東京駅の北側、日本橋川に面した常盤橋門跡から、皇居外苑を南へ回り、桜田門を経て半蔵門へ。夜の皇居を歩くと、昼間は街の背景に溶け込みやすい石垣や門の輪郭が、濠の水面と照明によって浮かび上がります。
この道には、門そのものが残る場所、石垣だけが残る場所、地名に記憶をとどめる場所が続きます。江戸城の防御施設が、明治以降の道路や公園、皇居外苑へどう変わったのかを、現地写真とともにたどります。
このコースは、2023年8月16日にゆる歴史散歩会で実施した皇居半周ナイトウォークのルートを基にしています。現在の見学情報は2026年8月27日に確認しました。
江戸城三十六見附とは
見附は、城門や橋、番所を組み合わせた警備の拠点です。江戸城では、門を抜けた先で進行方向を直角に変える「枡形」が多く採用されました。攻め手が一直線に城内へ進めない構造で、桜田門や田安門では現在も立体的に体感できます。
「三十六見附」は江戸城の門の総数ではなく、主要な門をまとめた呼び名です。全36か所の位置、残る遺構、効率のよい巡り方は、「江戸城三十六見附とは?全36か所の一覧・見どころ・巡り方」で一覧にしています。
常盤橋門から半蔵門へ、夜の江戸城を歩く
今回の本編は、常盤橋門跡から呉服橋門跡、和田倉門跡、馬場先門跡、楠木正成像、桜田門を経て半蔵門へ進むコースです。旧江戸城の東側から南側、西側へと回るため、門の残り方と街の変化を連続して比べられます。田安門は半蔵門からさらに北へ歩く延長地点として紹介します。
| 地点 | 年代の目安 | 現在の見どころ |
|---|---|---|
| 常盤橋門跡 | 1629年築造 | 枡形石垣、1877年の常磐橋 |
| 呉服橋門跡 | 1636年築造 | 地名と道路に残る門の記憶 |
| 和田倉門跡 | 1620年枡形構築 | 石垣、和田倉橋、濠 |
| 馬場先門跡 | 1629年築造 | 馬場先濠、石垣、旧門位置 |
| 楠木正成像 | 1900年完成 | 明治期の騎馬像 |
| 桜田門 | 現存建物は1663年頃 | 高麗門、櫓門、枡形 |
| 半蔵門 | 1620年築造 | 高麗門、半蔵濠 |
| 田安門 | 現存建物は1636年 | 高麗門、櫓門、枡形 |
0|常盤橋門跡―江戸城の外郭正門
常盤橋門は寛永6年(1629)に築かれ、奥州方面へ通じる江戸五口の一つに数えられました。浅草口、大手口とも呼ばれ、大手門へ続く重要な入口でした。門の建物は明治6年(1873)に撤去されましたが、枡形石垣が現在も残っています。
現地で見たいのは、門跡と石橋の名前の違いです。史跡は「常盤橋門跡」、明治10年(1877)に架け替えられた石橋は「常磐橋」と書きます。常磐橋は2011年の東日本大震災で損傷し、文化財として修復されたのち2021年5月に通行が再開しました。江戸の石垣と明治の石橋が同じ場所に重なる、東京の都市史を凝縮した地点です。

1|呉服橋門跡―門が消えても名前が残った
呉服橋門は寛永13年(1636)に築造されました。名称は日本橋側にあった呉服町に由来し、幕府御用の呉服師・後藤家の屋敷があったことから「後藤橋」とも呼ばれました。
明治4年(1871)に門が撤去された後もしばらく枡形石垣と橋は残りましたが、戦後に外濠川が埋め立てられ、橋も姿を消しました。現在の呉服橋交差点や呉服橋ガードの名称が、かつてここに江戸城の入口があったことを伝えています。遺構が見えない場所では、道路の線と地名そのものが手がかりになります。

2|和田倉門跡―海の入江から城の物流拠点へ
和田倉門の枡形は元和6年(1620)に東北の諸大名によって築かれました。櫓門を支えた石垣が和田倉噴水公園に残り、濠には和田倉橋が架かっています。
この一帯は江戸以前、東京湾の入江に面していました。江戸初期の埋め立て後は、道三堀を利用して城へ物資を運び込む荷揚場や倉庫が置かれます。その後は大名屋敷、厩、御用屋敷など用途が移り変わりました。江戸城は石垣と門だけで成り立っていたのではなく、周囲の水路と物流網によって支えられていたことが分かる場所です。
和田倉橋は江戸時代の木橋の姿を受け継ぎ、1953年に橋脚を鉄筋コンクリートへ架け替えました。欄干の擬宝珠には旧橋のものが使われています。夜は橋と周囲の石垣が照らされ、水面まで含めて景観が変わります。

3|馬場先門跡―「開かずの門」から近代都市の道路へ
馬場先門は、和田倉門と日比谷方面の間に置かれた江戸城内郭の門です。枡形と門は寛永6年(1629)に築かれ、古くは往来ができない「不明門」と呼ばれました。寛文8年(1668)以降に通行できるようになり、馬場先門の名が定着します。
門は明治末に撤去され、現在は大きな道路と濠が広がります。防御のために道を折り曲げ、人の流れを制御した枡形が、近代の交通量には合わなくなっていった場所です。馬場先濠の石垣は夜間照明の対象となっており、失われた門の位置を濠の線から想像できます。

