東京大学本郷キャンパス建築ガイド|赤門・内田ゴシックから安藤忠雄・隈研吾まで

東京大学本郷キャンパスに建つ安田講堂の正面外観

東京大学本郷キャンパスには、江戸時代の加賀藩邸から2026年のダイバーシティ&インクルージョン棟、工学部13号館改修まで約200年の建築史が重なっています。建物単体に加え、正門と安田講堂、総合図書館と工学部1号館、農正門と農学部3号館の軸線を見ると、東京大学が建物と道路、広場、庭園を一体で整備してきた経緯が読み取れます。

1 加賀藩前田家の上屋敷――赤門・育徳園・地下遺構

赤門――1827年の御守殿門

赤門の正式名称は「旧加賀屋敷御守殿門」です。1827年、加賀藩主前田斉泰が、第11代将軍徳川家斉の娘・溶姫を正室に迎えるため、溶姫の住まいである御守殿とともに建てました。東京大学の創立は1877年なので、赤門の方が50年早く成立しています。

中央の薬医門、左右の番所、海鼠塀が一体となった門構えです。1954年に国の重要文化財に指定されました。近代以降も1903年、1925年、1959年、1989年に修繕が行われ、瓦や屋根、塗装などを更新しながら継承されています。

東京大学本郷キャンパスの赤門
東京大学赤門、2004年。撮影:Tomgally/Wikimedia Commons/Public Domain。

2021年2月から閉門・通行停止となり、2025年11月に本格的な耐震改修工事が始まりました。工事では、土で瓦を固定する土葺から釘などで固定する空葺へ変更して屋根を軽量化するなど、地震時の荷重を減らす対策が進められています。2026年9月現在も工事中で、門の外観は本郷通り側から確認できますが、覆いと足場が設置されています。再開門は2027年秋頃の予定です。

1905年頃の東京帝国大学赤門
1905年頃の東京帝国大学赤門。Wikimedia Commons/Public Domain。

三四郎池――加賀藩邸の育徳園心字池

三四郎池の正式名称は「育徳園心字池」です。前田家上屋敷の庭園に由来し、池と周辺の斜面、築山、高低差が大名庭園の地形を現在まで伝えています。「三四郎池」という呼称は、夏目漱石の小説『三四郎』によって広まりました。

本郷キャンパスの道路や広場の一部も、加賀藩邸時代の地割や地形を受け継いでいます。御殿下グラウンド、山上会館周辺、法学部4号館・文学部3号館周辺などでは、施設整備に先立つ発掘調査で、加賀藩邸の庭園、長屋、御殿、石垣、井戸などが確認されてきました。

東京大学本郷キャンパスの三四郎池(育徳園心字池)
三四郎池(育徳園心字池)。撮影:Daderot/Wikimedia Commons/CC0 1.0。

2025~26年の発掘で縄文時代から江戸時代まで確認

弥生門南東のダイバーシティ&インクルージョン棟A棟建設地点では、2025年から2026年に発掘調査が行われました。江戸時代の加賀藩邸に伴う地下室、井戸、ゴミ穴のほか、縄文時代の落とし穴も確認されています。

縄文時代の落とし穴の一つは長さ約2.2メートル、幅約0.8メートル、深さ約1.1メートル。大学施設の建設地点から狩猟用とみられる遺構が見つかり、本郷台地の利用史が大学創立よりはるか以前まで遡ることが確認されました。調査終了は2026年7月に公表されています。

懐徳館庭園――1910年の前田侯爵家の庭

懐徳館庭園は前田家上屋敷の江戸庭園とは成立時期が異なります。現在の主要部は前田侯爵家時代の庭で、前田利為が庭師・伊藤彦右衛門に作庭を依頼し、1910年に完成しました。

赤門と育徳園は加賀藩邸、懐徳館庭園は明治以降の前田侯爵家に由来します。本郷の古地図と重ねると、大名屋敷、華族邸宅、大学という土地利用の変化を同じ敷地で追えます。

2 明治から大正前期――震災前の大学建築

1876年11月、東京医学校が旧加賀藩邸内の本郷へ移転しました。翌1877年4月、東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学が成立し、東京医学校は医学部となりました。法・理・文の3学部は当初神田にあり、1884~85年に本郷へ移転しています。

