西日暮里駅の西側には、線路を見下ろす高台と細い坂道が続きます。そこから千駄木の住宅街を抜けて本駒込へ歩くと、縄文時代の集落、江戸の名主屋敷、近代土木の研究拠点、キリスト教思想、精神医療の歴史までが短い道のりに重なっています。
観光地として知られる谷中のすぐ隣でありながら、寺町とは違う東京の歴史が残るコースです。西日暮里の高台から千駄木の坂を越え、本駒込へ向かいます。
西日暮里から本駒込へ歩く歴史散歩コース
起点は西日暮里駅です。諏方神社と西日暮里公園を歩き、千駄木で狸坂・きつね坂・むじな坂を上下しながら本駒込へ入ります。後半は動坂遺跡、駒込名主屋敷、土木研究所発祥の地、今井館聖書講堂、旧東京府巣鴨病院跡へ進みます。


西日暮里の高台は江戸の行楽地だった
諏方神社
諏方神社は元久2年(1205)、豊島左衛門尉経泰が信州の諏訪大社から勧請したと伝わる古社です。日暮里・谷中の総鎮守として信仰され、江戸時代には周辺の高台とともに眺望の名所として知られました。

現在も境内から線路側へ視界が開け、高台に神社が置かれたことを実感できます。社名は一般的な「諏訪」ではなく「諏方」と表記します。
西日暮里公園と道灌山
諏方神社から続く高台には西日暮里公園があり、その北側一帯は道灌山と呼ばれてきました。江戸時代の道灌山は、遠くを望む景勝地であると同時に、薬草採集や秋の「虫聴き」を楽しむ場所としても知られていました。
現在は市街地ですが、坂の上と下の高低差は変わりません。ここから千駄木へ向かうと、東京の地形がそのまま道の形に現れます。
千駄木の狸坂・きつね坂・むじな坂
千駄木3丁目には、狸坂、きつね坂、むじな坂と、動物の名が付いた細い坂が集まっています。文京区のまち歩きMAPでも「動物坂コース」として紹介される一帯です。
狸坂は、坂上にある千駄木山の一部が「狸山」と呼ばれていたことから名付けられました。細い坂を上り下りすると、千駄木が平坦な住宅地ではなく、台地と低地が入り組んだ土地であることがよく分かります。
千駄木・根津・谷中の低地には、かつて藍染川が流れていました。上駒込方面から流れ、不忍池へ注いだ川で、水害対策のため大正10年(1921)から暗渠化が進みました。現在の路地や坂道は、地上から消えた川と台地の高低差をたどる手掛かりになります。
動坂遺跡では縄文時代と江戸時代が重なる
動坂遺跡は、本駒込3丁目の都立駒込病院周辺で確認された遺跡です。1974年、病院の外構工事中に貝塚が見つかり、発掘調査によって縄文時代中期の住居跡、土器、多数のおもりなどが出土しました。貝塚と漁具から、ここで暮らした人々が水辺の資源を利用していたことが分かります。
さらに上層からは、江戸時代に8代将軍徳川吉宗が復活させた鷹匠の屋敷跡も確認されました。同じ場所に、縄文の集落と江戸の幕府制度の痕跡が重なっています。
「動坂」の名は「不動坂」が縮まったものとされ、かつて近くにあった目赤不動との関係が伝えられています。目赤不動・南谷寺周辺については、吉祥寺と本駒込周辺の歴史散歩でも紹介しています。
駒込村を治めた名主の屋敷が残る
本駒込3丁目の駒込名主屋敷は、江戸時代にこの地域の名主を務めた高木家の屋敷です。高木家は大坂夏の陣後にこの地へ移り、寺領だった駒込の開拓に関わって名主を務めたと伝わります。
現在の主屋は享保2年(1717)の建築と伝えられ、名主宅らしい式台付きの玄関を備えます。現在も住居として使われているため、見学は外観からとなります。江戸の村落行政を担った家が、現代の住宅街にそのまま残っている貴重な場所です。
駒込名主屋敷の背景は、吉祥寺と本駒込周辺の記事でも詳しく扱っています。この散歩では、村の歴史を現在の道筋の中で捉える地点として立ち寄ります。
本駒込に残る近代日本の研究と思想
土木研究所発祥の地
本駒込には、現在の土木研究所につながる研究機関が置かれていました。大正10年(1921)に内務省土木局の道路材料試験所が設けられ、翌1922年9月、内務省土木試験所として発足します。道路、河川、土質など、日本の近代土木を支える研究の出発点の一つでした。
1923年の関東大震災後には災害調査も行われ、のちの耐震研究へつながっていきます。住宅街の中に立つ「土木研究所発祥の地」の碑は、本駒込が近代技術研究の舞台でもあったことを伝えています。
内村鑑三と今井館聖書講堂
今井館聖書講堂は、内村鑑三の無教会思想を伝える拠点です。最初の聖書講堂は1907年、現在の新宿区柏木にあった内村の自宅に建てられました。1913年に改築され、1930年には内村の葬儀もここで行われています。
講堂は1935年に目黒区中根へ移され、2022年11月に本駒込へ新築移転しました。西新宿に残る内村鑑三・今井館旧蹟については、西新宿・北新宿の歴史散歩と合わせると、施設が東京の中を移ってきた流れを追えます。
戦後に本駒込へ移った天心聖教
天心聖教は現在、本駒込6丁目に本部を置く宗教法人です。公式年表によると、1948年に現在の本駒込にあたる駕籠町への移築を始め、1949年に移転しました。戦後の本駒込に形成された宗教施設の一つとして、地域の近現代史の中に位置づけられます。
東京府巣鴨病院から松沢病院へ
本駒込2丁目には、かつて東京府の精神科病院がありました。東京府癲狂院は1879年に上野公園で開設され、1881年に本郷区駒込東片町へ、1886年に小石川区巣鴨駕籠町へ移転しました。1889年には東京府巣鴨病院と改称されます。
巣鴨病院は1919年に荏原郡松沢村へ移転し、東京府立松沢病院となりました。現在の東京都立松沢病院へ続く歴史です。本駒込に残るレンガ塀は、明治から大正期にこの地域が東京の精神医療の中心だった時代を伝えています。
西日暮里から本駒込を歩くと東京の地層がつながる
諏方神社と道灌山の高台から始まり、千駄木の坂を越えると、動坂遺跡の縄文集落、江戸の名主屋敷、近代の土木研究、宗教思想、精神医療へと時代が移っていきます。名所を一点ずつ見るより、地形に沿って歩くことで、それぞれの場所が同じ地域史の中につながります。
谷中・向丘方面へ続けて歩くなら、谷中から向丘の裏路地と史跡を歩くコース、谷中を寺町として深く知るなら谷中歴史散歩ガイドも合わせて楽しめます。

