池袋西口が源流の弦巻川(暗渠)を歩いてみよう

【紫色:主な見附 白色:主なスポット 青色:現在の主要線路】見附とは見張り番所がある城門のことで、江戸城の見附は主に枡形門と堀に架けられた橋が一体となったものが多かった。実際は36以上あったが俗に江戸城三十六見附と呼ばれている。現在でも一部残っている。

弦巻川の概要

弦巻川(つるまきがわ)は、東京都豊島区と文京区との間を流れていた河川。昭和7年(1932年)に当時の北豊島郡高田町により暗渠化工事が行われ、現在では川の流路はまったく残っていない。なお流域外になるが新宿区の早稲田鶴巻町にその名を残しているといわれる。現在はその流路跡の大部分が下水道雑司ヶ谷幹線に転用されている。都電荒川線より東側では文京区目白台と豊島区雑司が谷との区界になっている。

弦巻川の流域

豊島区立元池袋史跡公園の西に接する池袋デュープレックスタワーの敷地内にあった丸池が源泉。

丸池 – ホテルメトロポリタン駐車場南西側 – オリナスふくろうの杜(旧雑司が谷小学校)南側 – (法明寺本堂 – 法明寺鬼子母神堂間) – コープとうきょう南側 – 日本女子大学体育館北側 – 本浄寺南側 – 護国寺西交差点 – 筑波大学附属視覚特別支援学校東側 – 講談社西側 – 目白坂下南交差点西側 – 江戸川橋の西側で神田川に合流

弦巻川の付け替え

元々、弦巻川は護国寺の真南の位置まで流れており、その地点で護国寺の東側を流れていた水窪川と合流した後、南東に流れを変えて江戸川橋辺りで神田川に合流していたが、護国寺が天和元年(1681年)に建立される際に流域に当たる護国寺から江戸川橋までの間に参道(現在の音羽通り)を造る事になったため、弦巻川を参道の西側、水窪川を参道の東側に流れるように河川の付け替え工事がされたという説がある。

弦巻川の水害

2008年8月5日、豊島区雑司が谷弦巻通りにて、弦巻川を転用した下水道の工事作業中に豪雨が起きたため、増水により作業員5人が流され死亡した。

今回いくところ

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  1. 池袋地名ゆかりの池碑(丸池)
  2. 弦巻川暗渠
  3. 弦巻川暗渠
  4. 旧豊島区立雑司谷小学校跡地
  5. 江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス
    江戸時代、清戸坂の北側一帯は雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地は一部)で、坂の道ぞいには雑司ヶ谷清戸村百姓町があり、江戸への野菜供給基地としてナスのほか、ダイコンや青菜などを生産していました。とくに、味がいいと評判になった雑司ヶ谷ナスは、江戸時代後半から大正時代の中頃までもてはやされていました。とくに、味がいいと評判になった雑司ヶ谷ナスは、江戸時代後半から大正時代の中頃までもてはやさ れていました。
  6. 海老沢荘と万荘(通過)
  7. 雑司が谷公園 丘の上テラス(ちょっとそれる)
    旧高田小学校は地域のコミュニティと防災の拠点でした。公園計画検討会では、それらの機能を公園内に残すために集会施設の設置を要望しました。検討の中で、民間活力を活かすことや、防災施設や設備を拡充することが盛り込まれました。詳細はこちら
  8. 弦巻川暗渠(通過)
  9. 弦巻川暗渠(日本女子大学寮)
  10. 弦巻川暗渠
  11. 護国寺駅西自転車駐車場
  12. 弦巻川暗渠
  13. 江戸川公園 お手洗(東)
❶「暗橋」で楽しむ東京さんぽ 暗渠にかかる橋から見る街(2023/1/30)、高山 英男 (著)、吉村 生 (著) p.3の図1をもとに作成。暗渠サインの強弱については著者高山氏による経験から。 ❷「暗渠(あんきょ)」とは地下に埋設された川や水路のこと。反意語は開渠。臭いの防止や異物混入を防ぐ目的で使われる。最初から暗渠として造られる場合もあれば、通路利用などのために後から蓋をする場合もある。規模は大小様々。主に排水用だが生活用水のために造られたものもある。埋め立てられている場合は暗渠とは言わず川の跡や水路跡というのが正しいが、外見ではわからないということもあり、本サークルでは拡大解釈をして呼称は暗渠で統一する。上記図書も同解釈としている。