旧東京医学校本館――1876年の建物が小石川に現存

旧東京医学校本館は1876年に建てられた木造2階建ての擬洋風建築です。中央の時計塔、左右対称の構成、洋風の窓と和風木造技術を組み合わせた外観が明治初期の官立学校建築を伝えています。

旧東京医学校本館を移築した東京大学総合研究博物館小石川分館
旧東京医学校本館(現・東京大学総合研究博物館小石川分館)。撮影:Nesnad/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

1911年に病院地区から赤門近くへ移築され、その際に建物の一部が縮小・改変されました。1965年に本郷で解体され、1969年に小石川植物園へ再移築。1970年に国の重要文化財となり、現在は東京大学総合研究博物館小石川分館として使われています。

1876年の東京医学校、1877年の東京大学成立、1911年の構内移築、1969年の小石川移築という履歴を一棟で追える建物です。

正門――1912年、伊東忠太による「和魂洋才」の門

現在の正門は1912年竣工。伊東忠太の設計で、国の登録有形文化財です。外観は冠木門の形式ですが、主要な柱には鉄を使い、その外側を花崗岩で包んでいます。伝統的な門の形を近代材料で組み立てた建築です。

東京大学本郷キャンパス正門
東京大学本郷キャンパス正門、2008年。撮影:aki sato/Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0。

門扉や冠木には瑞雲、旭日、青海波など吉祥文様が使われています。1988年には木製だった扉と冠木がアルミ合金製の複製へ交換されました。

門の中央から銀杏並木を見ると、その延長線上に1925年竣工の安田講堂が立ちます。正門が先に完成し、震災後の復興計画で安田講堂が軸線の焦点として加わりました。

コミュニケーションセンター――1910年の車庫

赤門近くのコミュニケーションセンターは1910年竣工です。大学施設として建てられ、車庫や附属図書館の製本所として使われました。

2005年に改修され、現在は東京大学の情報発信と公式グッズ販売の拠点です。赤門、1910年の小建築、2011年竣工の伊藤国際学術研究センターを短い距離で比較できます。

化学東館――1916年に始まる鉄筋コンクリート校舎

化学東館は1916年に最初の部分が完成し、1922年の第二期工事を経て1923年に竣工しました。赤い外壁、白い御影石、縦長窓の組み合わせが特徴です。

本郷キャンパスで早い時期に鉄筋コンクリートを採用した建物で、関東大震災と戦災を経て現在も使用されています。内部は1984年に改修されました。震災後の内田ゴシックより前に、鉄筋コンクリート造の大学校舎が本郷で実用化されていたことを示す建物です。

3 1923年の関東大震災――復興計画と鉄筋コンクリート

1923年9月1日の関東大震災で、本郷キャンパスの教育施設は約3分の2が失われました。震災前にはジョサイア・コンドルらの流れをくむ煉瓦造校舎が並んでいましたが、多くが倒壊・焼失しました。

1892年竣工の旧図書館も焼失し、約76万冊にのぼる蔵書の大部分が失われました。震災後の本郷では、耐震性、耐火性、キャンパス全体の再配置を同時に解決する復興計画が必要になりました。

工学部2号館――震災時に施工中だった内田祥三のRC校舎

工学部2号館は内田祥三が本郷キャンパスで設計した最初の建物で、1924年竣工です。1923年の震災時にはほぼ完成しており、鉄筋コンクリート造の躯体が大きな被害を免れました。

震災後の本郷で鉄筋コンクリート造を基本とする方針が定着するうえで、工学部2号館の実績は重要な材料になりました。内田祥三は構造学者の佐野利器のもとで鉄骨・鉄筋コンクリートを研究しており、震災後は営繕課長としてキャンパス復興を主導します。

