバーシティ&インクルージョン棟A棟・B棟を整備しています。東京大学のインパクト・レポーティングでは整備額を72億円とし、対話・交流・相談・学修支援の拠点、保育等による研究者支援、グローバル教育、障害者支援、地域連携の機能を集約する計画です。地域側には新しいキャンパス出入口と交流スペースを設け、建物はZEB Readyを目標としています。

2025年11月時点の工程表では、B棟は2025年4月着工、A棟は2026年2月以降着工、両棟とも2027年3月完成予定でした。A棟地点の埋蔵文化財調査は2026年7月31日に終了しました。2026年10月1日現在、東京大学はA棟・B棟とも「工事中」の建物として案内しています。

工学部13号館――高電圧ホールを残す改修

工学部13号館は2025年7月に改修工事へ着工しました。2026年10月1日現在も東京大学の「工事中・工事を開始する主な建物」に掲載されています。築90年を超える建物で、3層吹抜けの高電圧ホールを中心に構成されています。改修では行き止まりの廊下を含む既存動線を整理し、中庭を中心に三つのゾーンへ再編します。高電圧ホールと既存構造を継承しながら、研究・産学連携の共創空間を加える計画です。

設備計画では、省エネルギー・省CO2の目標設定と運用後の検証までを含むマネジメントを導入します。本郷キャンパス周縁部という立地に合わせ、周辺地域側のファサードと出入口も再検討されています。工事期間中、高電圧・電力系の研究室は船舶運動性能試験水槽棟などへ一時移転しています。

11 建築史を追って歩くルート

1. 赤門周辺
赤門 → コミュニケーションセンター → 伊藤国際学術研究センター。赤門は2026年10月現在、耐震改修中で通行停止中です。入構は正門など別の門を利用します。

2. 正門
正門 → 銀杏並木 → 安田講堂。

3. 工学部列品館と法学部3号館
工学部列品館 → 法学部3号館。

4. 安田講堂
安田講堂 → 法文1・2号館。

5. 法文地区
法文1・2号館のアーケード → 総合図書館。

6. 総合図書館と工学部1号館
総合図書館 → 前庭 → 工学部1号館。

7. 三四郎池・山上会館
三四郎池 → 山上会館 → 医学部地区。

8. 医学部地区
南研究棟 → 東研究棟 → 医学部1号館 → 医学部2号館。

9. 工学・情報地区
工学部2・4・6号館 → 福武ホール → ダイワユビキタス学術研究館 → HASEKO-KUMA HALL。

10. 弥生キャンパス
農正門 → 農学部1・2・3号館 → 弥生講堂・一条ホール → アネックス。

外観中心で約2時間半~3時間、公開企画や施設内部の見学を組み合わせる場合は半日程度が目安です。

建築リファレンス一覧

江戸・明治から震災前

建築・場所年代設計・由来構造・規模・保存情報
赤門1827加賀藩前田家・溶姫御守殿門重要文化財。2025年11月から耐震改修、2027年9月頃工事完了予定
育徳園心字池(三四郎池)江戸期加賀藩前田家上屋敷庭園池・斜面・築山に大名庭園の地形が残る
懐徳館庭園1910前田利為・伊藤彦右衛門明治末の前田侯爵家庭園
旧東京医学校本館1876東京医学校木造擬洋風。1969年小石川へ再移築
コミュニケーションセンター1910旧車庫・製本所震災前の小規模大学建築
正門1912伊東忠太鉄柱を花崗岩で被覆した冠木門。登録有形文化財
化学東館1916~23化学教室震災前の鉄筋コンクリート校舎