4|楠木正成像―江戸城跡に加わった明治の風景
楠木正成像は江戸城の門ではありません。幕府の城だった空間に、明治以降の皇居外苑を象徴する記念景観が加わったことを確認できる地点です。
像は別子銅山開山200年を記念して住友家が企画し、東京美術学校へ制作を依頼したものです。高村光雲らが制作に携わり、明治33年(1900)7月に完成・献納されました。騎馬像本体は高さ約4メートル、台座を含めると約8メートルあります。江戸の城郭遺構の中に、明治国家がつくった記念景観が重なる地点です。

5|桜田門―枡形がそのまま残る巨大な城門
外桜田門、現在の桜田門は、高麗門を入って直角に折れ、櫓門を抜ける枡形の構造がよく残っています。現存する建物は寛文3年(1663)頃のもので、国の重要文化財です。環境省は、現存する城門の中でも桜田門の枡形を最大規模としています。
安政7年3月3日(1860年3月24日)、門外で大老・井伊直弼が水戸藩浪士らに襲撃されました。桜田門外の変です。政治史上の事件を知ったうえで現地に立つと、門から大名屋敷街へ出る江戸城南側の動線が具体的に分かります。

6|半蔵門―甲州街道につながった西の要衝
半蔵門は「麹町口」とも呼ばれ、四谷門とともに甲州街道につながる重要な門でした。元和6年(1620)、仙台藩主・伊達政宗ら東国の大名によって築造されました。
門名は、伊賀者の服部半蔵が周辺に配下とともに屋敷を与えられていたという説が広く知られています。明治4年(1871)に櫓門が撤去され、現在は高麗門が残り、皇居の通用門として使われています。常盤橋門から歩いてくると、江戸五口のうち二つを一度に結ぶことになります。

延長|田安門―1636年の江戸城建築が残る
田安門は北の丸の北端にあり、現在の門は寛永13年(1636)に建立されました。環境省は、現存する旧江戸城の建築遺構のうち最古のものとしています。高麗門と櫓門が枡形をつくり、国の重要文化財に指定されています。
北の丸には江戸中期以降、将軍家の一族である田安家と清水家の屋敷が置かれました。明治以降は軍の施設として使われ、戦後に北の丸公園として整備されます。半蔵門で本編を終えた後、さらに北へ歩けば、江戸城の門そのものをくぐる体験で締めくくれます。

夜に歩くと、石垣と門の輪郭が変わる
皇居外苑では、楠木正成像、和田倉橋、桜田門、石垣などが年間を通じてライトアップされています。環境省の案内では点灯は日没後15分から21時まで。春と夏は柔らかな白色、秋と冬は暖色系の光が使われます。馬場先濠、和田倉濠などの石垣も夜間照明の対象です。
昼は高層ビルや交通量の多い道路に目が向く場所でも、夜は濠沿いの石垣が連続した一本の防御線として見えます。和田倉門の石垣、馬場先濠、桜田門と進むと、「点」で見ていた城門が「線」でつながります。ナイトウォークと江戸城の相性がよい理由は、この景観の変化にあります。
現在の見学情報
- 皇居外苑の皇居前広場などは常時開放・無休・入園無料です。国家行事などに伴う特別警備では利用が規制される場合があります。
- 皇居外苑のライトアップは、環境省の案内で年間を通じて日没後15分から21時までです。
- 和田倉噴水公園の噴水は10時から21時、夜間の噴水ライトアップは日没から21時までと案内されています。天候やメンテナンスで停止する場合があります。
- 半蔵門園地は時間制の施設で、3月~9月は9時~17時、10月~2月は9時~16時です。門の外観を巡る今回の散歩とは利用時間が異なります。
- 北の丸公園は常時開放・無料です。夜間は22時ごろから日の出まで公園灯が消灯されます。
利用情報は2026年8月27日に環境省の案内で確認しています。
江戸城をさらに歩く
今回の区間は、江戸城三十六見附のうち「残る門」「石垣だけ残る門」「地名に残る門」を続けて比較できるのが特徴です。日比谷から桜田門・半蔵門へ歩く区間は、「日比谷から半蔵門を歩く|日比谷見附・桜田門・皇居外苑の歴史散歩」で、日比谷見附跡や一番町まで含めて紹介しています。36か所全体を俯瞰するなら、江戸城三十六見附の全一覧と巡り方へ。常盤橋から大手門へ入り、大名の登城動線をたどるコースは、「大名気分で皇居を歩く!江戸城登城をしてみよう!」で紹介しています。大手門から本丸・天守台へ進むなら、「皇居東御苑を歩く|江戸城本丸・天守台・大奥跡を巡る歴史散歩」もつながります。現在の皇居内部を歩く様子は、皇居一般参観の開催レポートで紹介しています。