現在の工学部2号館は、旧館を保存しながら上部・周辺へ新館を増築した複合建築です。2005年の整備では、歴史的な旧館の上に高層部を載せる方法が採用されました。内田祥三資料では旧館の南側半分が現存部分として整理されています。

復興は「校舎の再建」から「キャンパス計画」へ

内田の復興計画では、個別校舎の耐震化と同時に、正門から安田講堂へ向かう銀杏並木、総合図書館周辺の広場、法文地区のアーケード、各学部の街区配置が整理されました。建物の外壁には暗赤色・淡褐色のスクラッチタイル、尖頭アーチ、縦長窓、垂直方向を強調する柱型などを反復して使い、異なる学部の建物に共通した外観を与えました。

4 内田ゴシック――建物と軸線でつくる「大学都市」

「内田ゴシック」は厳密な単一様式名というより、内田祥三が本郷・弥生で展開した一連の大学建築をまとめて呼ぶ名称です。鉄筋コンクリート造の躯体に、ゴシック建築を思わせる尖頭アーチ、垂直線、塔状の突出部、スクラッチタイルなどを組み合わせます。

内田は1923年に営繕課長を兼務し、建築単体の設計からキャンパス全体の配置まで統括しました。正門―安田講堂、総合図書館―工学部1号館、農正門―農学部3号館など、視線の正面に主要建築を置く構成が各所に見られます。

1937年の東京帝国大学本郷キャンパスと農学部の建物鳥瞰図
『東京帝國大學本部構内及農學部建物鳥瞰圖』1937年。東京大学農学生命科学図書館所蔵。

安田講堂――1925年、正門軸の焦点

安田講堂は1925年竣工。正式名称は東京大学大講堂です。安田善次郎の寄付を受け、内田祥三と岸田日出刀が設計しました。1996年、国の登録有形文化財の第1号として登録されています。

内田はケンブリッジ大学の門塔など海外のカレッジ建築を研究し、複数の参照例を組み合わせて塔、尖頭アーチ、スクラッチタイルによる大講堂をまとめました。正門の軸線の終点に塔を置き、正面性を強くつくっています。

東京帝国大学大講堂の第一・二階平面図
東京帝国大学大講堂(現在の安田講堂)の第一・二階平面図。東京大学総合図書館所蔵/Public Domain。

1968~69年の東大紛争後にも修復が行われました。現在の講堂は式典・講演・学術行事などに使われています。

工学部列品館――1925年、初期内田ゴシックの標本

工学部列品館も1925年竣工で、国の登録有形文化財です。建設当初は工学系の学術資料を収蔵・展示する博物館として使われ、伊東忠太や関野貞が中国・朝鮮半島で行った建築調査資料なども収蔵されました。現在は研究室・事務室などに使われています。

連続アーチ、縦長窓、垂直方向に伸びる柱型、スクラッチタイルがまとまって見えるため、初期内田ゴシックの外観要素を確認しやすい建物です。

総合図書館――1928年、ロックフェラー寄付で再建

現在の総合図書館本館は1928年竣工です。震災で旧図書館と大量の蔵書を失った東京帝国大学に対し、ジョン・D・ロックフェラーJr.が400万円を寄付し、新図書館建設の大きな資金となりました。

東京大学本郷キャンパスの総合図書館本館の外観
東京大学総合図書館本館。撮影:末広橋/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

正面のアーチ、塔状の垂直要素、スクラッチタイルに加え、内部の大階段が代表的な空間です。現在の蔵書は約130万冊。公開企画や建物見学の機会には、大階段や歴史的内装を確認できます。

東京大学総合図書館の赤絨毯が敷かれた大階段
東京大学総合図書館の大階段。撮影:末広橋/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

2015年9月から2020年8月まで本館の耐震改修が行われ、2017年5月には前庭地下に別館が竣工しました。別館には約300万冊を収容できる地下三層の自動書庫とライブラリープラザを整備。2020年10月に本館4階へアジア研究図書館が開館し、同年11月に新図書館計画全体がグランドオープンしました。