震災復興から戦前

建築・場所年代設計構造・規模・保存情報
工学部2号館1924内田祥三震災時にRC躯体が大きな被害を免れた
安田講堂1925内田祥三・岸田日出刀鉄筋コンクリート造。暗赤色タイル、正門軸上の塔。登録有形文化財
工学部列品館1925内田祥三鉄筋コンクリート造。ロの字型平面、連続アーチ、柱型、縦長窓。登録有形文化財
医学部南研究棟1925内田祥三・岸田日出刀旧耳鼻咽喉・整形外科病室。赤レンガ外壁、1936年南講堂増築。改修後は健康と医学の博物館・鉄門臨床講堂等を配置
工学部4号館1927内田祥三現存する震災復興期校舎。現在はマテリアル工学科・専攻の研究教育施設として使用
法学部3号館1927内田祥三ほか法文地区の登録有形文化財
総合図書館本館1928内田祥三SRC造。中央部5階、内部7層書庫、淡褐色スクラッチタイル。2020年改修完了
医学部東研究棟1928内田祥三旧「医学部附属医院精神科病室」
農学部1号館1930内田祥三1926年8月着工、1930年2月竣工。完成直後は第一高等学校も使用し、1936年に増築
医学部1号館1931年2月内田祥三医学系研究科・医学部公式沿革に竣工記録。2002・2005年に隣接して医学部教育研究棟を整備
医学部附属病院 管理・研究棟1934(内田資料)/1938(構内遺跡年報)内田祥三旧「事務室薬局及外来患者診療所」。アーケード入口上部にテラコッタ製レリーフ
理学部2号館1934内田祥三生物学科・生物科学専攻が使用。現行耐震基準を満たす一方、外壁・漏水・設備等の老朽化が進行
学生第二食堂1934内田期学生生活を伝える戦前施設
法文1号館1929~35内田祥三尖頭アーチ、クロケット、三廊式アーケード。登録有形文化財
工学部1号館1935内田祥三辰野金吾の工科大学本館跡
弓道場1935内田期戦前の課外活動施設
農学部2号館1936内田祥三1932年8月着工、1936年2月10日竣工。農正門左側で1号館と対をなす
農正門1937内田期3号館へのヴィスタを形成
農学部野球場施設1937観覧席・ダッグアウト・フェンス登録有形文化財
法文2号館1938内田祥三法文1号館と街区・アーケードを構成
七徳堂1938内田祥三RC造の純日本式武道場。東京都選定歴史的建造物
医学部2号館(本館)1936年11月(医学部公式)/1938(内田資料)内田祥三小講堂は片流れの階段教室。机・座席の一部はインターメディアテクへ移設
工学部6号館1940内田祥三戦前末期の内田ゴシック。現在は計数工学科が使用し、戦後に香山寿夫設計の屋上増築を実施
農学部3号館1941内田祥三RC造4階・地下1階。擬ゴシック様式、東京都選定歴史的建造物。農正門軸の正面奥に配置

戦後・現代

建築・場所年代設計・事業構造・規模・保存情報
工学部11号館1968吉武泰水地上9階。1・2階をHASEKO-KUMA HALLへ改修
第2本部棟(旧理学部5号館)1977(入居・完成披露)丹下健三都市建築設計事務所地上7階・地下1階、軒高26.8m、塔屋最高30.5m
本部棟1979丹下健三都市建築設計事務所1979年8月15日竣工。TANGE公式作品資料は本部棟プロジェクトを地上12階・地下2階、延床16,412.90㎡と掲載
山上会館1986前川國男建築設計事務所SRC造、地上3階・地下1階、延床3,062.19㎡。打込みタイル外壁とヴォールト天井を2018年改修でも継承
文学部3号館・法学部4号館1987大谷幸夫総合図書館前広場を東西から囲み「広場の曼荼羅」を構成。文学部3号館はRC造8階・地下2階、延床3,547㎡
御殿下記念館1989創立100周年記念事業グラウンド地下の総合体育施設
弥生講堂・一条ホール2000香山壽夫建築研究所木造一部鉄骨、約300人、作品選奨
法学政治学系総合教育棟2004槇文彦+槇総合計画事務所鉄骨造・一部RC造、地下1階・地上4階、延床2,905㎡。半透過スクリーン外装と可変性の高い内部構成。20年経過後は補修・設備更新が課題となり、2025年に学生用ロッカーを更新
福武ホール2008安藤忠雄建築研究所地上2階・地下2階、延床4,047.29㎡。約3分の2を地下化し、180席のラーニングシアターと約100mの「考える壁」を配置
弥生講堂アネックス2008香山壽夫系/木質構造国内最大級の木質HPシェル
伊藤国際学術研究センター2011~12香山壽夫桜広場地下に最大489席の講堂
ダイワユビキタス学術研究館2014坂村健・隈研吾地上3階・地下2階、延床2,709㎡。木と土の鱗状外装、中央開口、ユビキタス空間物アーカイブ
総合図書館別館2017新図書館計画地下三層、約300万冊自動書庫
HASEKO-KUMA HALL2020隈研吾・長谷工工11号館1・2階687.47㎡を改修。128席、木製ボックス76個、研究展示と交流機能
D&I棟A・B2025~27新築2026年10月1日現在A・B棟とも工事中。2027年3月完成予定
工学部13号館2025~改修2026年10月1日現在工事中。高電圧ホールを継承し共創空間へ再編

参考資料