1925年の東京帝国大学図書館第一設計案の青写真
1925年、内田祥三による東京帝国大学図書館の第一設計案。東京大学総合図書館所蔵/Public Domain。

5 法文・工学・医学・理学――内田ゴシックがつくった街区

法文1号館・2号館、法学部3号館――アーケードと第二の軸線

法学部3号館は1927年、法文1号館の西側部分は1929年、1号館全体は1935年、法文2号館は1938年に竣工しました。いずれも震災復興計画の一環で、法文1・2号館と法学部3号館は国の登録有形文化財です。

法文1号館では、震災前の法文科大学や旧図書館に使われた尖頭アーチ、クロケットなどのモチーフを新しい鉄筋コンクリート校舎へ引用しています。南北に続く1階アーケードは、三廊式教会を思わせる連続アーチで構成され、建物を横断する歩行動線そのものが建築空間になっています。

東京大学法文1号館下に連続するアーチのアーケード
東京大学法文1号館下のアーケード。撮影:Tokyo538/Wikimedia Commons/CC0 1.0。

法文地区には正門―安田講堂軸と直交する方向の軸線もあり、総合図書館と工学部1号館を結びます。本郷の復興計画は、複数の軸と広場を組み合わせて街区を構成しています。

後年の増築も確認できます。法学部3号館は1976年に屋上、法文1号館は1996年に中庭側、法学部3号館は2011年に中庭側へ増築され、増築部にはコールテン鋼など戦前建築と異なる材料が使われています。

工学部1号館――1935年、辰野金吾の工科大学本館跡

工学部1号館は1935年竣工です。この場所には辰野金吾設計の工科大学本館があり、関東大震災で被害を受けた後、その跡地に内田祥三の新校舎が建てられました。

東京大学本郷キャンパスの工学部1号館
東京大学工学部1号館。撮影:Wiiii/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

総合図書館の正面と向き合う位置にあり、図書館―工学部1号館の軸をつくります。同じ場所で明治の辰野金吾、1923年の震災、1930年代の内田祥三という三段階の建築史が重なっています。

医学部地区――1925年から1938年まで続いた復興建築

医学部地区では、南研究棟1925年、東研究棟1928年、医学部1号館1931年、現在の医学系研究科管理研究棟にあたる建物1934年と、復興期の校舎が段階的に整備されました。南研究棟は内田祥三と岸田日出刀の共同設計です。

医学部2号館(本館)は医学部公式沿革で1936年11月竣工と記録されています。内田祥三資料では1938年、東京帝国大学医学部第二号館新営工事写真帳には1934年4月から1938年11月までの新営工事が記録されています。大規模な本館建設が1930年代後半まで継続した経過を複数の大学資料から確認できます。

理学部2号館・工学部4号館・6号館

理学部2号館は1934年、工学部4号館は1927年、工学部6号館は1940年竣工です。観光案内では安田講堂や図書館に比べて扱いが小さい建物ですが、1920年代から1940年まで内田ゴシックが継続して展開したことを確認できます。

外壁のスクラッチタイル、縦長窓、アーチ、垂直方向の柱型を見比べると、学部ごとに平面や用途を変えながら、キャンパス景観の共通語彙を維持したことが分かります。

6 七徳堂と戦前の小建築――内田祥三が使い分けた意匠

七徳堂――1938年の純日本式武道場

七徳堂は1938年竣工、設計は内田祥三です。鉄筋コンクリート造平屋の武道場で、東京都選定歴史的建造物です。

大きく反った瓦屋根を持つ純日本式御殿造りで、東京都は屋根と鬼瓦に天平風の特徴を挙げています。「七徳堂」の名称は『春秋左氏伝』の「武に七徳あり」に由来します。

2015年に耐震改修が完了し、屋根の葺き替え、構造補強、状態の良い既存瓦の再利用などが行われました。内田祥三がゴシック意匠を反復した設計者というより、用途ごとに建築言語を使い分けたことを示す例です。

弓道場・第二食堂・高圧実験室・船型試験水槽

本郷には大講堂や図書館以外にも、戦前の教育・研究・学生生活を伝える小規模建築が残っています。内田祥三資料では弓道場1935年、現在の学生第二食堂にあたる建物1934年、高圧実験室や船型試験水槽室などが確認できます。

工学部13号館に含まれる高電圧実験空間は、2025年から改修対象となっています。工学部13号館の改修では、既存構造と高電圧実験空間を継承しながら、研究・産学連携の共創空間へ再編する計画です。

7 弥生キャンパス――農正門と農学部1・2・3号館の軸線

駒場と弥生の敷地交換

農学部の前身は駒場にあり、弥生地区には旧制第一高等学校が置かれていました。1930年代に両者の拠点が入れ替わり、農学部が弥生へ、第一高等学校が駒場へ移りました。

農学部1号館は1930年、2号館は1936年、3号館は1941年竣工。移転前後の約10年間で、現在の弥生キャンパスの主要な戦前校舎が揃いました。

農正門――1号館・2号館・3号館を一つの構図にまとめる

農正門は1937年竣工で、旧制第一高等学校時代の門の位置を引き継いでいます。2003年には扉材を更新し、木曽ヒノキの古材が使われました。

門から見ると右に1号館、左に2号館、正面奥に3号館が配置されます。東京都はこの配置をヴィスタを重視した構成として評価しています。本郷正門―安田講堂と同様に、弥生でも門の正面に主要建築を置いて視線を収束させています。

農学部3号館――1941年、弥生の焦点

農学部3号館は1941年竣工で、東京都選定歴史的建造物です。農正門からの軸線の終点に立ち、1号館・2号館とともに弥生キャンパスの主要景観を形成します。

東京大学弥生キャンパスの農学部3号館
東京大学農学部3号館。撮影:BLKCRAYON/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

野球場観覧席・ダッグアウト・フェンス――1937年のスポーツ施設

弥生キャンパスの野球場には1937年竣工の観覧席、ダッグアウト、フェンスが残り、国の登録有形文化財です。校舎・研究棟とともに、課外活動施設も戦前の大学施設群として保存されています。

8 戦後建築――高層化と歴史的景観への応答

工学部11号館――1968年、高層化の初期例

工学部11号館は1968年竣工、設計は吉武泰水です。地上9階の高層校舎で、戦前の低層キャンパスへ高層建築を挿入した初期例の一つです。

外装には茶系タイルを使い、内田ゴシックの色調に合わせながら、鉄筋コンクリートの高層校舎として新しいスケールを持ち込みました。2020年には内部の講堂・ラウンジがHASEKO-KUMA HALLへ改修されています。

丹下健三――第二本部棟1976年、本部棟1979年

丹下健三は東京大学建築学科出身で、戦後日本を代表する建築家となりました。本郷には旧理学部5号館として建てられた第二本部棟と、本部棟が残ります。

第二本部棟は1976年、本部棟は1979年竣工。本部棟では四隅の塔状部分、建物間をつなぐブリッジなどが強い立体構成をつくります。低層・水平的な内田建築に対し、1970年代の大学機能を高層化して収容した建築です。

山上会館――1986年、前川國男の最晩年作

山上会館は東京大学創立100周年記念事業として1986年7月に竣工しました。設計は前川國男で、最晩年の作品の一つです。

この一帯には富山藩の御殿があり、明治期には東京医学校の施設として使われた後、高台へ移築されて「山上御殿」と呼ばれました。山上御殿は1923年の関東大震災で焼失。その後の会議所を経て山上会館が建てられました。近くの「御殿下」という地名も御殿の下側に由来します。

文学部3号館・法学部4号館――1987年、大谷幸夫

文学部3号館と法学部4号館は1987年竣工、設計は大谷幸夫です。総合図書館前の広場を東西から囲む位置に建ち、淡い茶色の外装で戦前の図書館・法文地区との色調をつないでいます。

震災復興期の建物を模倣せず、1980年代の建築として広場の輪郭と既存建築のスケールを調整した点が特徴です。

法学政治学系総合教育棟――槇文彦のガラス建築

正門横の法学政治学系総合教育棟は槇文彦の設計で、法学部では「ガラス棟」とも呼ばれています。法科大学院の授業は主にこの建物で行われ、2~4階に教室が配置されています。

大きなガラス面を使った外観は、スクラッチタイルを基調とする戦前校舎と明確に素材が異なります。正門周辺では、1912年の正門、1930年代の内田建築、槇文彦のガラス建築を短い距離で比較できます。

御殿下記念館――1989年、グラウンド地下の総合体育施設

御殿下記念館は東京大学創立100周年記念事業として整備され、1989年1月に竣工しました。御殿下グラウンドの地下にジムナジアム、プール、トレーニング施設などを収める総合運動施設です。

9 21世紀の建築――地下化・改修・木質化・情報化

福武ホール――2008年、安藤忠雄の「考える壁」

情報学環・福武ホールは福武總一郎の寄付をもとに建設され、2008年3月26日に竣工しました。設計は安藤忠雄です。

東京大学本郷キャンパスの情報学環・福武ホール
情報学環・福武ホール。撮影:Guwashi999/Wikimedia Commons/CC BY 2.0。

約100メートルの「考える壁」を地上に伸ばし、主要空間を地下方向へ展開します。壁はキャンパスとの境界であると同時に、地下のホール・研究空間と既存の大学空間をつなぐ構成要素です。地上に大きなボリュームを立ち上げず、歴史的キャンパスのスケールを保ちながら床面積を確保しています。

伊藤国際学術研究センター――2011年竣工、桜広場の地下に約500人の講堂

伊藤国際学術研究センターは伊藤雅俊・伊藤伸子夫妻の寄付で整備され、香山壽夫が設計しました。2011年12月に竣工し、2012年4月1日に正式オープンしています。社会連携・国際交流の拠点として、国際会議、学会、レセプションなどに使われます。

赤門近くに「桜広場」を設け、その地下2階へ最大489席の伊藤謝恩ホールを配置しています。広場から立ち上がる2本のトップライトが地下講堂へ自然光を導きます。メインビルは4階までをレンガ積み、5階を金属板の屋根階として分節し、内田ゴシックの建物スケールに合わせています。

ダイワユビキタス学術研究館――2014年、隈研吾と坂村健

ダイワユビキタス学術研究館は2014年竣工。坂村健が建物全体をプロデュースし、隈研吾が意匠設計を担当しました。大和ハウス工業の寄贈による教育研究棟です。

東京大学本郷キャンパスのダイワユビキタス学術研究館
ダイワユビキタス学術研究館。撮影:Guilhem Vellut/Wikimedia Commons/CC BY 2.0。

懐徳館側のファサードには飛騨高山の杉板を使った鱗状の外装が重なります。内部にはユビキタス空間物アーカイブ、研究・教育空間、交流スペースなどが組み込まれました。1920~30年代の工学・医学・図書館建築と並べると、21世紀の研究対象がIoTやユビキタスコンピューティングへ広がったことを建物用途から確認できます。

総合図書館別館――2017年、地下三層の自動書庫

総合図書館別館は2017年5月に前庭地下へ竣工し、同年7月にライブラリープラザが開館しました。2018年5月から自動書庫が運用されています。

自動書庫は約300万冊収容可能で、地下三層に書架と搬送設備を集約します。地上では1928年の本館正面と前庭を維持し、必要な収蔵量と学習空間を地下へ拡張しました。

弥生講堂・一条ホール――2000年、木質構造を研究対象にする

弥生講堂・一条ホールは農学部設立125周年記念事業として計画され、一条工務店の寄付で2000年3月に竣工しました。設計は香山壽夫建築研究所。木造一部鉄骨造、地上2階、延床面積998.77平方メートルで、一条ホールは固定席278席を含む約300人規模です。

構造用集成材、木質仕上げ、羊毛断熱材など自然材料を積極的に使い、建物そのものを木質材料・環境調和建築の研究対象として位置づけています。2002年には日本建築学会作品選奨に選定されました。

弥生講堂アネックス――2008年、日本最大級の木質HPシェル

弥生講堂アネックスは2008年8月竣工。セイホクギャラリーの屋根に木質HPシェル構造を採用し、竣工時点で国内最大級の木質シェル構造でした。研究棟には国産ヒノキ乾燥材を用いた在来構法を採用し、105ミリ角の柱材を細かく配置して構造と仕上げを兼ねています。

HASEKO-KUMA HALL――2020年、既存講堂とラウンジを隈研吾が改修

工学部11号館の講堂・ラウンジは2019年2月から12月に改修され、2020年1月30日にHASEKO-KUMA HALLとして開設しました。設計は隈研吾と長谷工コーポレーション。床面積687.47平方メートル、講堂は128席です。

2014年のダイワユビキタス学術研究館が新築、HASEKO-KUMA HALLは1968年竣工の既存建物内部を再編する改修です。同じ隈研吾の仕事を、新築とリノベーションで比較できます。

10 2026年現在の工事――赤門・D&I棟・工学部13号館

東京大学が2026年4月1日現在の「工事中・工事を開始する主な建物」として挙げている本郷の案件は、ダイバーシティ&インクルージョン棟の新築、赤門の改修、工学部13号館の改修です。

ダイバーシティ&インクルージョン棟

弥生門南東ではダイバーシティ&インクルージョン棟A棟・B棟の整備が進んでいます。東京大学の2025年11月時点の計画では、B棟は2025年4月に着工済み、A棟は埋蔵文化財調査後の2026年着工で、両棟とも2027年3月完成予定です。

A棟建設地点では2025~26年の発掘調査で、加賀藩邸の地下室・井戸・ゴミ穴と、縄文時代の落とし穴が確認されました。調査は2026年7月に終了しています。施設整備の前に地下の遺構を記録するため、本郷では建設工事と考古学調査が連続して行われています。

工学部13号館

工学部13号館は2025年7月に改修工事へ着工しました。築90年を超える建物で、3層吹抜けの高電圧ホールを中心に構成されています。改修では迷路状になった動線を整理し、中庭を中心に三つのゾーンへ再編。研究・産学連携の共創空間を加えながら、歴史的な高電圧実験空間を継承する計画です。

11 建築史を時代順に歩くルート

1. 赤門周辺
赤門で1827年の加賀藩邸を確認し、1910年のコミュニケーションセンター、現代の伊藤国際学術研究センターへ進みます。赤門は2026年9月現在改修中で通行口としては使われていないため、入構は正門など別の門を利用します。

2. 正門
1912年の門柱・扉・冠木を見たあと、中央から銀杏並木越しに安田講堂を見ます。門と講堂の年代差を意識すると、後から軸線が完成したことが分かります。

3. 工学部列品館と法学部3号館
1925年・1927年の初期内田ゴシックを続けて見ます。アーチ、縦長窓、スクラッチタイル、柱型の反復を比較できます。

4. 安田講堂
正面ファサードを見たあと正門方向を振り返り、講堂が軸線の終点に置かれていることを確認します。

5. 法文地区
法文1・2号館のアーケード、法学部3号館を歩き、正門―安田講堂軸と直交する第二の軸線を追います。

6. 総合図書館と工学部1号館
1928年の図書館と1935年の工学部1号館を対面で見ます。前庭地下には2017年の図書館別館があり、約90年分の大学図書館建築が同じ場所に重なります。

7. 三四郎池・山上会館
加賀藩邸の育徳園と1986年の前川國男建築を同じ地形上で確認します。

8. 医学部地区
南研究棟、東研究棟、医学部1号館、医学部2号館を年代順に見ます。1925~38年に形成された医学部の内田建築群です。

9. 工学・情報地区
工学部2・4・6号館、福武ホール、ダイワユビキタス学術研究館、HASEKO-KUMA HALLをつなぐと、1920年代から2020年まで約1世紀の工学・情報系建築を比較できます。

10. 弥生キャンパス
農正門から1・2・3号館の配置を見たあと、2000年の弥生講堂・一条ホール、2008年のアネックスへ進みます。戦前の内田ゴシックと現代木質建築が並ぶ区間です。

外観中心で約2時間半~3時間、総合図書館などの公開企画を組み合わせる場合は半日程度が目安です。

記事に登場した主な建築・場所

建築・場所年代設計・由来建築上のポイント
赤門1827加賀藩前田家・溶姫御守殿門重要文化財。2025年11月から耐震改修、2027年秋頃再開門予定
育徳園心字池(三四郎池)江戸期加賀藩前田家上屋敷庭園池・斜面・築山に大名庭園の地形が残る
懐徳館庭園1910前田利為・伊藤彦右衛門明治末の前田侯爵家庭園
旧東京医学校本館1876東京医学校木造擬洋風。1969年小石川へ再移築
コミュニケーションセンター1910旧車庫・製本所震災前の小規模大学建築
正門1912伊東忠太鉄柱を花崗岩で被覆した冠木門。登録有形文化財
化学東館1916~23化学教室震災前の鉄筋コンクリート校舎
工学部2号館1924内田祥三震災時にRC躯体が大きな被害を免れた
安田講堂1925内田祥三・岸田日出刀正門軸の焦点。登録有形文化財
工学部列品館1925内田祥三初期内田ゴシック。旧博物館
医学部南研究棟1925内田祥三・岸田日出刀医学部地区の復興初期建築
工学部4号館1927内田祥三戦前工学部街区を構成
法学部3号館1927内田祥三ほか法文地区の登録有形文化財
総合図書館本館1928内田祥三ロックフェラーJr.寄付で再建。2020年改修完了
医学部東研究棟1928内田祥三医学部建築群の一棟
農学部1号館1930内田祥三弥生移転期の主要校舎
医学部1号館1931内田祥三医学部街区を構成
理学部2号館1934内田祥三1930年代の内田ゴシック
学生第二食堂1934内田期学生生活を伝える戦前施設
法文1号館1929~35内田祥三アーケード、尖頭アーチ。登録有形文化財
工学部1号館1935内田祥三辰野金吾の工科大学本館跡
弓道場1935内田期戦前の課外活動施設
農学部2号館1936内田祥三農学部街区の西側を構成
農正門1937内田期3号館へのヴィスタを形成
農学部野球場施設1937観覧席・ダッグアウト・フェンス登録有形文化財
法文2号館1938内田祥三法文1号館と街区・アーケードを構成
七徳堂1938内田祥三RC造の純日本式武道場。東京都選定歴史的建造物
医学部2号館1936(工事記録は1938まで)内田祥三医学部本館。医学部公式沿革は1936年11月竣工
工学部6号館1940内田祥三戦前末期の内田ゴシック
農学部3号館1941内田祥三農正門軸の焦点。東京都選定歴史的建造物
工学部11号館1968吉武泰水高層化初期。2020年内部改修
第二本部棟1976丹下健三旧理学部5号館
本部棟1979丹下健三四隅の塔状部分とブリッジ
山上会館1986前川國男創立100周年事業、最晩年作
文学部3号館・法学部4号館1987大谷幸夫総合図書館前広場を東西から囲む
御殿下記念館1989創立100周年記念事業グラウンド地下の総合体育施設
弥生講堂・一条ホール2000香山壽夫建築研究所木造一部鉄骨、約300人、作品選奨
法学政治学系総合教育棟2000年代槇文彦正門横のガラス建築、法科大学院
福武ホール2008安藤忠雄約100mの「考える壁」、地下展開
弥生講堂アネックス2008香山壽夫系/木質構造国内最大級の木質HPシェル
伊藤国際学術研究センター2011~12香山壽夫桜広場地下に最大489席の講堂
ダイワユビキタス学術研究館2014坂村健・隈研吾杉板の鱗状ファサード、情報系研究施設
総合図書館別館2017新図書館計画地下三層、約300万冊自動書庫
HASEKO-KUMA HALL2020隈研吾・長谷工工11号館内部改修、128席
D&I棟A・B2025~27新築2027年3月完成予定。A棟地点で発掘調査
工学部13号館2025~改修高電圧ホールを継承し共創空間へ再編

参考資料